カテゴリーアーカイブ:行政

子どもや若者にとっての居場所の重要性2

2021年8月12日   岡本全勝

子どもや若者にとっての居場所の重要性」の続きです。「「孤立」が子どもや若者を苦しめる。だから私たちは「居場所」をつくる 下」(7月13日掲載)から。

・・・私たちが2011年に「たまり場」を作ったのは、(1)学校や社会の「階層格差によって作られたトラック」で競争に耐えられなくなった子どもたちが一時的にでも避難や休息ができ、他者からの視線に耐える力を育てること、(2)異なる価値観をもつ人が集う場で人間の連帯を体験し、社会で協働の機会を得る「場」を創設することが、多様な価値観が交錯する社会で生きていく上で必要だと考えたからである。
(3)居場所に多様な若者たちが集まり、交流することで受容し合える力を若者たちに育てなければならないとも考えた。さらに、(4)外国人の若者が日本の同世代の若者と最初に交流できる場にもなっていた。様々な目的で日本にやってきて、不安の中で暮らす外国人の若者たちが日本語の習得や仲間づくりに利用できる場になっていた・・・

・・・さいたまユースが運営する居場所は、学校や家族の中で孤立し、仕事や学校で躓いた若者たちが利用している。中には精神疾患や障がいで悩んでいる若者も少なくない。
「学校は勉強ができるか、運動がうまい人のためにある」と話した「ルーム」に通う若者がいたが、この言葉を否定する説得力のある言葉を私たちはもっていない。
また「ぼくはみんなと違う。同じようには生きられない……」。この言葉も今の若者を象徴する言葉だ。多くの学校も職場も「みんな同じでなければならない」という同調圧力の中にある。日本の若者たちは日々、この空気の中でプレッシャーを受けながら生きている。
「たまり場」や「ルーム」は、支援する側・される側に拘わらず、日本社会で生きにくさを抱えた人々の社会的居場所となっている。利用者の多くは、生活保護や障がい者支援制度の枠から外れた若者がほとんどだ。「たまり場」と「ルーム」はそんな若者たちが生きがいや社会での役割を見つけ、生きる意欲を探す場所として機能してきた。

若者たちに居場所が求められる背景に、学校での競争がさらに低年齢化し、緊張と不安の中で子ども世界の歪みが大きくなっていること、そして子ども世界のいじめも社会的にも大きな話題になり、教員たちが懸命に対応しても一向に収束する気配はないことがある。
「競争教育」の深刻化と貧困と格差の拡大が進み、子どもや若者たちの社会(他者)に対する信頼感が失われていく中で起きている現象なのである。教育の市場化が進行し、勝者のない、しかも社会的弱者が切り捨てられる状況を目の当たりにしながら、子どもや若者たちの中に社会への信頼や他者への信頼など生まれるはずがないのである。努力しても報われないとあきらめの中で若者たちは社会への関心を失っていく。しかし、人間は他者の存在なくして生きてはいけないこともまた事実であり、そのはざまで若者たちは居場所を求め続ける・・・
連載「公共を創る」で孤立問題を取り上げているので、現実を知ってもらうために、紹介します。

子どもや若者にとっての居場所の重要性

2021年8月11日   岡本全勝

朝日新聞のウエッブ論座に、青砥 恭・さいたまユースサポートネット代表の「「孤立」が子どもや若者を苦しめる。だから私たちは「居場所」をつくる」(7月12日掲載)が載っています。

・・・北海道内の貧困対策の学習支援団体の調査では、利用する子どもの親の約2割が仕事が減るか、なくなったという。低所得家庭では生活費が減り、給食もなくなり、子どもにどう食事を与えるかという親たちの不安が高まっている。2020年の小中高校生の自殺者数は過去最多となる479人だった(文部科学省)。
大学は対面での授業がなくなり、入学以来、友だちが一人もできないと訴える大学生は多い。昨年春に入学して以来、実習以外は大学に行くこともなく過ごした、私たちと共に活動する学生ボランティアもいる。
オンライン上で知人の顔を見つけると、最初に出てくる言葉は「会いたいね!」である。身体性抜きのSNS上の関係だけでは人は満足できないのである。子どもはなおさらだ・・・

