カテゴリーアーカイブ:体験談

令和7年の回顧2、執筆や講演

2025年12月29日   岡本全勝

執筆や講演が「本業」になりました。まず執筆です。
連載「公共を創る」は、今年も毎月3回、欠かさず掲載できました。1回が400字詰めで17枚、6800字余り。締め切りに追われる日々で、精神衛生によくありません(笑い)。右筆の助けを借りて、書くことができました。
2019年4月から6年半、244回になりました。こんなに長くなるつもりはなかったのですが、書いていると、いろんなことに思いがつながります。新聞などの報道機関が伝えないこと、学者が分析することではないこと、その中間にある官僚が見た事実と評価です。若い人の参考になればと思い、私の経験と考え方を書いています。意外と、そちらの話題の方が受けているようです。読み物としては、その方が面白いのですかね。
来年には完結しそうです。今度は本当です(決意)。

時事通信の「コメントライナー」、今年も5回寄稿しました。報道機関などとは少し異なった視点から、社会を見るようにしています。例えば「英語が国語になる日」。

講演は、今年もたくさんのお呼びがありました。国や自治体の職員研修、東日本大震災の教訓、発展途上国政府向け日本の経験などです。このほか、2年前から、政治・行政学者に官僚経験を話しています。ほぼ毎月呼ばれ、各回2時間、これで29回になりました。56歳の東日本大震災まで来ました。
新聞記者などの取材も、いくつか受けました。大きかったのは、6月8日の読売新聞「あすへの考」「人口減令和の処方箋 地方創生本気で大胆に…」です。

このホームページは、11月6日から12月23日まで不具合が発生し、加筆更新ができませんでした。それ以外は、毎日欠かさずほぼ2本を載せました。カウンターは、503万まで来ました。年初に437万でしたから、延べ66万人の方が見てくださいました。一時、とんでもなく早く上がることがあり、何か変なのですが。ありがとうございます。

令和7年の回顧1、仕事

2025年12月28日   岡本全勝

年末になったので、今年も1年の回顧を始めましょう。第1回は、仕事についてです。

市町村アカデミー学長を、9月末で退任しました。
これで、常勤職を退きました。1978(昭和53)年に23歳で自治省に採用されて以来、47年余りの勤めでした。
いろんな珍しい仕事をさせてもらいました。こんな人生を送るとは、まったく想像していませんでした。神様も予想していなかったのではないでしょうか(苦笑)。ある政治家から「50年に一度の運の悪い官僚」とも言っていただきました。それは、仕事に恵まれた官僚人生でした。
この経験を整理しなければならないのですが、政治・行政学者の方に経験を話す機会を作ってもらっています。いわゆるオーラルヒストリーです。すでに3年、29回にもなりました。これがまとまれば、経験談になります。ありがたいことです。

副業と言っていた「執筆と講演」は相変わらずです。それについては、次回に。

去年の今頃

2025年11月15日   岡本全勝

去年の今頃、何をしていたか覚えていますか。仕事は、ある程度思い出せるのではないでしょうか。職場が変わっても、変わらなくても、ほぼ年間計画通りに進みますから。
覚えていないのが、仕事以外のことです。休日や放課後の過ごし方、家族との行動などです。どんな本を読んでいたかとかも。

先週のことすら覚えていないことが多いのですから、1年も前のことはねえ。
私は時々、手帳を見て先週何をしたのかを確認したり、去年の手帳を出して何をしていたかを思い出します。

まあ、覚えていないものですわ。そんなことを全部覚えていたら、頭がいくつあっても足りません。でも、読んだ本を忘れていたり、途中まで読んで放ってある本の多いのは、どうにかなりませんかね。

元交付税課の会

2025年10月4日   岡本全勝

昨日10月3日夜は、私が総務省交付税課長(2001~2004年、3年間)時代の同僚による、叙勲祝賀会でした。北海道、山形県、長野県、京都府、長崎県など各県から派遣されていた職員たちも、遠くからも参加してくれました。申し訳ない。

