「体験談」カテゴリーアーカイブ

生き様-体験談

初期復興庁勤務者の会

6月27日と7月4日に、初期の頃の復興庁勤務者の会がありました。今回は、私の叙勲を祝ってくれました。
去年も開いたのですが、人数が多くてお店に入りきらなかったので(一部の人は参加できず)、今年は2回に分けての開催です。企画し実行してくれる幹事さんに感謝します。

参加者は、知人を誘うという形で声をかけ、ここまで広がったそうです。国家公務員だけでなく、企業から来てもらった人も多いです。同時期に在籍しなかった人も多く、「いつ、いましたか」「どの班でしたか」「今はどこですか」と名刺交換が行われています。「当時は、××で苦労しました」という会話も。楽しい夜でした。

家計消費状況調査

6月分の家計消費状況調査調査票を、記入して回答しました。昨年7月から引き受け、毎月月末に報告しています。

家計消費調査と言いますが、1か月の全ての支出を回答するのではなく、携帯電話代、授業料、衣類、医療費、家電、自動車など特定の支出です。ほかに、インターネットを使って購入したものもあります。私だけでなく、家族の金額を書き込みます。
我が家の場合は、携帯電話代はありますが、家電や自動車は該当しません。インターネットでの購入が、本だとかいくつかあります。
回答は、インターネットでできるので、この点は便利です。

去年の今頃に、調査員が訪ねてこられました。総務省の調査ですから、断るわけにはいきませんでした。期間は1年だったので、これで義務を果たしたはずです。

復興庁時代、記念の絵3

復興庁時代、記念の絵2」の続きです。こんなのも出てきました。
これは、2015年5月22日の福島特措法改正記念祝賀会の前売り券です。職員たちが打ち上げの会を設営しました。会費制にして、この券を参加者に売ったのです。

大きさは、紙幣の半分くらいです。券面の画像のうち、フルート中年はわかりますが、真ん中に透かしのように顔も入っています。その技術に驚いた記憶があります。偽札にはなりませんよね。この記事は、4か月も前に書いて、放置してありました。

70歳の半分は35年

勲章をもらって、70歳になったことを実感しています。60歳が還暦で、かつては人生の大きな区切りだったのですが。私は60歳の頃は復興庁勤務で、仕事の最中でした。

明るい公務員講座 仕事の達人編』(195ページ「人生を企画する」)で、「概ね20歳ごとに人生を区切るとわかりやすい」と説明しました。
最初の20年は学生で、人生の準備期。次の20年は、仕事を覚え役に立つ時期。40歳が人生の折り返しです。次の20年は、仕事で組織や社会に貢献する時期、60歳で引退して、次の20年は「余生」とです。
退職年齢が引き上げられて、この数字も少し伸ばす必要があります。

先日、取材を受けた記者は36歳とのことでした。「なんや、私の半分か」
それで考えてみたら、70歳の半分は35歳。私が生まれたのは昭和30年(1955年)で、それから35年後は平成2年(1990年)でした。今年は平成で言えば37年です。私の人生前半はほぼ昭和後期で、後半は平成だったのですね。バブル経済崩壊が平成3年(1991年)で、見事に日本社会の変化に対応しています。
36歳の記者は、日本の元気だった時代を知らないのですね。

叙勲4

叙勲2」「叙勲3」の続きです。
北日本新聞も、大きく扱ってくれました。
・・・39歳だった94年から4年間、県総務部長を務めた。当時の故中沖豊知事がさまざまな意見に耳を傾けながら熟慮する姿勢に多くを学んだとし「即決派の自分によく仕事を任せてくれたなと思う。度量の大きい人だった」と懐かしむ。
県庁内の運営に加え、県議会との調整や折衝に心を砕いた日々を「鍛えて導いてくれた全ての関係者に感謝したい」と振り返った・・・

記事を読んだ知人の家族の方は、写真と扱いが大きく、「岡本さんって、富山県人だったの?」と疑問に思われたとのことです。

この間に、たくさんの方から、お祝いやお言葉をいただきました。ありがとうございます。驚いたのは、ウィキペディアです。私の項に、すでに書き込まれていました。加筆してくださる方が、おられるのですね。ありがとうございます。