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日記

大雨に長雨、冷夏

各地で大雨が続き、被害も生じています。早く収まり、復旧することを願っています。
東京も、今日も雨でした。最低気温が19度で、最高気温が21度。これが8月の気温?
先日までの猛暑が、嘘のようです。先日から、服装を変え、布団も変えました。

コロナ外出自粛で、子どもたちは遊びに連れて行ってもらえず、大人も夏休みの旅行が思うようになりません。その上に、この雨です。
外出が減ることにはつながるのでしょうが。家の中に閉じこもっていると、大人も子どもも気が滅入ります。
甲子園の高校野球も、順延が続いています。農作物への影響も出るでしょう。困ったものです。

アサガオが咲きました

今年も、孫娘と種をまいたアサガオ。種をまくのが遅く、お向かいのお師匠様に「生育が遅く、蔓も細いですね」と、診断を受けたのですが。
その後元気よく葉が茂り、蔓も太くなりました。支柱と水平の枠(円形の針金)に這わせているのですが、ジャングル状態になっています。

ところが、花が咲きません。生育が遅いのか、肥料を間違えたのか。
ようやく昨日7日に、一輪咲きました。でも、次のつぼみが見当たりません。気長に待ちましょう。
記録を見たら、去年は7月28日、一昨年は8月5日でした。

別世界のようなスロベニア風景

今日は趣向を変えて、涼しげで雄大な風景をお見せします。
どこだと思いますか。スロベニアです。どこにある国か、ご存じない方も多いでしょう。中央ヨーロッパ、旧ユーゴスラビアです。イタリアのベニスの東といったら、位置はわかるでしょうか。しばし、日本の蒸し暑さを忘れてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は、松島浩道・駐スロベニア大使の提供です。

松戸散歩2

松戸散歩」の続きです。
帰りに、駅前の高台にある、旧陸軍の工兵学校跡を見てきました。これも、訪ねたいと思っていました。亡き父が、訓練を受けたところなのです。

1921年生まれの父は、職業軍人ではなく、召集を受けた後、陸軍予備役将校となる幹部候補生試験に合格しました。戦時中で不足する将校を補充するため、士官学校卒の将校(職業軍人)以外に、このような選抜教育の仕組みがありました。そのような試験があることを知らずに入隊し、夜に便所の明かりで猛勉強をしたそうです。
「幹候試験は、奈良県内で数人しか受からない。高文試験(高等文官試験)より難しい」と語っていました。(その息子は体格も立派でなく、陸軍士官学校も廃止されていたので、高等文官試験の後継(国家公務員上級職試験)を受けました。)

しかも工兵という兵種で、松戸の工兵学校で教育を受けたのです。体格がよく、運動能力もよく(県内の陸上競技での入賞メダルもありました)、工業学校卒ということで、工兵に配属されたのでしょう。大阪高槻から東京赤羽、そして松戸で教育を受けました。
目の前にある江戸川で演習をして、橋を架ける訓練のほか、寒い季節に川に浸かって布を縫う訓練もあったそうです。要領のよい生徒は、事前に針に糸を通しておくのだそうです。手がかじかんで、針の穴に糸を通すどころではないとのことでした。

私が父と暮らしていた頃、高校生までですが、父が友人と酒を飲んでそんな話をするのを、横で聞いていました。戦争が終わってまだ20数年後のことです。いくつかの話を覚えているのですが、もっとしっかり聞いておくべきでした。
父が亡くなってから、ふと「松戸の工兵学校」を思い出し、インターネットで検索したらいろいろと載っていました。そこで、一度は訪ねたいと思っていたのです。父が元気なうちに、一緒に行くべきでした。

その後、父は准尉、少尉となり、中国旅順にあった船舶工兵の部隊に配属されました。大発(大発動艇)で敵前上陸する部隊です。海軍でなく、陸軍にあったのです。
そして、北は満洲ソ連国境、南はフィリピンからインドネシアへ。それらの経験は、一冊の本になるくらいです。それはまた別の機会に。

松戸散歩

先日、キョーコさんのお供をして、松戸市にある戸定(とじょう)邸を見てきました。

徳川慶喜の弟、水戸藩最後の藩主である徳川昭武が、明治時代に作って住んだ屋敷です。NHKの大河ドラマでも紹介されたとのことで、ご存じの方も多いでしょう。
私も一度は見てみたいと思いつつ、先延ばしにしていました。東京からだと、江戸川を超えれば松戸ですから、近くです。福島県の浜通の往復には常磐線を使っていたので、何度も通過していたのですが。

松戸駅から歩いて10分です。高台にあり、眺めもよいところです。建物も庭園も、きれいに修復されています。お勧めです。ただし、コロナ対策で、人数制限があります。しばらく待てば、入ることができます。
このような住宅が、よく維持保存されたものですね。私は時々、BS朝日の「百年名家」を見ます。「新しいものがよい、それも洋風がよい。古い日本のものは価値がない」と考えてきた近代日本の中を生き抜いてきた優れもの、運の良いものたちです。

テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」も、日本の古美術を発掘しています。この番組に先だち、イギリスの個人が持っている古美術・古いものを鑑定する番組がありました。「ヨーロッパは古いものを大切にするんだなあ」(少々けちくさいな)と思ってみていました。
ようやく日本も、新しく建て替える、買い換えることがよいこととは限らない。古いものにも価値がある。輸入物でなく日本にも良いものがある。美術館博物館に所蔵されているものだけでなく、個人宅にも良いものがあると、意識が変わったのでしょう。

駐車場売店の木陰で、ゆかりのコーヒーを飲みながら、地元の野菜を売っているおじさんに、いろんな話を聞いてきました。
最後に「どこから来られましたか」と聞かれたので、キョーコさんが「東京です」と答えました。たぶん私たちが立ち去った後に、おじさんたちは「関西弁だったよな」と、しばらくこの話題で楽しめたでしょう。お土産を買うとともに、良いことをしてきました。
この項続く