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行政-行政機構

独立行政法人制度

今日9日の経済財政諮問会議で、独立行政法人の見直しが議論されました。その場に総務大臣が提出された資料(参考資料)に、これまでの独立行政法人制度による行政改革効果や、その後の見直し効果がきれいに整理されています。独立行政法人制度が始まって、これで6年になります。この資料は、よくできた中間整理だと思います。ご利用ください。

政府の企画部

先日、経済財政諮問会議が果たしている、政府の「企画部」としての役割に触れました(魅力ある国を作る)。それについて、少し解説します。
日本政府(霞ヶ関)には、人事部と企画部がありません。この二つは、企業であれ地方団体であれ、少し大きい組織なら必ずあるものです。各省にはあるのですが、政府全体の人事部と企画部がないのです。その企画部不在を埋めたのが、経済財政諮問会議です。

まず第1に、各省間の政策の調整、優先順位付けがあります。これまでも、各省間で、あるいは内閣官房が各省の政策を調整することはありました。しかし、それは優先順位付けまで行かず、「寄せ集め」に近いとの批判があります。かつての総理所信表明演説・施政方針演説も、各省から出された「短冊」=パーツを寄せ集めただけとの批判もありました。
省庁改革の際に、省庁間政策調整システム(「省庁改革の現場から」p39)が定められましたが、十分機能していないようです。また、財務省の予算編成も、この点では十分な機能をしていないようです。
すべての省の意見を盛り込むだけなら、楽です。右肩上がりの時代なら、伸び率に差がつくことはあっても、すべてを飲み込むことができます。しかし、削減しなければならない場合、優先順位をつけなければならない場合は、どれかに泣いてもらう必要があるのです(参照、拙稿「予算編成の変化」月刊『地方財務』2003年12月号)。
県庁や市役所では、知事や市長がそれを判断します。しかし霞ヶ関システムでは、それはできないのです。小泉首相は、国債発行上限を30兆円とし、それに収めるために、公共事業や地方交付税を削減しました。その際に、諮問会議が機能を発揮したのです。

第2に、これに関連しますが、他省の政策にくちばしを挟む、しかも批判することが始まりました。これまでは、それぞれの省が縄張りを持ち、他省はそれには口を挟まないという不文律がありました。もちろん、各省は「分担管理事務」を持ち、それぞれが仕事の範囲を決められています。
しかし、というか、だから、政府全体の立場に立って、ある省の仕事に文句を言う仕組みがなかったのです。諮問会議は、有識者ペーパーという仕組みを使って、他省の政策にくちばしを挟むことを可能にしました。
内閣・閣議は、全会一致が原則です。省間で対立すると、「次官会議で反対するぞ」という脅しで、止めることができたのです。これでは、改革などは進みません。

第3に、政府全体の政策を、明示するようになりました。「骨太の方針」で、政府がどのような政府を目指しているかが、分かるようになったのです。県や市町村は「総合計画」を作っています。それで、その団体の政策の全体像が分かります(もちろん、総花だとの批判もありますが)。日本政府の場合は、それがありませんでした。各省は、それぞれ政策パンフレットを作っていますが、政府全体のパンフレットはありません。もちろん、諮問会議は経済財政が守備範囲なので、安全保障などは含まれてはいません。

第4に、政府全体から見た政策で、各省が取り組まない政策を、取り上げるようになりました。各省は自分に都合のよい政策には取り組みますが、都合が悪い政策・面倒な政策には取り組みません。各省にまたがっても、メリットのある政策なら取り組みます。例えば、ITでは、総務省と経産省が功を競います。しかし、日本を魅力ある投資先にする、FTAのために関税引き下げに取り組むなどは、どこも取り組まない、あるいは進まないのです。各省の分担管理事務・問題関心事項から漏れ落ちた政策課題は、取り上げられることがなかったのです。

今回も、大胆な単純化ですが、私はこのように考えています。今日は、行政組織論からの議論を書きました。このほかに、諮問会議の議論の過程で、霞ヶ関内の「利害の対立」を見える形にしたといった功績もあります。また、今の諮問会議が問題ないのかということにも触れる必要がありますが、これらについては日を改めて書きましょう。

