カテゴリーアーカイブ:体験談

元交付税課の会

2025年10月4日   岡本全勝

昨日10月3日夜は、私が総務省交付税課長(2001~2004年、3年間)時代の同僚による、叙勲祝賀会でした。北海道、山形県、長野県、京都府、長崎県など各県から派遣されていた職員たちも、遠くからも参加してくれました。申し訳ない。

私は、自治省での仕事の出発が自治省財政課(1980~1983年、3年間)で、自治省交付税課長補佐(1990~1992年、2年9か月)、そして交付税課長を務めました。自治省と総務省での原局勤務のほとんどが、地方交付税担当でした。かつてはとても過酷な職場で、忙しい12月から1月、5月から6月は、深夜残業が当たり前でした。
自分も遅くまで残業し、部下にも「同等の勤務」を求めました。一方で部下の作業を減らし、職場を楽しくすることを考えました。作業手順書を作ったり、課内の雰囲気作りに努めました。職員に倒れられたら困るのは、課長補佐の私です。職員たちも助け合っていました。職員ごとに担当する費目(教育費、社会保障費、道路費など歳出分野)は異なるのですが、作業は同じなので、助け合って仕事ができるのです。

その後、富山県総務部長を経験し、「このような勤務慣行はいけない」と自覚して、良い管理職を目指しました。『明るい公務員講座』は、後にその時の勉強をまとめたものです。
交付税課長になったときは、良い管理職を実践しました。係員として担当分野の算定を行い、課長補佐で算定取りまとめを経験していたので、交付課の作業の全体を把握していましたから、自信を持って仕事ができました。また部下の仕事内容や難しい点も、把握していました。
算定作業は課長補佐が中心となるので「仕事は課長補佐に任せる。相談にはいつでも乗る」「課長は残業せず早く帰る」を実践しました。そして、渉外など課長しかできない仕事に精を出しました。原稿の執筆、東大での講義なども。
当時は三位一体の改革の前段階で、交付税算定の見直しが求められました。段階補正と事業費補正の縮小、留保財源率の引き上げなど、久しぶりの大きな改革を行いました。これらも、方向を示し、部下に任せました。

昨日の会合では、あまりに多くの人数なので、一人一人話すことができませんでした。全員に、当時の思い出と近況を語ってもらいました。「長時間労働で大変だったけど、楽しかった」「仕事を任せてもらえて、勉強になった」「国の課長はこんな仕事ぶりなのか驚いた」との発言がありました。「事前に聞いていた全勝課長の厳しさと、実際とは違った」「苦しかったことは忘れました」との発言も。
ありがとうございました。みんなのおかげで、楽しく充実した職業人を過ごすことができました。

市町村職員中央研修所学長を退任

2025年9月30日   岡本全勝

9月30日付けで、市町村職員中央研修所学長を退任しました。学長職は、ほぼ4年務めました。結構長いですね。あっという間でしたが。
就任した2021年10月は、まだ新型コロナウイルスに注意を払いながら研修を実施していました。年間約5千人の研修生を迎えると、病気や事故も起きます。来ていただく外部講師は、400人に上ります。講師が突然来られなくなることもあります。

年間約80本の宿泊研修(それぞれ期間は3日から2週間)を実施することは、大変な作業です。それとともに、次回に向けて主題や内容、講師の入れ替えを検討します。自治体の電子化、働き方改革、危機管理などなど。社会の変化と自治体の悩みに応じなければなりません。
当研修所は、1987年にできました。先輩たちのおかげで、高い評価を得ています。2003年から2009年にかけて、教室や宿泊施設を増築しました。

他方で、施設の管理(立派な校舎と宿泊施設です。全景航空写真の奥、壁のような高い建物が宿泊棟、右側が増築部分)、職員の人事管理と組織の運営もあります。職員たちのおかげで、大きな問題なく運営することができました。また、社会の変化に応じた改革にも、取り組んでくれました。
近年では、業務と研修での電子化です。また、超低金利政策ために基金の運用益がゼロに近くなり、財政運営も課題です。専門家の指導を受けて、株式(ETF)の運用も始めました。
これからも、職員たちが、期待に応える研修を実施してくれると期待しています。

追悼、伊藤隆敏先生

2025年9月28日   岡本全勝

伊藤隆敏先生がお亡くなりになりました。私が内閣府経済財政部門の審議官時代(2006年~2008年)に、経済財政諮問会議委員として、ご指導をいただきました。

私は地方財政が専門で、日本や世界の経済は門外漢でした。
当時は、規制緩和が一つの主題でした。空港を民間委託や民営化する際の問題点を、議論したことがありました。委託先が外国資本の会社では安全保障上の問題点があるとの指摘に対し、それは会社の属性ではなく、空港運営の規制で担保すべきだとの結論になりました。なるほどと思いました。世界一流の先生に講義を受ける、しかも少人数でのやりとりができるのは、ありがたい経験でした。
ご冥福をお祈りいたします。

経済財政諮問会議委員は、ほかに、御手洗冨士夫・経団連会長(キヤノン会長)、丹羽宇一郎・伊藤忠会長、八代尚宏教授でした。
もう一人の東大経済学部の伊藤先生、伊藤元重先生には復興庁で、復興推進委員会委員長を引き受けていただきました。
いろんな仕事に就いたので、さまざまな方と知り合い、教えをいただいたことは、貴重な財産です。

他省庁の昔の仲間たちと

2025年9月25日   岡本全勝

春に頂いた勲章のお祝い会が、まだ続いています。復興庁初期に勤務した職員たちの会は、6月と7月に開いてくれたのですが。夜の会合が続くのを避けたことや、「急がないし、夏は暑いから秋にしよう」といった理由で、今頃やっています。
かつての職場の同僚や後輩と定期的に集まる会合もあり、それらの会でもこの理由を「上乗せ」してもらっています。ありがたいことです。

23日と24日は、A省とB省の職員たちとの会合でした。多くの人は、元幹部になっています。復興庁時代に一緒に苦労したことを、みんなで思い出しました。それぞれに大変だったのですが、まあまあうまくいったので、このように集まることができます。
復興庁という特殊な課題への対応、これまでにない仕事、各省からの混成部隊でなければ、このような仲間はできなかったでしょう。

バミューダパンツ

2025年9月12日   岡本全勝

バミューダパンツって、ご存じですよね。
インターネットで調べると、バミューダショーツとあり、「膝丈前後(4-6分丈前後)でやや細めのズボン。バミューダ諸島で広く着用されることから、この名前が付いた」と解説があります。

高校生の時に知って、格好良いと思いました。それまで、半ズボンはありましたが、バミューダパンツは世間にはなかったです。家ではサッカーの短パンをはいていました。
格好良いとともに、涼しげ、楽なのです。それ以来、夏の間の普段着として愛用しています。
Tシャツも、高校生からです。今の若者には理解できないでしょうが、50年前にはそして明日香村にはなかったのです。それまではランニングシャツで、いかにも下着でした。それだけでは外出できませんでした。

問題は、孫と公園に行くときに、この格好では蚊の餌食になるので、長袖長ズボンに着替える必要があります。