昨日の帰りの新幹線です。帰りもB席でした。同じ列のD席の男性が、駅弁を食べ、ビールを飲み、新聞を読み・・・。それらのゴミを、C席とD席の前の座席のポケットに入れます。東京駅に着いたときにどうするのかなと見ていたら、そのままにして降りていきます。大きく倒した座席も、そのままです。
大臣秘書官の時に、新幹線を降りるとき、ゴミをそのままにして降りようとしたら、大臣が片付け始めました。言い訳をすれば、私は大臣と私の鞄を持っていて、また次の行動を考えていたのです。「ゴミは清掃員が片付けてくれるわ」と思っていました。それ以来、恥ずかしくなって、到着する直前にすべてのゴミを片付け、リクライニングシートを元に戻すようにしました。
ホテルに泊まったときもそうです。大臣も総理も名前が売れているので、シーツや洗面台を汚いままにして部屋を出るわけにはいかないのです。
新幹線の清掃が、短時間で丁寧なのは有名です。発着本数の多さに比べ東京駅のプラットフォームの少なさが、その要因なのですが。お客さんが協力することも、日本社会の良さです。
そのお兄さんに対しても、小心者の私は、黙っていました。
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生き様-生き方
新幹線の人生修養道場
今日の盛岡出張は、企画も良く、また往復の新幹線の中で原稿執筆が進んだので、満足できるものでした。ところが、車中がいけません。
まず、行きの新幹線です。中年から若手の女性の軍団が、乗り込んできました。社内旅行のようです。先頭のおばさんは、片手で旅行鞄を引き、もう一つの手では自取棒で、自分たちを映しながら入ってきます。カメラに向かって解説をしながらです。彼女たちの後ろには、ほかの乗客の長い列ができました。
私の座席は1B。彼女たちは1~4あたりのCとDです。早速、1と2の座席は向かい合わせにして、おしゃべりに興じます。まあそれは、しかないとして。大きな手提げ袋とリュックを、網棚に乗せず、また1列の背もたれの後ろ、ドアの壁との間が空いているのにもかかわらず、通路に置きます。通路は半分がふさがります。時々揺れると、倒れて通路をふさぎます。そのうちに、靴を脱いで、その靴を通路に置きます。当然、通る客はそれをよけ、車内販売のワゴンが来たら、よけてもらわないと通ることができません。さらに、携帯電話で話し出します。
今どきこんな人たちが、グリーン車に乗っているのですね。注意したかったのですが、小心者の私は、黙って見ていました。この条件下で、どれくらい原稿が書けるかに挑戦しました。笑い。
彼女たちは、函館まで行くようです。私が盛岡駅で降りるときに、ちょうど車掌さんがいたので、「上手に注意してやってください」と伝えたら、「わかりました」と返事が返ってきました。
自分がコントロールできることとできないこと
朝日新聞2月27日朝刊スポーツ欄、西村欣也・編集委員の「スポーツというレンズがあったから」から。
・・・超一流アスリートを取材していて生き方を教わることがある。例えばイチローと松井秀喜だ。全く違う個性の2人から同じ言葉を聞いたことがある。
イチローが首位打者争いをしていた時、ライバルのその日の成績を伝えた。彼の言葉は「愚問ですね。彼の打率は僕にはコントロールできませんから」。
松井はヤンキース1年目、出だしでつまずいた。成績があがらない。ニューヨークのメディアは厳しい。「気にならないか」と松井に聞いた。「気にならないですよ。だって彼らの書く物は僕にコントロールできないもの」
つまり、自分にコントロールできることとできないことを分ける。コントロールできないことに関心を持たない。これは日常生活にも採り入れられる生き方だと思った・・・