国家公務員の配置転換

国家公務員の本格的配置転換が、始まりました。まず、約700人が、食料管理・農林統計・北海道開発局から、刑務所刑務官・国税職員などに配転になりました(3日付け読売新聞ほか)。慣れない職場で苦労される方もおられると思います。また、何人かの方は、引っ越しもあったと思います。
このHPでも指摘しましたが、地方団体や民間企業では当たり前に行われてきたことが、これまで行われていなかったのです。今後、行政の役割変化に従って、さらなる配置転換が必要になると思います。かなり以前から、予想されていたはずなのですが。
かつて、公共事業部局の人事担当の先輩に、「将来、事業が減って、職員数削減が必ず来ますよ。後輩のためにも、採用人数を減らした方が良いのではないですか」と言ったら、「全勝は簡単にそういうけど、私の代に人数は減らせないよ」と言われたことを思い出しました。

業界行政から消費者行政へ

22日の朝日新聞は、「経産省、消費者行政に本腰」として、製品安全課をとりあげ、産業振興を掲げてきた経産省が、消費者行政に力を入れていることを解説していました。
「戦後の欧米に追いつけ追い越せの時代に、旧通産省はニッポン株式会社の主要な牽引役だった。だが、日本が世界第2位の経済大国になって経済が成熟すると、不要論もつきまとうようになった。旧大蔵省の護送船団方式の金融行政が批判され、そこから分かれた金融庁が業界とドライな関係となって投資家保護を唱え始めたように、経産省も産業界寄りのままではいられない時代だ。・・・とらえどころのない消費者相手。それでも、行政ニーズは今後、伝統的な産業行政部門より、むしろ大きくなる可能性がある。省庁再々編論議では、消費者行政庁構想も取りざたされる・・・」
この切り口は、私が唱えている、これからの行政のあり方=「業界振興から生活者保護」そのものです。「行政の役割変化」(2月8日11日をお読みください。このように、このアイデアが共有されると、次の改革につながりますね。

行政委員会

記者さんとの会話
記:教育委員会とか公安委員会も、行政機関ですよね。
全:そうだよ。行政機関には、独任制と合議制があって、委員会は合議制の機関。その二つは意思決定とか執行をする機関だけど、審議会のように意見を述べるだけの機関もある。
記:教育委員会が独任制でなく合議制なのは、政治的中立性を確保するためと習いましたが。
全:僕もそう習ったけど、疑問に思っているのよ。地方団体の場合、教育委員会や公安委員会は、首長から独立して=指揮監督を受けないことで、政治的中立性を確保するといわれている。でも、その機関が合議制であるかどうかは、別の話だわな。監査委員は複数いるけど、一人で行動できる。監査委員「会」ではない。
逆に、首長の指揮監督を受ける合議制の行政機関もあり得る。国家公安委員会は委員長が国務大臣で、内閣の一員。内閣総理大臣の指示に従うことになる。
記:なるほど。しかし、私が問題にしているのは、今議論になっている地方の教育委員会に対する文科大臣の指示です。首長からの独立性を確保するために委員会制度を取っているのに、それに対し指示をするなら、何も委員会制度でなくてもいいんじゃないですか。
全:ぼくも、そこが疑問なのよ。ただし、私の整理では、委員会制度にしたままで、首長の監督を受けるという方法もあるけどね。でも、それなら首長の監督を受ける独任制機関にした方がわかりやすいわ。
記:それは知事部局に入って、「教育部」になるということですか。
全:その通り。いつも言うように、国は教育委員会制度でない。文科省であり文科大臣。問題は、地域の教育について、誰が誰に対して責任を負っているか。今の委員会制度は、責任が不明確。さらに、首長でなく国が指示を出すとなると、教育委員会は住民でなく、国に対し責任を負うことになる。私の言うように、首長の元に置けば、責任ははっきりする。そして、それは国ではなく、住民に対して責任を負うことになる。
記:文科省でなく、首長がまずは指示をすべきではないですかね。いずれにしても、わざわざ行政委員会制度を取っていながら、国が指示をするということの意味について、行政法学者、行政学者の意見を聞きたいですね。
全:そうやね。ぼくの見解だけで記事を書くと、危ないよ。