カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

頭を下げてぎっくり腰になる

黒江・元防衛次官の回顧談第12回「官房業務 ~官房とは謝ることと見つけたり~」に次のようなくだりがあります。

・・・担当局長が委員会に出席 して謝罪し、やっとのことで事態が収束した直後のある日、官舎の浴室で風呂の蓋をとろうとしてかがんだ瞬間に腰に鋭い痛みが走り、動けなくなりました。典型 的なギックリ腰でした。
整形外科にかかつたものの痛みがひかず、厚労省のある先輩に教えて頂いたカイロプラクティック医院で診察してもらったところ、「太腿の後ろの筋内、ハムストリングが張つています」という思いがけない診 断結果を告げられました。
さらに「黒江さん、最近お辞儀みたいな動きをしましたか ?」と問われたので、「ここ一年近くずつとお辞儀をし続けて来ました」と状況を説 明したところ、「ギックリ腰の原因はそれです !お 辞儀の動きは大腿に負担がかかるのです。太腿の裏が張つて負担に耐えられなくなると、次は腰に来て、最後はギックリ腰 になるのです。労災の認定を受けられると思いますよ」と真顔で言われました。
さすがに公務 災害は申請しませんでしたが、今思うと申請していたらどうなつていたのか興味があります。ともあれ、この医院に二、三週間通つた結果、幸い腰痛は治りました・・・

この話は、このホームページで、主語を明らかにせず載せたことがあります。「お詫びと筋肉の関係

悪い条件でも立派な演奏をする

2月18日の日経新聞夕刊「こころの玉手箱」指揮者の藤岡幸夫さん「ヘブラーとの共演」でした。
有名なピアニスト、イングリット・へブラーさんとの共演したときのことです。
会場に着くと、ピアノはとても小さく傷だらけ。調律されていますが、同じタッチで弾いても鍵盤によって音量が変わるという代物です。へブラーさんが怒って帰るのではと、みんなが心配しました。
へブラーさんも、「これはピアノじゃないわ」とあきれ顔。開場直前まで、誰も寄せ付けず一人でピアノを弾き続けたそうです。
そして本番。みんなが仰天しました。同じピアノと思えない美しい音色。
藤岡さんが「すごい、奇跡です!」と言うと、笑みをたたえて一言「もちろん、私はプロフェッショナルですから」

藤岡さんは「失敗を他人のモノのせいにするのは、本当のプロではない」と締めくくっておられます。

貨物列車

12月7日の朝日新聞夕刊「凄腕しごとにん」は、「大橋真一さん 育てた貨物機関車の運転士、545人」でした。

・・・全国に張り巡らせた鉄道網を使い、日本の物流を支える貨物列車。無数のコンテナを積んだ列車は最長500メートル、運ぶ貨物は10トントラックで最大65台分にもなる。
工場や市場などの荷動きにあわせて、列車の長さや重さも毎回変わる。同じ区間でも、速度調整やブレーキの具合も毎回異なる。長距離運転だが、車掌はおらず運転士1人で運行するため、トラブルが起きても1人で対処する必要がある。
そんな貨物機関車の運転士になるには、約8カ月間の特別な講習を受け、国が指定する試験に合格しなければならない・・・

へえ、500メートル、10トントラック65台分を、一人で動かすのですか。福島に通っていたときに、しばしば福島駅を通過するコンテナ列車を見ました。「長いなあ」と思っていたのですが。

職場の失敗、社長は辞任すべきか

12月9日の日経新聞夕刊コラム「十字路」は、「東証社長は辞任すべきだったか」でした。
・・・なんとも後味の悪さを残す処分だった。東京証券取引所のシステム障害と売買停止の責任を取り、宮原幸一郎社長が11月30日付で辞任した。本人が強い意志を固め、自ら辞任を申し出たという・・・それでも、果たしてトップが辞任する必要があったのかは議論の余地があろう。
海外取引所もたびたびシステム障害を起こすが、トップの辞任に発展した例は聞かない。11月にほぼ終日売買を止めた豪証券取引所は、おわびのリリースを出しただけだ。
東証は過去に大規模な障害を起こした反省から「ネバーストップ」をスローガンに掲げ、絶対に止まらないシステムの構築を目指してきた。
だが絶対に止まらないシステムなど存在しない。止まるたびにクビを差し出していては、いくらクビがあっても足りない。東証自身もいうように、障害が起きた際の「回復力(レジリエンス)」を高めることの方がより重要だ。

今回の東証のトップ辞任の根底にあるのは、常に完全無欠のシステムを求める日本社会に特有の暗黙の前提だ。それが東証の萎縮や過剰な品質を招きかねないリスクに、我々は目を配るべきだろう。
今回の売買停止に対し、内外の投資家からは不満はほとんど出ていないという。金融庁は「投資家の信頼を著しく損なった」と東証を批判したが、そもそも投資家が寄せる期待はそこまで高くなかったということだ。市場の魅力を高めるために、やるべきことは山積する。東証に萎縮している暇はない・・・

同感です。失敗や不祥事が起きると、おわびの記者会見があり、その際に「今後二度とこのようなことのないようにしてまいります」と発言があります。それを見ていて、時に「そんなの無理だよな」と思うことがあります。
原発事故は起こしてはなりませんが、自動車事故はしょっちゅう起きます。職員の不祥事も、職員数が多いと完全に防ぐことは無理です。
記者会見で社長を追求している記者さんだって、属している会社が「絶対不祥事を起こさない」とは考えていないでしょう。

復興政策を社会の中に位置づける、その2

復興政策を社会の中に位置づける」の続きです。

復興作業を、どのように位置づけるか。これは、事前に決まっているわけではなく、実行することで見えてきました。大震災は、これまでにない被害と行政です。従来にない手法を採用することで、行政の歴史の中で新しい位置を占めることができるのではないかと、考えるようになりました。

結果としては、次のようなことができたと考えています。
・「国土の復旧から暮らしの再建へ」。私は、これが一番の成果と考えています。インフラ復旧だけでは、人の暮らしや町のにぎわいはもどらないこと。産業と生業の再建、コミュニティの再建が必要なこと。政府はそれに取り組むべきこと。
・そのためには、行政だけでは実現できず、事業者やNPO、町内会の役割も重要なこと。それらの人と協働すること。
・資金だけでは事業やコミュニティの再建はできず、人とノウハウの支援が重要なこと ・復興庁という窓口で一元的に対応し、各項目は各省やNPOなどの専門組織に委ねることが効果的なこと
など、 行政運営や地域経営に、新しい知見をつくることができたと思います。参考「復興がつくった新しい行政ーまちのにぎわいの3要素

その時々の出来事や仕事を、いくつも羅列される事件の一つではなく、社会と歴史の中で意義あることとし、位置を占めるようにしたい。それを、関係者も自覚し、報道機関や国民にも理解して欲しいと考えていました。

この復興政策の成果と変化が、今後の行政の中で位置を占めることができるかどうか。いくつかの施策は、災害復旧の「標準装備」になりました。避難所の生活環境改善、グループ補助金など。ただし、一般的な災害に関しての復興政策を所管する「復興庁」はできていません。

それとともに、未曾有のことが起きたときに、迅速かつ的確に組織をつくり対応すること、新しい事態に柔軟に対応していくことです。これは、災害復旧政策ではなく、行政運営の仕方です。
最近では、未曾有の出来事として新型コロナウィルス感染拡大があります。その対応の際に、大震災対応の経験と教訓が活かされたかどうかです。