「仕事の仕方」カテゴリーアーカイブ

生き様-仕事の仕方

職員の反論

今朝、出勤すると、週末の金曜夜から日曜日までの間に、20通ほどのメールが届いていました。その中に、仕事の報告のメールに続いて、同一職員から「お詫びのメール」が来ていました。その趣旨は、「先ほど、仕事のメールを送りました。休日出てきたことについて、大目に見てください。今後、作業がますます忙しくなるので、今のうちにできることは片付けておきたいのです」とのことでした。
私が日頃、職員に「できる限り休日出勤するな」と言っていること、また夜遅いメールや休日のメールには「そんな時間に働いているのか」と返信するので、彼が先手を打ったということです(苦笑)。
彼らの仕事への取り組み姿勢に、頭が下がります。申し訳ありません。

責任者の発言

ある人との会話。組織の責任者、特に選ばれてなる人は、どうあるべきか。
なる前には、「私はこれをしたい」と言う。
なったら、「これはできるが、それはできない」と言う。
やめたら、「これをした」と言う。
そうありたいですね。

毎日忙しいのに、なぜ達成感がないのか

先日、「8月も終わりです」と、書きました。なぜ、「いつの間に、8月が過ぎたのだ」と、いうような発想になるのか。思い当たりました。それは、最近、リズムに欠ける、あるいは節目の少ない仕事の仕方をしているからです。
皆さん、今年の夏は、何をしましたか。いくつかの出来事や成果を、挙げることができるでしょう。では、手帳を見てください。手帳に、それは書いてありますか。
私が指摘したいのは、そのことです。毎日の予定は、手帳に書いてあります。「何時から会議」「何時から、誰某と会う」とか。でも、1か月かけて仕上げた仕事は、手帳には出てきません。毎日の事件を書き連ねても、1か月や1年の成果はわからないのです。
私は、若いときから、このことを不思議に思っていました。「これだ」と思いあたったのは、フェルナン・ブローデルを知ったときです。拙著「新地方自治入門-行政の現在と未来」p256「時間の枠組み」をお読みください。

小さな時間の出来事を書き連ねても、その夏の、あるいはその年の成果はわかりません。もっと、中長期的な視点が必要なのです。そして「連続して流れる時間」に、「節目」をつくる必要があります。日記では、この夏の成果や、今年の成果はわかりません。そして、毎日の忙しさと、1か月間の成果とは比例しません。また、1か月後の満足感とも比例しません。
例えば、総理の毎日の日程が、新聞に載ります。でも、それを書き連ねても、総理の業績は出てきません。さらに言うと、何をしなかったかも、わかりません。
社会人や組織では、「今年の夏に、なすべきこと」「今年中に、成し遂げるべきこと」といった「目標」を、自ら設定しなければなりません。そして、9月になったら、どこまでできたかを、評価すべきです。小学校の時は、目標設定と達成度評価は、先生と両親がしてくれました。社会人になったら、自分でするか、上司がする必要があるのです。

異動と昇進

最近、後輩たちの異動や昇進のお祝い会が、続いています。課長になった人、課長の中で「右翼」に進んだ人、審議官に昇任した人・・。自分が若いときは、「課長って、雲の上の人」と思っていたのですが。今は、後輩たちが、そのポストに就いています。
希望と抱負に満ちた後輩たちと議論していると、「その志を持ち続けて、日本のためにがんばってくれ」と、応援したくなります。
他方で、給料が毎年下がっていること、特に今年は10%削減になったこと、先輩たちの早期退職がなくなり、昇進が遅れていること、子どもたちの学費が大変なこと、などなど。愚痴も多いです。でも、愚痴っても改善しませんよ。精一杯仕事をして、成果を上げることで、国民の皆さんに評価してもらいましょう。

事件に巻き込まれたときの判断

昨日、北京で、丹羽宇一郎大使の乗った公用車が襲われ、国旗を奪われるという事件が起きました。2台の車に挟まれて、カーチェイスしたようです。そのさなかに、同乗していた山崎和之公使が、携帯電話のカメラで、犯人とその車のナンバーを写真に撮っていたと、新聞が伝えています。そしてそれを、中国当局に渡したと。
さすが、山崎君。どんなときでも、冷静です。外交官には、このような判断も求められるのですね。