「人生の達人」カテゴリーアーカイブ

生きにくい生き方

今日の帰りの電車での、出来事です。携帯電話で話ながら、中年の女性が乗ってきました。そのまま、大声で話し続けます。持っていた荷物は、隣の座席に広げて。そんなに混んではいなかったので、そのために座れない人が出たわけではありませんが。電話の内容は小学生の子どもの話らしく、さらに声が大きくなります。同じ車両に乗り合わせた人たちは、何だろうと、その女性の方を見ます。女性は、2駅ほどで、話を続けながら降りていきました。きっと、自ら人生を難しくして、生きておられるのでしょうね。

梅棹先生ご逝去

梅棹忠夫先生が、お亡くなりになりました。90歳とのことです。ご冥福をお祈りします。
私は密かに、梅棹先生の弟子を目指していました。『モゴール族探検記』『文明の生態史観』『知的生産の技術』から始まって、アフリカもの、日本文化論・・・。オリジナリティのある研究、壮大な視点、それを新しい学問分野に育て上げる構築力、そして国立民族学博物館に見られるような組織力、さらには、わかりやすく庶民にPRする戦略。大したものです。
私は、大学生の時に、先生を始め京都大学人文研の業績を知り、その後かなりのめり込みました。結構、著作は読んだつもりです(2006年5月4日、私の読んだ本)。そこから、新しい発想法やわかりやすい表現など、かなり「盗ませて」もらいました。今の私がある、私の発想法があるところのかなりの部分は、梅棹先生、清水幾太郎先生、加藤秀俊先生たちにあると感謝しています。たぶん、東大法学部にないことを、求めていたのだと思います。
もし、今の職業を選んでなかったら、この文化人類学か、子どもの時にあこがれた飛鳥の考古学の世界に、進んだだろうと思っています。それら発想の自由さを求められる世界と、全く違った世界に進みました。これも、人生の妙でしょうね。

続丹羽会長の教え・トップの情熱

NHKテレビ「仕事学のすすめ」、丹羽宇一郎伊藤忠相談役の「人間力養成術」。テキスト「仕事学のすすめ」(NHK出版)から。
p54
メールだけでは、トップの情熱や気迫は伝わらない。だから、全社員総会をはじめたのです。「みんな集まれ、私が直接出て原稿なしで自分の気持ちをしゃべるぞ」。そうすると、経営者は本気だな、本当のことを言っているなと、社員はわかるのです・・アメリカの心理学者の研究によると、スピーチの印象は、50%がしゃべる人の容姿、40%が情熱、10%が話の内容だそうです。
会長が、哲学を語り、経営方針を説明し、みんなにしっかり教え込んで、というのは時間の無駄でしょう。そのようなことは、ペーパーでやればよいことです。要するに、経営者がいかに情熱と気迫を持ってこの会社を引っぱっていこうとしているのかということを、目的を明確にして、それを簡潔に伝えられればいいのです。
p71
今の若者の質が悪くなった、外国人と競争する気概をなくしていると言う人がいますが、これは会社のトップが悪いのであって、急に若者のクオリティーが劣化したということではないと思います。
日本の会社員は時間的にもたくさん働いているような気がするのですが、実は働いたふりをしているだけの人も多いのです。部下は上司の背中を見て育つのです。迫力も気力もなくて情熱もなくて、怒りを忘れた上司を見ていたら、若い人間はこういう生活をしていても出世できると思いこんで、怒らない、おべんちゃらばかりを言う、気迫も情熱もそれほど感じられない、そういう人間に育つのです。
上司なりトップが、きちんとした姿勢を見せないからいけないのです。
・・人間は、気力、情熱、気迫というものがないと、成長しません。

人は、安住すべきか動き回るべきか

20日の日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」に、外山滋比古教授が「転がる石」を書いておられました。
イギリスでは、「転石苔を生ぜず」ということわざが、住まいや職を転々と変える人間は成功しない、という意味になります。アメリカでは、逆に、有能、活発な人は常に新鮮だ、という意味になります。
日本では、長くイギリスの意味で使っていましたが、戦後、アメリカの意味に変化しつつあると、先生は指摘しておられます。
私が思うに、成長過程にある人、成功を求めて努力する過程の人は、アメリカ流解釈なのでしょう。成功したら、イギリス流の発言もできるようになります。もちろん、変わるといっても、筋を通さず、言動がころころ変わる人は信頼されず、成功しないでしょう。

高校の同窓生

今日は、またまた、高校の同窓会の幹事会。会議が終わったあとの、2次会が大変です(笑い)。
「あの先生が、お亡くなりになって・・」「えー、まだお若いと思っていたのに・・」と、話がはずみます。
みんな、自分が18歳の時を基準に、話をします。その時30歳だった先生は、今は67歳です。当時50歳だった恩師は、今は87歳です。しかし、私たちの映像は、昭和48年で止まっています。そして、自分たちが55歳になったこと、当時の先生たちより歳を取ったこと、さらに子どもたちが当時の自分たちより年上になったということを、すっかり忘れています。