・・・学校が休校の間は、ほとんどの生徒は自宅で過ごしていたが、保護者の中には精神疾患を持ち、食事や学習など子どもの生活に関われない家庭もあり、昼夜逆転になっていたり、学校の課題を全く取り組めていなかったりする生徒も多かった。学校での給食がなく、この3か月間で体重がへったという子どもたちも少なくなかった。

ほぼ半数の生徒や親からは、Wi-Fiやタブレット、パソコンがなく、学校から連絡があった「オンライン授業」への不安の声も出ていた。私たちの学習支援の対象である貧困世帯では、半数を超える生徒たちが電話と手紙しか、連絡方法がないのである。「親の経済力は子どもの学力と健康に大きな影響がある」ことはここからも見えた。
2020年2月27日の「休校要請」で、ほぼ全国的に休校になった3月2日から登校が再開された6月7日まで3か月の間、子どもたちは学校という「学習」「友だちづくり」「運動」のためのかけがえのない居場所を失った。

ある小学校低学年の子どもを持つ親は、自分は生活のために働かざるを得ず、1日中、子どもを家の中に置いたままにすることへの不安を訴えていた。子どもも3か月間ひとりで家の中にいたのである。親も子もストレスを増大させながら過ごしてきたことになる。
DVや虐待も報告されている。小中学校の子どもたちは全国で約1千万人である。文科省の2月28日の通達では障がいを持った子どもは、登校させてもやむをえない、という措置をとった。障がいを持つ子どもたちだけでなく、すべての子どもと親たちにとって学校を閉じることで発生した孤立によるストレスが何をもたらしたのか、これから検証が行われなくてはならない・・・
この項続く

黒江・元防衛次官の回顧談4

2021年8月5日   岡本全勝

黒江・元防衛次官の回顧談3」の続きです。
失敗だらけの役人人生(追補5)」「失敗だらけの役人人生(追補6)」は、平成以降のわが国を取り巻く国際安全保障環境の変化と、国内の政治経済状況が極めて流動化したことを、体験として書いています。それまでの通念、常識が通用しなくなったのです。

北朝鮮工作船との銃撃戦、北朝鮮のミサイル発射、中国の挑発、自衛隊のイラク派遣撤退といった事案への対処とともに、総理官邸、安全保障・危機管理室の様子、イラク現場の緊張感が書かれています。
日本の安全保障環境と防衛省の仕事が、急速に変化したことがよくわかります。また、政府内部でどのように対応されているかも。これらも余り活字になっていません。貴重な証言です。

官民の共同規制

2021年8月2日   岡本全勝

7月26日の日経新聞、「キッチンカー、ご当地規制の怪 国より保健所のさじ加減」から。
・・・コロナ下でも初期投資を抑えつつ創意工夫で稼げる飲食ビジネスとして、移動販売車「キッチンカー」の開業が増えている。その数は1都3県だけで1万3000台超。ところが、地域によっては車内設備やメニューをめぐって不合理な「ご当地規制」に直面する。衛生ルールは地方自治体や保健所ごとにまだら模様。地方分権のゆがみが浮かび上がる。
東京都内のタワーマンション近くなどで2020年秋から営業するキッチンカー「琉球キッチンこだま」。沖縄料理店を営む児玉幸太さんが「本当は出来たてのアツアツを提供したいのですが……」と嘆くのが、店舗で常連客らに人気の「ポークたまごおにぎり」だ。保健所の指導に従い、出発前に店で握ったものを売っている。
アルコール消毒が効きにくいノロウイルス対策で保健所は流水による手洗いを重視する。おにぎりは揚げ物などに比べてリスクが高いとみなされ、給水タンクの容量が100リットルしかない児玉さんは車内調理が認められなかった。「調理用手袋をしてラップで握るのに、そんなに大量の水が要るのだろうか」。コロナの苦境下で釈然としない思いが募る。

