カテゴリー別アーカイブ: ものの見方

責任を取る方法3

責任を取る方法2」の続きです。失敗した後の、責任の取り方です。ここには、いくつかのものがあります。前回の表に沿って、説明します。

4 まず、責任を認めることです。
これは、責任を取ることの第一歩です。これに対し、「失敗を認めない」「他人に責任を転嫁する」「沈黙を守る」は、責任を認めない態度です。

5 法的責任
法律では、被害者に対して民事責任を負い、損害賠償を支払います。社会的には、刑事責任を追い、刑事罰を受けます。組織内では、規則に従って処分を受けます。

6 再発防止
このほかに、再発防止と分類できる、責任の取り方があります。二度としないと誓い実行すること。失敗を検証し、原因究明をして再発防止策をとります。また、今後の教訓とします。
これらは民事責任や刑事責任ではありませんが、社会にとっては重要なことです。
日本航空などは事故機を保存して、後世の戒めにしています。鉄道や飛行機事故が起きた際に、運輸安全委員会が原因究明調査を行い、必要な措置の実施を求め、事故の防止をします。
組織が失敗したとき、検証をして将来に活かすかどうかは、組織にとっても重要なことです。太平洋戦争における日本軍の失敗とアメリカ軍の強さを語る際には、しばしば指摘されます。

7 償い、道義的責任
法的責任ではない、道義的責任とも分類すべき行為があります。つぐない、罪滅ぼし、贖罪とも言います。
A あやまる
あやまることは、その第一です。あやまることは、法的責任ではありません。しかし、被害者も世間も、失敗した人や組織に求めることは、まずは謝罪です。マスコミでも、大きく取り上げられます。参考「お詫びの仕方

B 原状復旧をする、被害者支援をする
民事訴訟で原状復旧を義務づけられた場合は、5の法的責任ですが、法的責任は認められないまま原状復旧をする場合などです。
男女関係で「責任を取ってよ」と言われた場合などにも、当てはまるようです。

C 責任を取って職を辞める。組織を解体する。
「責任を取る」と言われる場合、責任者が辞めることがあります。組織を解体することも、同列でしょう。
太平洋戦争では、日本陸海軍が解体されました。原発事故では、経産省原子力安全・保安院が解体されました。

D 償いのしるし
慰霊祭をしたり、罪滅ぼしとして社会奉仕活動などをすることがあります。
例えば東電は、仮設住宅での生活支援や帰還に向けた草刈り、イベントの手伝いなどをしています。「復興推進活動
この項続く

責任を取る方法2

責任を取る方法」の続きです。以下、失敗した後のことを考えます。責任の取り方を、次のように分類しました。表を見てください。
表頭は、「被害者に対して」「社会に対して」を区分します。この区分が、一つのミソです。被害者に対し責任を取ることのほかに、社会に対して責任を取るということがあります。この二つのほかに、組織内での話があります。

表側は、「事前」「失敗した(事態が進行中)」「事後」に区分します。
2 「事前」は、責任を負うことに対して、責任を果たすことです。組織内では、職責を果たすことです。それを十分果たさなかったことで、失敗が起きます。
3 失敗が起きた場合(まだ事態が進行中)に、行わなければならないことは、被害拡大を食い止めること、被害者を助けることであり、事態を公表することです。その反対は、逃げることであり、隠すことです。この項続く

責任を取る方法

責任を果たすこと、特に失敗してからの責任の取り方について考えています。きっかけは、原発事故です。事故を起こした責任、防げなかった東京電力と国(経済産業省)の責任とは何かです。とんでもないことを起こしてしまった後の、責任をどう果たすか、責任をどう取るかです。また、私自身がこれまで、組織の失敗や不祥事で何度もお詫びをしてきたので、その整理の意味もあります。

「責任」という言葉には、さまざまな意味や使い方があって、そう簡単ではないようです。いくつか本を当たりましたが、しっくりくるものがありません。責任とは何かを論じていて、責任の取り方は書いてありません。哲学者と実務家と関心の違いです。私の問題関心から、ひとまず次のように理解しました。

1 責任には、失敗を起こす前と、失敗した後の2種類がある。また、失敗した後も、事態が進行中と事態が終了した後の2種類があります。
・事前の責任とは、その人や組織が背負っている任務で、その義務を果たすことです。「責任を負う」「責任を果たす」という場合です。
・失敗した際(事態が進行中)の責任は、被害拡大を食い止めること、被害者を助けること、事態を公表することなどです。この場合も、「責任を果たす」と言って良いでしょう。
・事後の責任は、失敗をした場合の後処理です。罪を認め、謝ることです。民事責任や刑事責任に問われます。このほか、原因究明や再発防止策をとることもあります。そして、職を辞する、組織を解体するようなこともあります。
この場合、責任は「責任を問う」「責任を認める」「責任を取る」というように使われます。

(備考)自己責任
「自己責任」という言葉があります。ここで述べているのは、被害者や社会に対する責任ですが、自己責任は、自ら招いた結果を自分で引き受けることです。株取引で損を出した、危険なところに行ってけがをした、努力をしなかったことで楽しい人生を送ることができなかったなどです。
この場合は、他人や社会に損害を与えたというより、自分が損をしたことや、他者からの支援を受けることができない場合です。
これも事前と事後に分けるなら、誠実に生きることで社会に対する責任を果たしていることが、事前の責任です。株取引で損をした(他者には迷惑をかけていない)、楽しい世活を遅れなかったこと(それで社会に迷惑をかけたら自己責任だけではありません)が、事後の責任です。「身から出たさび」「自業自得」です。参考「自己責任の時代
この項続く

世界を覆う「まだら状の秩序」

雑誌「アステイオン」第92号、特集 世界を覆う「まだら状の秩序」。池内恵さんの「すばらしい「まだら状」の新世界」から

・・・冷戦が終結した時、30年後の世界がこのようなものになっていると、誰が予想しただろうか。フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』で、自由主義と民主主義が世界の隅々まで行き渡っていく、均質化した世界像を描いた。それに対してサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、宗教や民族を中心にした歴史的な文明圏による結束の根強さと、それによる世界の分裂と対立を構想した。
いずれの説が正しかったのだろうか?・・・

・・・むしろ「文明の内なる衝突」の方が顕在化し、長期化している。イスラーム過激派は世界のイスラーム教徒とその国々を、国内政治においても、国際政治においてもまとめる求心力や統率力を持っていない。実際に生じているのは、イスラーム教徒の間の宗派対立であり、イスラーム諸国の中の内戦であり、イスラーム諸国の間の不和と非協力である・・・

・・・これに向き合って、自由主義と民主主義の牙城となるはずの米国や西欧もまた、求心力を失い、内部に深い亀裂と分裂を抱えている。「欧米世界」の一体性と、その指導力、そしてそれが世界を魅了していた輝きは、多分に翳りを見せ始めている。「欧米世界」は、外からは中国やロシアによる地政学的な挑戦を前にじりじりと後退を余儀なくされ、内からは、英国のEU離脱、米国のトランプ政権にまつわる激しい分断に顕著な、揺らぎと分裂の様相を示している。冷戦後に「欧米世界」に歓喜して加わった東欧諸国をはじめとしたEUの周縁諸国からは、あからさまに自由主義や民主主義をかなぐり捨て、ポピュリズムと権威主義の誘惑に身を投げるかのような動きが現れている。
歴史は自由主義と民主主義の勝利で終わったわけでもなく、まとまりをもった巨大文明圏が複数立ち上がって世界を分かつこともなさそうである・・・