カテゴリーアーカイブ:行政

政府は信用できない組織?

2012年8月5日   岡本全勝

古くなって恐縮です。7月21日の朝日新聞オピニオン欄で、小浮正典さん(PR会社経営)が、次のようなことを指摘しておられました。
・・福島県産品の消費回復の足取りが重い。放射性物質の検査が強化され、市場に流通する商品については、消費者が心配すべき状況は一応、脱しているはずなのに、思うように売れないのは、いくら「安全」だといわれても、「安心」でないからだ。「安全」は科学的な根拠に基づく客観的な事実であるのに対し、「安心」は情報の受け手が理解し、納得した主観だ。要は、「安全」と「安心」が乖離しているのである。
困ったことに、福島県産品のブランド回復に向けて、政府がいま何をやっても効果は期待薄だ。問題の発端である東京電力福島第一原発事故、それに続く放射性物質に関する政府の情報の混乱こそが、「安全」と「安心」の乖離をもたらした元凶だからだ。消費者にとって、政府は理解も信用もできない組織になっている・・

各府省発行のメルマガ・その3

2012年7月23日   岡本全勝

経済産業省
e-中小企業ネットマガジン
資源エネルギー庁メールマガジン
産業技術メールマガジン
調査統計グループメールマガジン
節電対策メールマガジン
中部経済産業局メールマガジン」(その他各経産局にあり)
国土交通省
国土交通省メールマガジン
メルマガ運輸安全
環境省
新着情報メール配信サービス」等各種メルマガが入っています。
防衛省
新着情報メール配信サービス
(2012年6月29日)

(厚労省の自己検証)
厚生労働省が、東日本大震災の際の対応を検証した結果を公表しました。民間出身の調査員が、調査・検証し、反省点を踏まえた今後の対応策を示しています(報告書概要本文)。
原子力災害現地本部への職員の派遣が遅れたことや、義援金の配分が遅れたことなどを率直に反省し、次回への改善を提言しています。
良いことだと思います。多くの組織において、自らうまくいかなかった点を検証し反省することは、なかなか行われません。また、身内での検証は甘くなりがちで、外部の者による検証は実態に踏み込めない欠点があります。
少し古くなりますが、官僚機構の失敗とその検証について、連載「行政構造改革」(2008年1月号、2月号)で解説しました。

現代病、心の病

2012年7月19日   岡本全勝

野中猛著『心の病 回復への道』(2012年、岩波新書)を読みました。
冒頭に「親しい人を3人思い浮かべて、その3人がおかしくなければ、おかしいのはあなただ!」という言葉が紹介されています。精神疾患の生涯有病率は25%に上るので、一生の間に精神疾患にかかるのは4人に1人という勘定になるのです。
会社でも役所でも、管理職の人は、職員の中に心の病を持っている人を抱えて、悩んでおられるでしょう。
精神疾患には、脳神経の病(脳の病)と、対人関係のストレスや人生上の苦悩など(心の悩み)の両方があります。治療方法も進化していますが、まだわからないことも多いとのことです。
病院に隔離する政策から、日常生活に復帰を目指す治療に変化してきていること、「精神分裂病」という呼び名が「統合失調症」に変わったことなど、わかりやすく勉強になりました。
あわせて、「健康」や「回復」の意味が変わってきていることも、納得しました。病気や障害が全くなくなることが理想ですが、多くの人が糖尿病や高血圧症でも薬を飲みながら普通に暮らしています。病気を持っていても、うまくつきあっている状態が健康です。回復も、病気が全くなくなることではなく、意味ある人生を取り戻すことです。なるほど。

会話と対話と論戦と・その2

2012年7月16日   岡本全勝

平田オリザさんのインタビューの続きです。
「日本政治に足りないと言われてきたのは、『対話』ではなく、『討論』『論戦』だったのでは?」という問いに対して。
・・対話とディベート(討論)は、どこが違うか。ディベートは、自分の価値観と論理によって相手を説得し、勝つことが最終目標になる。負けた方は全面的に変わらないといけない、勝った方は変わる必要がありません。しかし対話は、勝ち負けではありません。価値観をすりあわせることによってお互いが変わり、新しい第三の価値観とでも呼ぶべきものをつくりあげることが目標になります・・

「日本の国会で繰り広げられているのは、討論でもないように思います」という問いには。
・・そう、討論でもない
・・言葉から受け取るメッセージは人それぞれで、あいまいさが残る。そこをきちんと詰めて文脈をはっきりさせるのが、野党やジャーナリズムの責任です。しかし日本では自民党政権があまりにも長く続いてきたため、野党やジャーナリズムの政権攻撃は、あいまいさを詰めるというよりは、政権がやろうとしていることそのものを否定するというやり方をとってきました。
野党は、政府与党が聞く耳を持っているとはハナから思っていないし、政府与党も、野党の意見に耳を傾ける必要があるなんて思っていない。特に1980年代まではイデオロギーの対立があったから、文脈をすりあわせるような対話や熟議は望むべくもないし、討論とさえ呼べないひとりごとで国会が埋め尽くされるようになってしまったのだと思います・・

後段について、私はジャーナリズムの役割や責任も大きいと思います。政府与党への批判は重要ですが、代案のない批判は建設的ではありません。また、対話や討論は、政策を巡ってされるものですから、それなりの勉強が必要です。政局報道は、対話や討論とは違う次元の報道です。

会話と対話と論戦と

2012年7月14日   岡本全勝

朝日新聞7月5日オピニオン欄、平田オリザさんのインタビューから。
・・ダイアローグ(対話)とカンバセーション(会話)は、明確に違います。私なりに定義すると「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすりあわせる行為。しかし日本語の辞書では「【対話】向かい合って話をすること」などとされ、区別がない。
・・日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても優れた言葉です。日本文化の一部ですから、悪い点ばかりではない。近代化以前の日本は、極端に人口流動性の低い社会でした。狭く閉じたムラ社会では、知り合い同士でいかにうまくやっていくかだけを考えればいいから、同化を促す「会話」のための言葉が発達し、違いを見つけてすりあわせる「対話」の言葉は生まれませんでした
・・対話のための日本語はいまだにつくられていない。富国強兵、戦後復興、所得倍増と大きな国家目標があって、それに向かって努力していればきっと幸せになれると多くの人が信じているような社会では、多様な価値観は生まれにくい。みんなが一丸となって目標に突き進めばよかったので、対話は必要なかったのです・・

なるほどと思います。ただし、農村社会ではこの説は有力だと思いますが、相手との駆け引きや競争が必要な商人の世界では、どうだったのでしょうか。また、日本と同じような環境にあった国では、どうだったのでしょうか。たとえば韓国やネパールとは、どこが同じでどこが違うのでしょうか。さらに掘り下げて、知りたいです。
私も日本社会論や日本特殊論を語ってきましたが、ほとんど欧米との比較であって、アジアとや全世界との比較ではありませんでした。欧米を基準とした比較に陥らないようにしなければならないと、反省しています。
この項続く。