カテゴリー別アーカイブ: ものの見方

戦国大名と分国法

清水克行著『戦国大名と分国法』(2018年、岩波新書)が面白かったです。
日本史で少し習った、戦国大名がつくった法律=分国法についてです。この本を読んで、概要がわかりました。行政法+刑法+民法+商法のようなものですね。その内容は、本書を読んでいただくとして、もっと興味深かったのは、その定めの効力です。

それまで、制定法としては、律令や御成敗式目がありました。時代の変化と地域の実情に合わせて慣習法ができ、それらも取り込んで「国内法」をつくった意義は大きいでしょう。ところが、有力大名がみんな、分国法を作ったわけではありません。
そして、分国法の内容やなり立ちを見ていくと、大名が「強力な支配権で法令を発布した」のではなさそうです。部下に突き上げられて「協約」として結ばれたもの(マグナカルタのようです)や、部下が言うことを聞かないのでしびれを切らして定めたものもあったようです。
そしてなにより、結城氏、六角氏、今川氏、武田氏のように、その後しばらくして滅びた大名、伊達稙宗のように息子に追放された大名と、決して権力基盤が盤石ではなかったのです。逆に、だからこそ、制定法を作ったのかもしれません。

さらに、これら法令がどこまで守られたか。それも、判然とはしません。文書を見て、「立派なものができた」と考えるのは、早計です。
そのような、ものの見方を教えてくれる名著です。私は、そのような観点から、この本を読みました。

仏像と近代日本人

多川俊映著『仏像 みる・みられる』(仏像を見る、仏像に見られる)に触発されて、碧海寿広著『仏像と日本人-宗教と美の近現代』 (2018年、中公新書)を読みました。
明治時代から現在までの、日本人と仏像との関わり方を、分析した本です。切り口が鋭く、よく整理されていて、名著だと思います。仏像の分析ではありません。仏像の社会学と言ったら良いでしょうか。仏像や古寺ファンの方には、お勧めです。

信仰の対象だった仏像が、美術品となっていきます。写真となって、流布します。それは、御札(おふだ)ではなく美術品としてです。そして、一部知識人の鑑賞の対象から、一般人の観光の対象になります。修学旅行の定番となります。お寺ではなく、博物館で見ることが多くなります。
信仰の対象であった時代には、秘仏として、参詣者が見ることができない場合でも、仏さまは仏さまでした。見ることができないほど、ありがたいものです。しかし、美術品、観光の対象となると、見ることができない仏像は、対象となりません。

しかし、私たちは、お寺で仏像を見た時、単なる彫刻に対してとは違った思いを抱きます。ミロのビーナスやダビテ像を見る時とは、違った気持ちになります。
仏像を見る、仏像に見られる2」の記述で、私たちは仏様の目を見て、仏様の目を通して自分を見ると述べました。仏像写真家として有名な土門拳さんと、入江泰吉さんの言葉が紹介されています。

・・・ぼくは被写体に対峙し、ぼくの視点から相手を睨みつけ、そして時には語りかけながら被写体がぼくを睨みつけてくる視点をさぐる・・・土門拳、p159

入江泰吉さんが秋篠寺で伎芸天を撮影しようとした際のことです。ライトでは見えない仏様の表情が、ろうそくの明かりの前に現れます。
・・・そこでわたしは、灯明やローソクの明かりで仏像を仰ぎ見ながら祈りをささげた昔の善男善女の目にこそ仏像本来の慈悲のすがたが映ったのではないかとかんがえました・・・入江泰吉、p164

頭という限りあるキャンバス

飯田 芳弘 著『忘却する戦後ヨーロッパ』を読みながら(忌まわしい過去を忘却する戦後ヨーロッパ)、次のようなことも考えました。
「思考の枠」「頭は限りのあるキャンバス」ということです。これだけでは、何を言っているかわかりませんよね。

『忘却する戦後ヨーロッパ』では、独裁政権が倒れたあと、忌まわしい過去を忘れるために「忘却の政治」がとられます。しかし、その際には、積極的に「忘れる」という行為は取られません。他の政治課題が優先され、過去の断罪が脇に追いやられるのです。
多くの場合、「忘れよう」「許そう」とは主張されません。新国家建設(共産主義崩壊後は、たくさんの国が生まれました)、経済再建・経済発展などが優先課題になり、これらの課題は後回しになり、取り上げられなくなります。もっとも、国際社会からの要求もあり、その範囲では対応せざるを得ません。

すなわち、複数の政治課題がある場合に、同時にすべてを処理することはできません。ある期間に取り組むことができる思考には、限りがあるのです。
画用紙・キャンバスを想像してください。白地なので、何でも描くことができます。しかし、1枚の紙に書くことができる図柄には、限界があります。たくさん描きたい動物があっても、大きな象とシマウマを書くと、他の動物は描くことができません。そして、細かく書き込もうとすると、時間が無くなります。次の紙に描くしかありません。

新聞紙面も、わかりやすいでしょう。毎日、ニュースが伝えられます。しかし、その日の一番大きなニュースが大きな紙面を占めて、他のニュースは隅に追いやられます。ほかの日だったら、1面に来るニュースも、大災害の翌朝だと、載らないこともあります。そして、翌日には、次の朝刊が配達されます。

