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生き様-体験談

今週も乗り切りました

今週も、何とか乗り切ることができました。講演などの出番は、4日祝日を含めて2回だったのですが。原稿や来週の講演の準備が大変でした。

連載「公共を創る」の原稿を書き上げ、右筆に加筆してもらい、締め切りを守りました。コメントライナーも右筆に手を入れてもらって、締め切り前に原稿を提出できました。
来週は、人前で話すことが4回あります。そのうち1回は、これまでの資料を使い回しできるのですが、他は初めての内容ばかりです。それぞれだいぶ前に依頼を受けて、話す骨子は粗々考えていたのですが、先週までも忙しくて。

もちろん、原稿や講演の準備だけでなく、他の業務もあります。それらに結構時間を取られました。朝の通勤電車中で、原稿の加筆をしたり、ゲラの確認をしたり、講演の骨子を考えたりと。頑張った甲斐があって、すべて準備できました。安心して土日を過ごすことができます。

といっても、次の締め切りが来ます。ホームページに載せる記事も、たくさん未完成のままで貯まっています。困ったものです。そのうちに、旬が過ぎ、忘れてしまいます・・・。

一つずつ、物事は片付く

恒例の「ぼやき」です。深刻ではないので、笑いながら読んでください。
8日間も日本を留守にした報いもあり、仕事に追われています。市町村職員中央研修所の仕事は職員たちが計画的に進めてくれるので、私は相談に乗ることと了解することです。
忙しいのは、「副業」の方です。原稿と講義の準備に、追われているのです。なぜか、かつてより、それに取られる時間が増え、追いかけられている気がします。原因は何かと考えました。

1つ。月に3回の連載は、しんどい。
紙面では、1行(22字)×20行×3段+1行(22字)×28行×3段×3ページ≒6800字。400字詰め原稿用紙に換算すると、6800÷400字=17枚。毎週、よく書き続けているものです。随筆なら、もう少しお気楽に書けるのでしょうが。

2つ。同時に、分野の違うことをいくつも処理していることです。
連載では日本の行政を考えています。最近の講義では、外国の方に東日本大震災の経験や日本の行政を話します。国内では、公務員育成、管理職の役割、行政の変化、災害復興など。もう一つ、若手研究者に私の経験を話す会に呼ばれているのですが、これが意外とやっかいです。すっかり忘れているのです。
人間の頭は、同時に二つのことを考えることができません。これら雑多なことを同時並行で処理しようとすると、頭が機能を停止します。

3つ。いくつも仕掛品を抱えていると、精神衛生上、よくありません。
いくつも未完成があるので、「あれはどうしよう」「これで間に合うかな」と心配が募ります。つくづく、自分が小心者だと思います。
副業(執筆や講演)は、部下職員がいない「一人親方」「個人営業」です。組織として取り組んでいたら、部下と一緒に仕事をして、その進捗管理をしておれば良いのですが。骨子を考え、関係資料を集め、形にする。労力がかかります。で、うまく電子データにできないときは、職員に手伝ってもらっています。

いつも同じことを言っています。ところが、「完璧ではないけど、締め切りが来たから80点でも提出しよう」と提出すると、気が楽になります。後で見直して、加筆することもありますが。
これまで、締め切りに間に合わなかったことがないのです。もちろん、不完全な文章に手を入れてくれる「右筆」や編集長・校閲さんのおかげでもあります。
すると、この「ぼやき」の話は、いつも「一つずつ片付ければ進む」「完璧でなくても進む」という結論になります。「明るい公務員講座」に書いたことですね。

15分前集合

先日、かつて仕事を一緒にした人たち数人と久しぶりの意見交換会を開きました。お店が17時開店なので、17時開始としました。
いつもは健康のために一駅歩いて、早めに到着するようにしているのですが、この暑さでは断念。17時ちょうどに到着しました。

すでに全員そろっていて、お叱りを受けました。「全勝さんは、いつも15分前集合と言っていたではないですか」と。
みんな15分前には来たのに、お店は閉まっていて、暑い中、外で待っていたのだそうです。
すんまへん。次回は、17:15開始にしましょう。

なんとかなる

なぜか忙しい」の続きです。「7月と8月」に書いたように、なんとか乗り切れました。なぜ、乗り切れるのか。私たちの仕事の多くは、締め切りがあり、その時点である程度のものができていたら、それで許されるのです。

もちろん、資料作成でも原稿執筆でも、「何も書けていません」では、失格です。他方で、「これが満点だ」という基準も、たいていの場合はありません。評価者は、上司であったり、先生であったり、編集長です。その人たちが「仕方ないなあ、この程度でも」と思ってくれたら、それで乗り切れたことになるのです。
満点をもらいたかったら、事前にその評価者に半製品を持ち込んで、何度も打ち合わせをして、評価者の納得を得るようにしなければなりません。でも、そこまで必要のないものなら、「この程度で許してもらおう」と考えて、そこそこのできばえで提出することができるのです。完璧を目指したいのですが、なかなかそうはいきません。でも、すんでしまうと、次の仕事に取りかかるので、不本意だったことも忘れてしまいます。
これは、『明るい公務員講座』にも書いたことです。

しかし、機械や電算機のプログラム作成の場合は、この「この程度で許してもらおう」が通じないのです。完成しない機械は動かず、完成しないプログラムでは誤作動します。自然科学の世界と、社会科学・人文科学との違いとも言ってよいでしょう。

あらこんなところに・・・

私の官僚体験を、研究者にお話しする機会があります。忘れていることが多く、覚えていても間違っていることがあります。記憶はええかげんなものだと、つくづく思い知らされます。
40年間の手帳」も、残して置いてよかったです。でも、肝心なことは手帳には書かれていません。会議や夜の会合は記録されていても、考えたことなどは書かれていないのです。私が載った新聞記事などはスクラップブックに貼り付けてあります。これは棚にあるので、すぐに引き出すことができました。

その時々に書いた覚書や印刷物になったものは、段ボール箱に放り込んでありました。2つあったので、これを引きずり出しました。書斎の奥にあって、その前の本の山をのけないと、たどり着きません。決心して、取り出しました。
開けてみると、いろんなものが出てきました。大学時代のノートや、スクラップブックに貼り付けてない新聞記事や雑誌記事も出てきました。そのほか、大臣秘書官、富山県総務部長、省庁改革本部、再チャレンジ政策担当、総理秘書官時代の資料なども発見。
整理されていないので、何があるか見直すのが大変です。まあ、こんな機会でもないと、永遠に開くことはなかったかもしれません。「あらこんなところに××が

ところが、あったはずの資料が見つかりません。と思っていると、本棚にファイルボックスが一つ見つかりました。目の前にあったのに。さらに、文房具入れからUSBメモリを探し出しました。ここにも、いろんな文章が残っていました。しかし、探している資料は出てきません。