カテゴリーアーカイブ:行政

与党から首相への提言の数々

2024年6月23日   岡本全勝

古くなってすみません。このホームページに載せなければと、気になる新聞記事を切り抜いてあるのですが。少し載せるのをサボると、日にちが経つのは早いのです。

新聞には、首相の行動記録が載ります。6月4日の朝日新聞に前日3日の行動が載っていました。その抜粋です。

11時55分から同1時7分まで、同党の大野敬太郎科学技術・イノベーション戦略調査会長から決議文、平将明同調査会フュージョンエネルギープロジェクトチーム座長から提言書受け取り。同8分から同23分まで、甘利明同党経済安全保障推進本部長から提言書受け取り。同24分から同34分まで、同党の中小企業・小規模事業者政策調査会の伊藤達也会長、競争政策調査会の山際大志郎会長から提言書受け取り。同35分から同43分まで、伊藤同党中小企業・小規模事業者政策調査会長から提言書受け取り。同45分から同2時まで、片山さつき同党金融調査会長から提言書受け取り。同1分から同15分まで、松村祥史国家公安委員長。同20分から同30分まで、古屋圭司同党社会機能移転分散型国づくり推進本部長から提言書受け取り。同35分から同45分まで、平井卓也同党著名人にせ広告・なりすまし等問題対策ワーキングチーム座長から提言書受け取り。

翌4日にも、いくつか提言を受け取っています。
私も復興庁の時に、大島理森・自民党復興加速化本部長と井上義久・公明党復興加速化本部長が出してくださる与党提言に関与しましたが。こんなにたくさん提言をもらうと、どのように相互調整、総合調整するのでしょうか。今の日本政治に欠けているものの一つが、総合調整、政策の優先順位付けです。

天皇陛下記者会見、JETプログラム

2024年6月21日   岡本全勝

天皇陛下が6月22日から6月29日まで英国を訪問されるにあたり、記者会見をされました(6月19日)。その中で、「今回の英国訪問において、私が特に関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししたいと思います」として、次のように話されました。

「第二に、我が国と英国の若い世代の交流についてです。 昭和62年以降、JETプログラムには、英国から約1万2千人が参加しているとのことで、このプログラムにより日本に派遣され、各地の学校での語学指導や、地方自治体での国際交流支援などを行った青年たちが、英国への帰国後、閣僚、下院議員、大学教授、政府職員、日本企業の社員などとして活躍していると聞いております。私自身、以前に雅子と共にJETプログラムの記念式典に出席した折に、JETプログラムに参加した方々にお会いしたことがありますが、今回、お会いする方々からも、日本での滞在の印象や両国の交流についてお聞きしたいと思っています。」

JET プログラムとは、語学指導等を行う外国青年招致事業(The Japan Exchange and Teaching Programme)で、外国青年を招致して地方自治体等で任用し、外国語教育の充実と地域の国際交流を推進する事業です。1987年に始まり、現在では6000人近くが活動しています。

首相指示の失敗事例?その2

2024年6月18日   岡本全勝

首相指示の失敗事例?その1」の続きです。首相の指示がうまくいかなかった例として、新型コロナ感染初期の対応を挙げましょう。
感染拡大を防ぐために、2020年2月に、安倍首相が学校の休校を打ち出しました。この判断は正しかったと思われますが、その唐突さが問題を生じました。首相が記者会見をしたのが木曜日の夕方で、休校は翌月曜日からでした。

この記者会見の途中から、私の携帯電話に女性記者二人から電話が入りました。彼女たちは、子どもが保育園と小学校低学年です。「木曜日の夜に言われて、月曜日から保育園や学校が休みになると、私はどうしたらよいのですか」との抗議です。
保育園や学校、さらには学童保育が休みになると、この子どもたちの面倒を見る必要があります。この女性記者だけでなく、働いているお父さんとお母さんが、同じ状況になります。どちらかが、仕事を休んで面倒を見ることになります。月曜日の仕事の予定が入っていたでしょう。
せめて1週間時間をおいてもらえれば、対応策を講じることもできたでしょう。

官邸幹部は、そこまで気が回らなかったのでしょう。文科省と厚労省は事前に官邸が相談がなかったと発言しているようです。この記者会見は、総理の指導力を示す意図があったのでしょうが、休校・休園した後の対応を忘れていたようです。
文科省と厚労省が検討を命じられたなら、この点について指摘したでしょう。そして、休校・休園するにしても、準備期間をおいたと思います。

いなくなった官庁のエコノミスト

2024年6月16日   岡本全勝

日経新聞夕刊連載「人間発見」、小峰隆夫さん「日本経済と歩む人生」、6月7日の記事から。

「小峰さんの後を継ぐような官庁出身のエコノミストは多くない。」
大きな理由が省庁再編です。経済企画庁は内閣府の一部局になりました。男女共同参画や少子化など幅広い分野を担当する官庁になったため、経済を専門に仕事をしたいと思う人がなかなか来なくなりました。エコノミストとしての専門職採用や、外部人材の登用などを進めてほしいと感じます。

現役の官僚も、自分の考えを役所の外に発信するリスクを幾分、気にしているようです。原稿執筆や外部の講演、場合によっては兼業も自由に認める取り組みは大事です。
日本経済について何を書くべきなのか。次に自分は何を論じるか。役人だったときも民間に転じた後も、何十年にわたって毎日考えています。エコノミストは発信することで磨かれます。私は企画庁にいたときから、2年に1冊は本を出し、連載も続けてきました。

エコノミストは本を書くことで成長します。本を書くと必ず行き詰まる。これは苦しい。しかし、抜けると新しい世界が開ける。
当面は、私の代表作である「平成の経済」と「人口負荷社会」の続編を書けないか、構想を練っています。企画庁で働く中で、自分の〝比較優位〟は書くことにあると気付きました。日本経済について、書きたいことはたくさんあります。

高度成長と平成経済

2024年6月13日   岡本全勝

日経新聞夕刊連載「人間発見」、小峰隆夫さん「日本経済と歩む人生」、6月6日の記事から

・・・官庁エコノミストの先輩である香西泰さんは「高度成長の時代」という本を書いています。敗戦から1970年代まで、日本経済がどのように歩んできたかを分析したものです。
香西さんは高度成長について官僚などの一部エリートが主導したわけでないと分析し、市場メカニズムをベースに発展したと説明します。世界平和や自由貿易、海外からの技術移転がその支えになったとも強調しました。

香西さんのエコノミストとしての歩みは高度成長と共にありました。私もそのような本を記したいと思い「平成の経済」をまとめました。
昭和の経済は驚くほどうまく諸問題を切り抜けました。他方、平成の経済は「予想外に厳しかった時代」と言えます。バブル崩壊と不良債権、アジア通貨危機と金融危機、デフレ、人口減少など、経験したことのない課題が次々現れた。その対応も決して満足すべきものでは無かった。
私は悲観派のエコノミストではないですが、高度成長を終えた後の日本経済は、これでもかというほどに解決困難な問題が次々と出てくる。それも、誰かの責任ではなく国全体の課題として生じてくる。先進国に追いつく過程であるキャッチアップを達成した後の経済における宿命なのかもしれません。

急成長を遂げた後の現在の中国経済をみても、日本に似た問題が今起きているように見えます。不動産部門は過剰債務を抱えて苦しんでいます。高齢化や少子化も中国社会に影を落としています・・・