「思考の枠」「頭は限りのあるキャンバス」とは、このように、人が一時に考えることができる項目には限りがあることを、言いたいのです。これは、個人の脳とともに、政治空間や新聞紙面も同じです。
すると、何を重要項目として取り上げるか。これが、本人、政治家、編集者の重要な判断項目になります。嫌なことを取り上げないことも、同様です。「話をそらす」ことです。
他方で、「忘れてはならない重要な課題」は、その時には取り上げられなくても、忘れることなく考え続ける必要があります。そして、他に重要課題がない時に、取り上げるように準備しておく必要があります。

仏像を見る、仏像に見られる2

仏像を見る、仏像に見られる」の続きです。多川俊映・興福寺貫首著『仏像 みる・みられる』から。

・・・この阿修羅像には知名度では及びませんが、白鳳の薬師仏の頭部、いわゆる仏頭もすばらしいお像で、この仏頭こそ、本書の問題を解くカギだと思います。つまり、身体が失われているだけに、その仏眼、仏の視線がより強く私たちにせまってきます。まさに仏頭とは仏眼であり、仏像とはとどのつまり、仏眼にすべてが集約されるのだと思います。先ほど述べたように、トルソー仏像の法要から興福寺に戻って、仏頭の前に立った瞬間、――仏像って仏眼なんだ。と、それはある種の啓示といってよいものでしたが、同時に実は、「仏眼所照」というコトバも鮮やかに思い出されました。これは、仏眼が照見する対象のことです。つまり、「仏の視野の中にいる自分」あるいは「仏に見守られている自分」というものを私自身見出した瞬間だったのです。

このように、仏像とそれをみる私たちとの関係は端的に、「みる・みられる」という関係であり、「みている」のですが、同時に「みられてもいる」という関係なのです。「みる」一方では、この双方向がもつある種の緊張感はなく、双方向の関係だからこそ、人生にかかわる意義もそこに見出すことができるのだと思います。たとえば、私たちの日常でも、自分が関心をもってみているその人が、自分をみてもくれない――、そういう相手からのはたらきかけがなければ、その人間関係が進展しないのと同じです・・・p190~

・・・以上、仏像を見ることは仏像(仏眼)にみられることでもあり、なお、その「みられてもいる」という感覚がいつしか「見守られている」という身体感覚に転換していけば、それはある種究極の、仏像のみかたといってもよいかと思います。と同時に、仏像という対象に集中することによって、わが散心を常心へと方向づけ、少なくともひと時、心穏やかな時空に身を置くことができるであろうことをみてきました。しかし、仏像のみかたには、実はもう一つ奥があります。それは端的に、私たちを見守っておられる仏眼、つまり、仏や菩薩のもののみかた・人を見る目に学ぶということです・・・196~

なるほど。仏像を見ると言いつつ、私たちは、仏さんの目を見ていたのです。
あの山田寺仏頭が、なぜ私を引きつけるのか。それは、そのまなざしに引きつけられていたのです。火災に遭って、頭部だけ、しかもあばたになっておられても、私を引きつけるのは、あのまなざしだったのです。
仏さんが何を見ているか、私は仏さんの目を通して何を見ているか、仏さんはあの目を通して私の何を見ておられるか。仏頭を見ることによって、私は私の心を見ていたのです。
それを導く仏頭の目。その目を彫った仏師は天才ですね。

仏像を見る、仏像に見られる

多川俊映・興福寺貫首著『仏像 みる・みられる』(2018年、角川書店)が、勉強になりました。私たちが仏像を見る際の「気持ち」、すなわち、仏さまを見るとなぜ厳かな気持ちや落ち着いた気持ちになるのかを、明晰に説明しておられます。長年の謎が、解けました。

・・・古い仏像には、身体を欠いたいわゆる仏頭というのがある一方、頭部を欠いたトルソーのような御像もあります。つまり、仏眼が有るのと無いのという二つの例で、仏像というものを考えてみたいと思います。随分前まだ青年僧だった頃、筆者は、頭部を欠いたトルソー仏像を本尊にした法要に式衆として参加したことがありました。その仏像は奈良時代の作例で、衣文は実に流麗であり、全体の雰囲気もなかなか神秘的で、それは美しい御像でした。しかし、いざ法要になり礼拝し着座しても、なにか心が一向に落ち着きません。慣れない場所での法要でしたので、多生の違和感や緊張感はありました。しかし、それもふつうなら最初のうちだけで、その後だんだん心がしっくりと落ち着いてくるのですが、その時ばかりは、それこそ最後の最後まで、その違和感は消えませんでした。これは一体、どうしたことなのか――。

しかし、興福寺に戻ってきて、白鳳の仏頭を拝した瞬間、その原因がすぐにわかりました。――くだんの法要の本尊には、お顔がなかった! トルソーのようなお像でしたから、そんなことは最初からわかっていたはずなのですが、仏頭の前に立った瞬間、――仏像って仏眼なんだ。と、それこそ目からウロコでした。私たちは、礼拝のためであっても・鑑賞のためであっても、いずれであれ、この目で礼拝の対象・鑑賞の対象をみます。しかしそのさい、私たちがいわば一方的に見ているのですが、それは、その仏像の表情を看取してもいる。端的にいえば、みているのだけれど、同時に、みられていもいる。――つまり「みている」のと「みられていもいる」という双方向性のなかで、心がおのずからしっくりとしてくるわけです。そういうことが、トルソー像の場合、みてもいなし・みられているといういわばリアクションもない。――これでは、心が定まらないのも道理です・・・p181~

ここに出てくる白鳳の仏頭は、山田寺仏頭と呼ばれるものです。私が日経新聞コラム「仏像」で書いたあの仏頭です。この項続く