カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

部下の指導

今週も、金曜日を迎えることができました。先週に引き続き、あわただしい1週間でした。次々と仕事が舞い込み、自分の時間が取れないのです。訪ねてきてくださる方も多いですが、十分にお構いできず、失礼をしています。申し訳ありません。
でも、部下が次々と相談に来てくれることを、喜びましょう。事故が起きてから報告されるより、ずっと良いことですから。
その際に、部下の説明を聞いて、「それで良いよ」と言っておれば、こんなに忙しくないのでしょうが。部下の何人かは、私の「傾向と対策」を知りません。こちらも、部下職員それぞれの、仕事の「癖」を知りません。その距離感をつくるのに、時間がかかっているのです。
いろんな角度から質問をすると、補佐たちの考えた結論は、良い結論になっているのです。ところが、その説明たるや、自分が理解したところで終わり、相手にわかってもらおうという、「サービス精神」が欠けています。
1 早く報告と相談をせよ。
2 つばを飛ばして説明せず、紙に書け。
3 経緯はよいから、結論を先に書け。1枚にまとめよ。
4 一目でわかる標題にせよ。日付と発信者を明記せよ。
「明るい係長講座」と同じことを、繰り返し言っていますね。
「全勝審議官の傾向と対策」を知らない若手補佐からは、「うるさいやつだ」と言われているでしょうね。もっとも、これは今に始まったことではありませんから、部屋に戻って「やっぱり、今度の審議官は、うるさいわ」と言っているのでしょう(笑い)。
某局長からも、部下指導の悩みを言われ、「早く『明るい課長講座』を書け」と、催促されました。そろそろ、着手しますかね。

異動

7月4日付けで、総務省大臣官房審議官に異動しました。担当は、財政制度・財務です。自治財政局の審議官(除く公営企業)といった方が、わかりやすいですかね。
内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当)は、ほぼ2年間の在籍でした。経済財政諮問会議の事務方として、いろんな勉強をさせてもらいました。4人の民間委員の方にも、様々なご指導をいただきました。貴重な経験をさせてもらったことに、感謝しています。少しでもお役に立てておれば、うれしいのですが。支えてくれた同僚や部下職員にも、感謝します。
内閣官房内閣審議官の兼務で、再チャレンジ室長も務めました。これもまた、得難い経験でした。この肩書きは、引き続き付いています。
一流の官庁エコノミストに囲まれて仕事ができたので、経済でわからないことがあると、すぐに教えてもらえました。役得ですね。各省からもエースが来ているので、社会保障・公共事業など、何を聞いてもすぐに教えてもらえるのです。
この2年間は、日本の経済財政や社会と政治を勉強する、良い機会になりました。このホームページでも、違った分野の記事が増えました。現在連載中の「行政構造改革-日本の行政と官僚の未来」月刊『地方財務』(ぎょうせい)などにも、その見聞を反映させています。再チャレンジから見た行政のあり方は、文章にしました。「再チャレンジ支援施策に見る行政の変化」月刊『地方財務』(ぎょうせい)2007年8月号。
また、諮問会議の事務局であることと、官邸に近いことで、トップダウン型で仕事が進みます。各省の伝統的な、ボトムアップ型・定型的仕事の進め方ではないのです。今後、霞ヶ関でも、このような仕事の進め方が、増えるでしょう。
私のホームグラウンドは地方行政ですが、こうして離れた立場で、総務省や地方行財政を見ると、全体像がよく見えます。また、世間の人が、地方財政や総務省をどのように見ているかも、わかります。
私は、公務員は専門分野を持ちつつ、広く経験を積むべきだと考えています。その点で、「異業種交流」は、勉強になります。もちろん、親元で気心の知れた人と付き合っている方が、はるかに気が楽ですが。後輩たちも、このような経験を積んで欲しいです。省内で異動するのではなく、違った分野の行政を経験すること。そしてできれば、内閣官房や内閣府を経験することです。
さて、自治財政局には、4年半ぶりの復帰です。浦島太郎なので、勉強します。自分では、専門は地方財政と思っていたのですが、また周りの人もそう見てくれるのですが、実はそうでもないのです。富山県総務部長から戻って、これで10年になります。その間、内閣(省庁改革本部)が2年半、自治財政局(交付税課長)が3年、官房総務課長が2年半、内閣府・内閣官房が2年です。このうち地方財政は3年で、官房や内閣の方が、はるかに長いのです。
さらに副業が、東大2年、一橋大学2年、慶応大学1年半。これらも、地方財政ではないのです。最近執筆する原稿も地方財政を離れ、日本の行政になっています。仕事がそちらになったから私の問題関心が移ったのか、それとも神様が私の問題関心に沿って仕事を与えてくださっているのか。いずれにしろ、ありがたいことです。

