「仕事の仕方」カテゴリーアーカイブ

生き様-仕事の仕方

資料を作って説明するのか、説明するために資料を作るのか。その2

昨日の記事を読んで、質問がありました。「そんなええ加減な資料で、良いのですか?」と。
答は、「それで良いのです」。

だって、あなたがそのまま作業を続けても、それが上司の考えていることと合致しているかどうか、わかりません。違っていたら、無駄な作業です。早く案を見せて、上司と頭揃えをしましょう。
私としては、部下がどのような作業をしているか、早く知りたいのです。私の意図と違っていたら、早く修正しなければなりません。
上司の意図と違っていたら、それは多くの場合、上司の指示が不明瞭だったか、適切でなかったかです。もし部下に能力が足らなかったら、それは能力の足らない部下に、過大な指示を出した上司が悪いのです。

ここで、脱線します。
時には、「まだ、ここまでしか、できていないのか」とか、「こんなことを指示したのではない」と怒る上司が、いるかもしれません。そんなときは、「はい」と殊勝な面持ちで頭を下げつつ、早く上司の前を逃げ出しましょう。
たぶんその時、あなたは腹の中で「そんなに言うのなら、あなたが書けばよいでしょ」と思っているでしょう。そうです。ほとんどの場合、その上司は、自分も良くわからないのに、部下に「できていない」と叱って、照れ隠ししているのです。

もし、あなたに勇気があるなら、上司に赤鉛筆を渡して、「では、書いてください」と言ってみてください。もっとも、その後のことは、私は責任を持ちません(笑い)。
私は、上司に黙ってペンを差しだしたことが、何度かあります。最初から、赤鉛筆(その方の場合はBの鉛筆)を書類に添えて出した上司もいます。その方は、2Bや4B の鉛筆が好きでした。
これは、相手がそれを許す上司でないと、通じません。誰彼なしに行うことは、お勧めではありません。そもそも、それを許す上司は、部下を怒りませんわね。
いずれにしろ、部下をしかる上司は、上司としては不適格です(我が身を省みて、反省)。そもそも、上司が部下と同じ土俵で勝負していては、ダメです。部下とは違った角度から、抜けている点を加筆したり、次の段取りを指示すべきです。職場は、予備校の赤ペン添削教室ではありません。千本ノックは、別のヒマなときに行いましょう。

資料を作って説明するのか、説明するために資料を作るのか

今の職場での仕事は、前例がなく、前年通りというわけにも、いきません。毎日のように、初めての課題について、どのように対応するかを、考えなければなりません。その前に、誰が対応するかも、考えなければなりません。
職員が、知恵を絞って考えて、資料を作ってくれます。その際に、私と、スピード感がずれる場合があります。職員は一生懸命、完璧な資料を作ろうと努力します。一方、私は、なるべく早く、あるいは一定の期日までに、大臣や地元に対し答を示さなければなりません。しかし、難しい課題であると、いくら時間をかけても、完璧なものはできません。

「資料を作って説明する」では、間に合わないのです。「説明するために、資料を作る」=不完全でも説明してしまうことが、重要です。
私がするのは、指示を出す際に、「○月○日に、地元に説明するとしよう。そのために、そこから逆算して、×日前に大臣に説明する。その案を、今日から△日後に作って議論しよう」と、後ろを決めて段取りを示すことです。このような「工程表」では、決められた日までに、満足できる内容の説明資料ができない場合もあります。それは、仕方ありません。「完成度60%を目標に」とか、時には「完成度30%で良いわ」と指示します。
相手がある仕事ですから、時間も重要な要素です。「拙速をもって良しとする」。もちろん、課題の内容にもよりますが。

心を病む人

職場に、心を病む人がおられます。国家公務員に関する資料を、教えてもらいました。総務省が、平成22年6月にまとめた「福利厚生施策の在り方に関する研究会」の「報告書」です。
それによると、国民での精神・行動の障害者数は、15歳~59歳で、平成11年には1.37%であったものが、20年には2.25%になっています(報告書p9)。40歳代が多いです。
国家公務員にあっては、精神・行動の障害者は全職員のうち、平成8年には0.21%(1,050人)だったものが、平成20年には1.39%(3,922人)に急増しています。これは、一般職非現業国家公務員の70人に1人の割合になります(報告書p10)。年齢別では、30歳代が多いです。また、自殺者は、平成11年では138人、(10万人に対し17.1人)、平成19年では62人(同じく20.3人)です(母数になる国家公務員数が、民営化や独法化などで減っているので、このような比率になります)。
その原因が、仕事によるものか、家庭の事情か、それ以外の事由なのか、わかりません。いずれにしろ、大きな問題です。また、病気とまではいかないまでも、職場不適応の職員もいます。ご本人もつらいでしょうが、役所に限らず、管理職の人は悩んでおられると思います。

