9月22日の読売新聞「地球を読む」、北岡伸一先生の「安全保障議論。戦前と現代、同一視は不毛」から。
先生は、「昭和の戦前期、日本を戦争への道に進ませた諸条件を考えれば、今の日本に当てはまらないことは自明だからである」として、次の5つを上げておられます。
第1は「地理的膨張が国家の安全と繁栄を保証する」という観念。第2は「相手は弱い」という認識。第3は「国際社会は無力で、制裁する力はない」という判断。第4は「政治の軍に対する統制の弱さ」。第5は「言論の自由の欠如」です。それぞれの条件が、戦前の日本に戦争への道を進ませ、その条件が当てはまらない現在の日本は戦争を選ばないという主張です。説得力があります。
他方で先生は、この5条件が現在の中国に当てはまることも述べておられます。これも納得。原文をお読みください。
カテゴリーアーカイブ:政治の役割
リーマン・ショック5年、第2の大恐慌を回避した政治
9月29日の日経新聞「シリーズ検証。危機は去ったか。リーマン・ショック5年」は、当時の麻生太郎首相へのインタビューでした。リーマン・ブラザーズの破綻が9月15日、麻生内閣発足が9月24日、10月23日に北京で開かれたアジア欧州会議の際に日中首脳会談が開かれました。
・・日中首脳会談の席でリーマン破綻の影響、特に外貨準備の大半を占めるドルへの影響が議論になった。私からは「中国と日本は外貨準備のドル保有残高で世界1、2位だ。ドルを安定させることが重要である。それが日中両国の経済にとっても利益である」と慎重な対応が必要だと話した。
脳裏をよぎったのは、基軸通貨が揺らぎ、世界が通貨安と関税引き上げ競争に走った1930年代の再来だった。幸い、どの国も米国債の投げ売りに走ることはしなかった。結果的に基軸通貨の揺らぎを避けられたのは幸いだった。
胡主席とは中国経済についても議論した。「米景気の悪化で対米輸出が激減し、輸出を米国に依存する中国の景気も悪化するだろう。従って、中国は内需拡大に精力を投下し、インフラ投資に重点を置けばいいのでは」と私が話すと、胡主席はノートを取り出しメモを取っていた。
国際政治の首脳会談は事前の打ち合わせに沿って進む。ところがこの日、胡主席とは想定外に率直な意見交換ができた。11月に中国は4兆元(60兆円)の経済対策を決定した・・
サルコジ・フランス大統領、メルケル・ドイツ首相、ブッシュ・アメリカ大統領とのやりとりも紹介されています。また、11月のG20サミットの席で、日本が国際通貨基金(IMF)に1,000億ドルの融資を表明して世界をリードしたことも。続きは、原文をお読みください。
私は、リーマン・ショックへの対応は、政治と経済の関係、しかも国際経済と国際政治の関係や、政治の役割を考えさせる良い事例だと思います。もっとも、1930年代は失敗したことで大恐慌は歴史の教科書に大きく取り上げられ、今回はそれを回避できたことで歴史の教科書には大きく取り上げられません。
台頭する中国と自由主義世界
朝日新聞9月13日オピニオン欄、ジョン・アイケンベリー教授のインタビューから。
・・中国は経済、軍事両面で急速に力をつけ、アジアさらには全世界に影響を及ぼすようになっている。世界の主要国のなかで中国だけが、「対等の競争相手」として米国に挑戦する構えを見せている・・
中国はより大きな権力を追求するだろうが、既存のリベラルな国際秩序をひっくり返し、中国中心の世界を打ち立てようとはしない。中国の重商主義的な資本主義が成功するためには、グローバルな自由貿易を必要とするからだ。自由主義、民主主義を信奉する資本主義諸国は力を合わせ、経済成長や社会の進歩を図れるよう、国際的な諸組織を改善しなければならない。そうすれば中国が参加してくる動機も強くなる・・
「しかしリーマン・ショックなどを通じて自国の制度の方が優れているとの思いを深めているのでは」という問に対して。
・・だから私のこれまでの議論の多くは、自由民主主義諸国に向けられているのだ。各国は、格差の拡大、経済の停滞、財政危機、政治的な機能不全などの問題を解決しなければならない。今から20年後もまだ、自由民主主義諸国が世界政治の中心にいるか、あるいは西側諸国に対する中国の影響力が一層強くなっているかは、民主主義国、非民主主義国のどちらがより効率的に社会、経済問題を解決し、より魅力的なモデルを提示できるかにかかっている・・
アイケンベリー教授の主張は、何度か紹介しています。「アメリカが広めたもの・資本主義経済、自由主義、多国間統治」(2012年8月11日)、「勢力均衡や覇権主義でない国際秩序」(2012年10月2日)をご覧ください。
政府と国会の関係
日経新聞経済教室7月30日、野中尚人・学習院大学教授の「国会至上主義、政府を阻害。ねじれ解消後も深刻、決める仕組みが曖昧」から。
・・私は、欧州の主要国と比較した場合、日本の国会はいわば「3周遅れ」の状態にあると考えている。1周目は二院間の関係の未整備で、ねじれの問題でもあるが、参議院での問責決議の扱い、全く機能しない両院協議会など、とにかく、おかしなことだらけである。参議院が「熟慮の府」というのは全くの誤認で、政府・衆議院多数派の意思決定や行動をストップさせる権能を持っていることについて、制度としての根本的な再検討が不可欠である。