最先端情報の入手・会うことの重要性

今日も、平野雅章『IT投資で伸びる会社、沈む会社』から。
・・技術動向に関する理解の必要性は、企業の属する産業によって違います。ハイテク企業であれば、研究所や駐在員をシリコンバレーにおき、技術者・科学者などとフォーマル・インフォーマルな情報交換を続けていくことが絶対的に重要でしょう。
通常、技術の先端的情報の微妙な部分は、学会・フォーラムやインフォーマルなミーティングなどでの技術者・科学者同士の直接接触を通じて、暗黙情報として交換されるので、これを得るためには先端技術開発の行われている地域に物理的に身を置くことが不可欠です・・(p89)。
そうなんですよね。大概の情報が、インターネットで手に入る時代になりました。ところが、人と会う重要性は、いっこうに減りません。最先端の情報で公開情報はインターネットで手に入ります。しかし、まだ公開されていない情報、それは不確定な、ものになるかどうかもわからない情報ですが、それらはインフォーマルな情報交換でしか手に入りません。これは、科学技術に限りません。
またこれとは違った場面でも、例えば人物評価が必要な場合は、会ってみないとわかりません。多くの場合、採用面接なしでは、人を採用できないのです。

二度とこのようなことが起きないように・・

先日紹介した、平野雅章『IT投資で伸びる会社、沈む会社』から。
・・「情報システムでは必ずトラブルが起きるものです」というと、驚かれるか不愉快な思いをされる読者もいらっしゃるかと思いますが、事実ですから仕方ありません。一般に、機械やシステムの信頼性を100%にすることは、技術的・経済的に不可能です・・
経営者が、あたかもトラブルの起きない情報システムや、事故の起きない原子炉が存在しうるように考えたり説明したり、記者会見で「二度とこのようなことが起きないようにします」と頭を下げることは、不可能なことの空手形を切っているのであり、自分自身と社会に対する欺瞞でしかありません。・・責任のある経営者は、システムトラブルが確率的に起きることを前提に、事業のリスクや責任の取り方を考えているものです・・(p120)。

社長と課長の違い

15日の朝日新聞別刷りbe、河原春郎ケンウッド会長のお話から。
東芝時代の28歳、アメリカのGE工場に派遣された時の強烈な体験。
・・当時日本で「開発」といえば、海外製品のまねを意味した。だが、米国で体験したのは「世の中にないものをつくり出す」という、まったく次元の違う作業。人種も性格も様々な技術者たちが、議論しながら頭の中にあるアイデアを形にしていく。発言しないと「会議に貢献しない人間はいらない」。自分のイメージを正確に他人に伝えるために、絵や文章に具体的に落とす作業がどれだけ大事かも、この時に学んだ・・
・・社長と課長の視座は違う。リスクの小さい計画をいくら足しても会社の戦略にはなりません。社長の仕事は、全社のリスクを負って方向性を決めること。多くの社長はそこも部下に下請けさせるから、外から大波をかぶったときに判断できない。
面白いたとえがあります。入社して「煙突」の中をはい上がり、社長や役員になって煙突を抜けパッと視界が広がる。自分は金箔をつけて出てきたと思っても、外から見ると煤だった。そんなギャップがある・・
「41年間東芝に勤めた生え抜きなのに、なぜそのギャップが生まれなかったのですか」との問いには、
・・僕は会社では「エイリアン」でしたから(笑い)。28歳でGEに行き、「世界とはこういうもんだ」と思って帰ってきて20年、「あいつは変だ」といわれ続けた・・