私は、自治省での仕事の出発が自治省財政課(1980~1983年、3年間)で、自治省交付税課長補佐(1990~1992年、2年9か月)、そして交付税課長を務めました。自治省と総務省での原局勤務のほとんどが、地方交付税担当でした。かつてはとても過酷な職場で、忙しい12月から1月、5月から6月は、深夜残業が当たり前でした。
自分も遅くまで残業し、部下にも「同等の勤務」を求めました。一方で部下の作業を減らし、職場を楽しくすることを考えました。作業手順書を作ったり、課内の雰囲気作りに努めました。職員に倒れられたら困るのは、課長補佐の私です。職員たちも助け合っていました。職員ごとに担当する費目(教育費、社会保障費、道路費など歳出分野)は異なるのですが、作業は同じなので、助け合って仕事ができるのです。

その後、富山県総務部長を経験し、「このような勤務慣行はいけない」と自覚して、良い管理職を目指しました。『明るい公務員講座』は、後にその時の勉強をまとめたものです。
交付税課長になったときは、良い管理職を実践しました。係員として担当分野の算定を行い、課長補佐で算定取りまとめを経験していたので、交付課の作業の全体を把握していましたから、自信を持って仕事ができました。また部下の仕事内容や難しい点も、把握していました。
算定作業は課長補佐が中心となるので「仕事は課長補佐に任せる。相談にはいつでも乗る」「課長は残業せず早く帰る」を実践しました。そして、渉外など課長しかできない仕事に精を出しました。原稿の執筆、東大での講義なども。
当時は三位一体の改革の前段階で、交付税算定の見直しが求められました。段階補正と事業費補正の縮小、留保財源率の引き上げなど、久しぶりの大きな改革を行いました。これらも、方向を示し、部下に任せました。

昨日の会合では、あまりに多くの人数なので、一人一人話すことができませんでした。全員に、当時の思い出と近況を語ってもらいました。「長時間労働で大変だったけど、楽しかった」「仕事を任せてもらえて、勉強になった」「国の課長はこんな仕事ぶりなのか驚いた」との発言がありました。「事前に聞いていた全勝課長の厳しさと、実際とは違った」「苦しかったことは忘れました」との発言も。
ありがとうございました。みんなのおかげで、楽しく充実した職業人を過ごすことができました。

市町村職員中央研修所学長を退任

2025年9月30日   岡本全勝

9月30日付けで、市町村職員中央研修所学長を退任しました。学長職は、ほぼ4年務めました。結構長いですね。あっという間でしたが。
就任した2021年10月は、まだ新型コロナウイルスに注意を払いながら研修を実施していました。年間約5千人の研修生を迎えると、病気や事故も起きます。来ていただく外部講師は、400人に上ります。講師が突然来られなくなることもあります。

年間約80本の宿泊研修(それぞれ期間は3日から2週間)を実施することは、大変な作業です。それとともに、次回に向けて主題や内容、講師の入れ替えを検討します。自治体の電子化、働き方改革、危機管理などなど。社会の変化と自治体の悩みに応じなければなりません。
当研修所は、1987年にできました。先輩たちのおかげで、高い評価を得ています。2003年から2009年にかけて、教室や宿泊施設を増築しました。

他方で、施設の管理(立派な校舎と宿泊施設です。全景航空写真の奥、壁のような高い建物が宿泊棟、右側が増築部分)、職員の人事管理と組織の運営もあります。職員たちのおかげで、大きな問題なく運営することができました。また、社会の変化に応じた改革にも、取り組んでくれました。
近年では、業務と研修での電子化です。また、超低金利政策ために基金の運用益がゼロに近くなり、財政運営も課題です。専門家の指導を受けて、株式(ETF)の運用も始めました。
これからも、職員たちが、期待に応える研修を実施してくれると期待しています。