キッチンカーは食品衛生法に基づいて自治体がそれぞれ条例などで規制しており、広域営業の妨げになってきた。そこで厚生労働省は今年6月の改正同法施行に合わせた省令で全国の自治体が共通の目安とすべき「参酌基準」を示し、留意点を通知した。キッチンカーを給水タンクと廃水タンクの容量によって約40リットル、約80リットル、約200リットルの3種に分け、40リットルなら「簡易な調理」「1品目のみ」などと制限するものだ。
タンク容量で機械的に衛生レベルを推し量っており、「衛生状態が悪かった昭和時代の発想を引きずっている」(都内のキッチンカー事業者)との批判が多い。しかも文言の定義があいまい。ほとんどの自治体が基準に沿って条例を改めたが、地方行政の末端には運用のばらつきが残ったままだ・・・

・・・多種多様な営業スタイルが想定されるビジネスの法規制は、不合理な制限や抜け穴が発生しやすい。ルールづくりの新しい枠組みとして広がりつつあるのが官民の「共同規制」だ。所管省庁のガイドラインに沿って業界団体が実務ルールを策定するのが一例だ。事業環境が目まぐるしく変わるデジタル分野などで有効とされる。
共同規制には民の機動力を生かしつつ官のお墨付きを得られるメリットがあり、欧州などで重視されている。日本でもシェアリングエコノミー協会(東京・千代田)が国と協議した自主ルールで適合事業者の認証を始めた例がある・・・
・・・国の法律から自治体の条例まで上意下達の規制だけでは限界がある。一橋大の生貝直人准教授(情報法・政策)は「規制にも多様な選択肢が大切だ」と話す。利害関係者が歩み寄り、ルールを磨き続ける流れをつくりたい・・・

問題は、地方分権のゆがみではないと思いますが。

行政の自縛

2021年8月1日   岡本全勝

「復興庁の二つの顔」で紹介した菅野拓先生の「災害対応ガバナンス 被災者支援の混乱を止める」(2021年、ナカニシヤ出版)を紹介します。この本にも、復興庁が出てくるのですが、今日紹介するのは行政のあり方についてです。

日本の被災者支援の水準が低いことは、よく指摘されます。例えばイタリアの避難所では、温かい食事やワイン、ベッドがすぐに提供されます。東日本大震災では、現場の声、避難所運営に当たってくれた非営利団体からの指摘を受けて、かなり改善しました。

菅野先生は、次のように指摘しています。
戦後日本の災害対応の基本は、行政、特に地方自治体が中心となって、ハード(施設復旧)中心に行う、民間組織は参画しないというものであった。災害救助法は有事の際の生活保護法であり、生存権を保障するという当時の社会保障の一端であった。他方で、災害対策基本法などで、インフラ復旧が行政による災害対応の中心となった。個人の生活復興は置き去りにされ、災害弔慰金法(1973年)や被災者生活再建支援法(1998年)は、議員立法により成立した。

そして、被災者の生活支援を向上させるために、次の2つを提唱しています。
・企業や非営利団体といった政府以外の担い手も、公的な根拠を持って自律的に災害対応に参画すること
・被災者支援を社会保障制度体系の中に位置づけて、平時の社会保障の担い手たちが被災者支援を行うこと
このことによって、さまざまな担い手がその得意技に応じて自発的に対応し、その活動を調整することで協働して対応することができます。不得意な仕事まで国や自治体に押しつけることをやめ、「餅は餅屋の災害対応」を生みだすことを目指します。

ここに見ることができるのは、戦後に作られた災害対応制度が、当時としては有効だったのですが、その後はそれらの制度に縛られて、新たな発展に遅れたことです。また、公私二元論に縛られ、企業や非営利団体の存在と役割を忘れていたことです。
災害時には、そのような行政の限界と欠点が露呈するのでしょう。日本の行政を考えるにすばらしい考察です。お勧めです。