2周目の問題は、国会と政府との関係が極端なアンバランスになっていることだ。日本では、国権の最高機関たる国会の自律性は何物にも侵されるべきではないとされている。戦前の反動といってよい。しかしその結果、国会の内部における政府の地位や権限は極端なまでに排除されているのである。
議院内閣制においては、主要な法案の大多数は内閣が提出し、議会内部のプロセスで与党との一定の調整・修正を行いながら立法を進めるのが普通である。そしてその過程では、法案審議の日程設定、修正の扱い、議決の方式などについて政府がはっきりと主導権を握る形となっている。英国とフランスが典型だが、ドイツでも多数派に一定の主導権が確保されており、結果として、政府の推進する法案が優先的に審議され、大半が一定の時間の中で成立する。
ところが日本では、政府には何の権限もなく、従って何もコントロールできない。与野党間の国対政治と与党による法案事前審査は、そのために不可欠になっていたのである。しかも、その国対政治の基本ルールは与野党間での合意であり、野党は相当な影響力を行使できる。首相をはじめ閣僚が極めて頻繁かつ長時間にわたって国会審議に拘束されることは、実は他の先進国には見られない日本政治の特徴だが、これはこうした制度と力学の産物なのである。こうした「国会の暴走」は即刻やめねばならない。
3周目の問題は、国会内部の形骸化であり、合理化や多機能化といった取り組みが極端に遅れていることである。欧州の主要国では、審議日程の年間計画・月間計画をはじめとした、緻密なスケジュール化、審議時間配分や優先順位決定の合理化、予算・決算プロセスへの実効性のある取り組みの強化、政府監視や調査のための仕組みの充実など、様々な改革が進んでいる。限られた時間の中で審議の充実と多機能化が真剣に進められていると言ってよい。
翻って日本の国会は、依然として会期不継続の原則(審議未了の議案は原則として廃案になる)と審議拒否戦術を背景とした日程闘争の国対政治に明け暮れている。そして、審議の形骸化と討論の希薄化がますます進んでいる。例えば、2012年には衆院本会議の開催時間は合計60時間で、およそ1100時間の英国やフランスと比べて何と約18分の1である。確かに国会議員は超多忙であるが、本務である国会での仕事の土俵を合理化し、機能を強化する努力はほとんどされて来なかったというべきであろう・・
つまり、ねじれが解消されてもなお、日本の統治システムは多くの深刻な課題を抱えたままである。まともに機能しない形骸化した国会が、政府の正常な作動を阻害し、政治行政を麻痺させかねない構図が続いている。いわば「ゆがんだ国会至上主義」が依然として重大な重しとして残っているのである・・
議会と政府の関係について、憲法や政治学の教科書では、定められた制度についての解説や諸外国との比較はありますが、運営の実際にまで踏み込んだ分析は少ないようです。機能の実態を分析するためには、「仕組み」と「運営の実態」の両方が必要です。そして、先進国との比較は、有用です。
他方で、なぜ「決められない国会」が続いていたか。それで、なぜ支障がなかったか。日本が成長と平等を謳歌していた時代、そして「一国繁栄主義」で内にこもっていた時代には、これでもよかったのでしょう。
決めることができる政党と民主主義
朝日新聞7月23日オピニオン欄、内田樹先生の「2013参院選、複雑な解釈」から。
・・今回の参院選の結果の際立った特徴は、「自民党の大勝」と「共産党の躍進」である(それに「公明党の堅調」を加えてもいい)。この3党には共通点がある。いずれも「綱領的・組織的に統一性の高い政党」だということである。「あるべき国のかたち、とるべき政策」についての揺るがぬ信念(のようなもの)によって政治組織が統御されていて、党内での異論や分裂が抑制されている政党を今回有権者たちは選んだ。私はそう見る・・
・・議会制民主主義というのは、さまざまな政党政治勢力がそれぞれ異なる主義主張を訴え合い、それをすり合わせて、「落としどころ」に収めるという調整システムのことである。「落としどころ」というのは、言い換えると、全員が同じように不満であるソリューション(結論)のことである。誰も満足しない解を得るためにながながと議論する政体、それが民主制である。
そのような非効率的な政体が歴史の風雪を経て、さしあたり「よりましなもの」とされるにはそれなりの理由がある。近代の歴史は「単一政党の政策を100%実現した政権」よりも「さまざまな政党がいずれも不満顔であるような妥協案を採択してきた政権」の方が大きな災厄をもたらさなかったと教えているからである。知られる限りの粛清や強制収容所はすべて「ある政党の綱領が100%実現された」場合に現実化した・・
では、なぜ日本人はそのような統一性の高い組織体に魅力を感じるようになったのか。それは人々が「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を政治に過剰に求めるようになったからだ、というのが私の仮説である・・
・・私はこの時間意識の変化を、経済のグローバル化が政治過程に浸入してきたことの必然的帰結だと考えている。政治過程に、企業経営と同じ感覚が持ち込まれたのである・・
先生の論旨の一部を切り取ったので、原文をお読みください。