カテゴリーアーカイブ:人生の達人

人生の意味は誰が決めるのか

2024年2月7日   岡本全勝

1月18日の日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」は、森岡正博さんの「人生の意味は誰が決める」でした。

・・・自分の人生に意味があるかどうかは、その人生を生きている本人が決めればいいことだろうか。それとも、誰の目から見ても意味のない人生というものがあるのだろうか。これは悩ましい問題である。
日本で問いかけると、多くの人たちは次のように答える。「自分の人生に意味があるかどうかを決めるのはその本人なのであって、他人からとやかく言われる筋合いのものではないのだ」と。
だが、現代の哲学者のあいだでは、そのように考えない人のほうが多いと言えるだろう・・・
そして、次のような問題提起がなされます。
「一日中、マリファナを吸ったり、クロスワードパズルを延々とし続けることは、その人の人生に意味を与えない。ヒットラーの人生には大きな意味があったと認めるのか」
詳しくは原文を読んでいただくとして、難しい問題です。

どうやら、ここで問われている「意味」には、二つのものがあるようです。一つは、本人が考える意味。もう一つは、社会が認める意味です。
しかし、人は一人で生きているのではなく、社会の中で他者との関わりの中で生きています。意味もまた、社会との関わりの中で見いだせるものであって、個人で見いだせるものではないでしょう。参考「公共を創る」第54回。宇野重規著『〈私〉時代のデモクラシー』(2010年、岩波新書)

かつては、人生の意味は神様が与えてくれました。また、職業選択の自由がなく、食べるのに精一杯の時代では、人生の意味に悩んでいる時間はありませんでした。自分の人生を自ら選ぶことができるようになって、このような悩みが生まれました。

私は、人生の意味は、毎日を精一杯生きること、そして人生を続けていくことで、できてくる、見えてくるものだと考えています。この項続く。

部下の諫言「もう付いていけない」

2024年2月6日   岡本全勝

1月17日の日経新聞「私の課長時代」は、永沢昌・東京電力リニューアブルパワー社長の「耳に痛い諫言、目が覚める」でした。

・・・部下を持ったばかりのころ、私の目には上司しか映っていませんでした。現場への指示が二転三転しても全てのみ込み、その分の負担を部下に強いていました。リーダー失格でしたね。
都内の支店で3年勤めた後、私は企画部に異動します。すぐ「選択を誤った」と痛感しました。職場は先鋭的な社員の集まりで常に張り詰め、後に社長を務めた上司が2人も在籍していました。緊張感に耐え切れずトイレに駆け込むこともありました。

2002年に6人の部下を持ちます。担当は電力需要の予測でした。電力は「産業の鏡」といわれ、需要が拡大しており、競合と伍すために上長から頻繁に市場分析のリポートを求められました。業務遂行のためいつも切迫していました。
ある時期、会議などで部下が目を合わせてくれなくなりました。問い詰めると1人が「もう付いていけない。ここは苦しみを共有する雰囲気がない!」と心情をぶつけられました。瞬間、頭が真っ白になりました。私は冷静さを取り戻すので精いっぱいでした。

自分自身も同様に重圧に苦しんでいたはずです。部下の言葉に目が覚めました。「職場の心理的安全性」と「諫言(かんげん)してくれる部下」の重要さを学び、管理職の責務に向き合う転機となりました・・・

勉強する部屋づくり

2024年2月3日   岡本全勝

1月20日の日経新聞「すっきり生活」に「勉強がしたくなる部屋の作り方 ロジカル片付け術」が載っていました。
・・・「今年こそ資格を取得してスキルアップしたい」。元旦に立てた目標も、いざ実践するとなるとなかなか難しい。自宅のレイアウトを見直すことでやる気を出せるかもしれない。
まずは勉強する場所をみてみよう。リビングやダイニングで勉強をする際、家族と目が合う方を向いていないだろうか。家族が動くたび、目の前の作業が分断され、集中力が途切れてしまう。壁や窓の方向を向き、お互い背中合わせで作業するのが理想だ・・・

記事ではその後に、さまざまな工夫が載っていますが、ここでは重要な点を紹介します。それは、集中を妨げるものを排除することです。趣味の品々、読みかけの本、テレビ、お菓子・・・。

家で仕事に集中できないことには理由があります。
まず、職場と違って、家はくつろぐ場所です。家の中の仕組みも品々も、そのようにできています。そして私たちの意識が、「家はくつろぐ場所」と思い込んでいます。
次に、居間にしろ食卓にしろ、誘惑だらけです。部屋の配置や家具を動かすことは難しいので、せめて目に入る範囲の「誘惑物」を隠しましょう。

タテ社会をヨコに生きる

2024年1月29日   岡本全勝

1月25日の読売新聞夕刊「追悼抄」に加藤秀俊先生が取り上げられていました。私は大学時代に先生の著作に触れ、目を開かされました。
記事には、「生まれつきの好奇心と独学の精神、「タテ社会をヨコに生きてきた」と自負する行動力が持ち味だった」とあります。そうですね、先生の研究やかつての京都大学人文研には、専門分野を超える独自性がありました。

私も、そうありたいと思っていました。広く天下国家のことを議論できると思って官僚になったのですが、タテ社会である行政、そして各省ごとの縦割りは厳しい世界でした。縄張り争いなどをしていたのです。
そのような中で、違った世界の人との付き合いは、視野を広げてくれました。「異業種交流会」という名の夜の飲み会も、身内や同業者との懇談(傷のなめ合い)よりずっと勉強になりました。

時に私の言動について、「官僚らしくない」「霞が関の治外法権」という評価をうけましたが、私にとっては勲章でした。「出すぎた杭は打たれない」という座右の銘(?)もありました。
タテ社会をヨコに生きることはできませんでしたが、タテ社会をナナメに、そしてタテ社会を少しははみ出して生きることができたようです。

勤勉で一生懸命が人に好かれ、人に恵まれる

2024年1月28日   岡本全勝

日経新聞夕刊「人間発見」、1月22日の週は東野智弥・日本バスケットボール協会技術委員長の「世界の壁破る 日本バスケ躍進の仕掛け人」です。
バスケットボールのコーチの技術を習得するために、アメリカに渡ります。大学のバスケットボール部に頼み込み、使用人のような立場から始めます。いわゆるぞうきんがけをして、コーチになることができました。

24日の記事に、次のような話が載っています。
「かなり無謀な米国行きでしたが、ギリギリのところで幸運な出会いがありました。力になってくれる人に恵まれた一因は僕が好かれたからではないでしょうか。好かれた理由は、僕が勤勉で一生懸命だったからだと思っています」