スーパーで考える、哲学と接客

今日の東京は、良い天気でした。近所のスーパーマーケットに、「お客様の声」という掲示板があります。買い物客が投書した「意見書」と、それに対する「店の回答」が貼ってあります。キョーコさんが「勉強になるわよ」と言っていたので、見てきました。
一つ目の投書は、「福島県産の卵ばかり置いてあります。被災地を応援しようということは理解できますが、そうでない人もいます。前のように西日本の卵も置いてください」でした。店の答は「福島県産の他に、××県(西日本の県)の卵も置いてあります」でした。
もう一つの投書は、「近くの別のスーパーでは、同じ品がより安いです。レシートを貼っておきます(実際に、レシートが貼ってあります)。お宅の従業員もあの店で買っているのを、よく見かけます」という趣旨でした。どう答えるのかなと見たら、「仕入部に伝えます。一度、お目にかかってお話を聞かせてください」でした。

交渉は人間の信頼関係が基本

月刊『中央公論』5月号に、岡本行夫さんが巻頭論文「日本盛衰の岐路-速やかにTPP交渉参加の決断を」を書いておられます。現在のTPP交渉参加議論に欠けている視点として、消費者利益の視点、攻めの視点、日本が得る利益の視点、サービス貿易の4つを挙げ、また、7つの誤解に答えておられます。その内容は本文をお読みいただくとして、ここで紹介したいのは論文の末尾に紹介されている「貿易交渉も人間関係が基本」という部分です。1973年から79年まで続いた東京ラウンドでのご経験です。

・・1977年、数多くの通商摩擦を抱えた福田赳夫首相は「対外経済担当」のポストを新設し、牛場信彦元駐米大使を任命した。
筆者(岡本行夫さん)は当時、牛場大臣のカバン持ちとして、牛場さんがカウンターパートであるストラウス通商代表と文字どおりテーブルを叩きあって大声でやり合う場面に何度か同席した。まことに激しい交渉であったが、二人の間には強い絆が生まれていった。信頼関係ができれば、お互いに「あいつがここまで言うなら、これ以上譲歩をさせられないな」という見極めがつく。いったん合意した後は、両者とも全力で国内を説得した。日本では、牛場さんを信頼していた中川一郎農林大臣が陣頭に立って国内をとりまとめた。国益のかかった通商交渉とは、かくなるものである・・

納得します。相手のいる交渉、そしてそれぞれ組織や集団を代表している場合に、「敵」は前(相手)にいるだけでなく、後ろ(味方)にもいます。交渉する場合には、この妥協案で「相手は、その後ろを説得できるか」と「私は、私の後ろを説得できるか」がポイントになります。いくら当方の案が「正しい」としても、相手側代表が後ろを説得できない限り、交渉は成立しません。その逆も同じです。
そして、しばしば後ろを納得させる方が、やっかいなのです。日露戦争で、ロシアと交渉を妥結させても、非難を浴びた小村寿太郎が良い例です。「俺の顔を立ててくれ」という台詞は、相手に向かって言っていますが、その実、「後ろに向かっての言い訳をくれ」と言っているのです。

また、岡本さんは、続いて次のようなことも書いておられます。
・・アメリカの司令塔は、カーク通商代表である・・これに対し日本は、国家戦略大臣、外務大臣、経産大臣、農水大臣、国交大臣、厚生労働大臣などの閣僚が交渉を分掌することになるのではないか。各々の閣僚が日頃からの人間関係もないまま、案件ごとにカーク代表と折衝したのでは、迫力を持たない。「首席交渉官」のほかに、本来は牛場対外経済担当大臣のような存在が望ましいのだが、法律で閣僚の定数を増やせない以上、だれか1人に交渉権限を集約し、カーク代表との強い信頼関係をつくるべきだろう・・