「著作と講演」カテゴリーアーカイブ

埼玉県職員研修講師

今日9月10日は、埼玉県職員研修のため、さいたま市浦和まで行ってきました。研修は「リーダーシップ・トレーニング」で、参加者は県職員(主幹級・主査級)の計12人です。10時半から16時半までの長丁場でした。
私の役割は「自治体職員のリーダーシップ」を講義することですが、講義だけでは参加者も飽きるでしょう。そこで、主催者と相談して、午前中は講義、午後は班別討議(2題)と質疑にしました。

管理職や管理職を目指す人たちの研修でなく、主幹級(課長補佐)や主査級(係長)から選ばれた12人に、リーダーシップを講義するのです。主催者と何度もやりとりをして講義の内容を固め、また班別討議の設問も一緒に考えてもらいました。
班別討議は、予想以上に盛り上がりました。そのために工夫もしたのですが。反応が良いと、やりがいがありますね。
彼ら彼女らが、さらに経験を積み、視野を広げて、立派な幹部になることを期待しています。

補足 新聞を読むことの意義は「新聞の役割」をご覧ください。

朝日新聞福島総局勉強会

今日は、朝日新聞福島総局での記者勉強会に、福島市に行ってきました。
頂いた主題は「復興政策の理想と現実」で、「巨大津波と世界最悪級の原発事故に見舞われた地域の復興に対し、政策をつくる側は何を考え、どう地元と対話し、どのような復興を目指したか。そして現実はどうだったか。できたこと、できなかったこと、今後どうあるべきかなどについて解説する」です。

発災以来すでに14年余りが過ぎました。当時のこと知る記者も少なくなり、若手記者は体験していません。時間とともに記憶が薄れることは仕方ないことであり、人間の脳にとって必要なことです。しかし、現状を分析し、何がうまくいっていて何がうまくいっていないか。それを記事にするためには、これまでの経緯も知っておく必要があります。
復興庁は、なるべく記録を残し、ホームページに載せることに務めてきました。また、それだけでは当時の意図や苦労がわからないので、関係者から聞き取りをして残すこともしています。私自身も、書物や新聞の取材に答えることで、残し伝えることを心がけてきました。(私の所管ではありませんが、新型コロナ感染症対策では、どのように記録は残っているのでしょうか。)

私も担当を離れて5年が経つので、改めて保管してあった資料(かつて使った講演資料など)を引き出し、講義資料を整えました。電子媒体は便利ですね。ところが、どこにどんな資料を保管したか(講演で使ったか)がわからず、講義資料の半封筒の紙資料を見て、整理しました。あわせて、これを機会に、半封筒の紙資料は捨てました。

勉強会は、前半を大震災全体、主に津波被害とし、後半を原発被害としました。そして、記者の関心に応えるため、質疑の時間をたっぷり取りました。
約20人の方が出席、5人の方がオンラインで参加でした。さすが第一線で活躍している記者たちです。鋭い質問がたくさん出ました。このような形でお役に立てるとは、うれしいです。

外国政府幹部への講義資料

この秋も、国際協力機構(JICA)の依頼で、外国政府幹部への講義をいくつか引き受けました。主題は「日本の発展に果たした行政」と「大震災からの復興」です。

これまでに何度も講義しているので、資料はあります。日本のことを深く知らない人たちへの説明、かつ通訳を挟むので、それなりの工夫が必要です。主に写真を投影し、説明資料も図表と簡潔な言葉にしてあります。
英語とフランス語に翻訳した資料は、私も理解できますが、ベトナム語、アラビア語になると、自分が作った資料なのに理解できません。

そして、講義では、時間の半分を質疑にあてます。「私の話の途中でも、わからなかったら質問してください」と言います。毎回、質問は、とんでもなく出ます。講義が進まないくらい(笑い)。でも、その方が理解が進み、満足してもらえるのです。

講義をするたびに、「ここは伝わっていないな」「ここは資料を変えよう」と気づくところが出てきます。
そこで、改良を加えるのです。この夏は、同時に4つの講義の資料加筆を進めたので、頭がこんがらがりました。ようやくそれらの翻訳資料ができあがって、一安心です。

連載「公共を創る」第233回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第233回「政府の役割の再定義ー首相を支える事務秘書官の仕事」が、発行されました。政治家と官僚との関係に関して、前回から、首相秘書官の役割と育成について説明しています。

私は、麻生太郎内閣(2008年9月~09年9月)で約1年間、事務秘書官を務めました。総務省出身者が就くことは異例でした。そして、私は首相や政務秘書官と相談の上、政策統括担当と位置付けてもらいました。
その目的の一つは、事務秘書官間の縦割りの解決です。各省案件は事務秘書官が分担するのですが、バラバラに処理案を首相に上げるようでは困ります。いま一つは、首相の政治判断について、お手伝いをすることです。首相肝煎りの政策を進めるにも、首相の下での政策を統一するためにも、統括役が必要だと考えました。その成果の一つが、「麻生内閣の主な政策体系」です。

私は首相秘書官に就任する4年前に、麻生総務大臣に官房総務課長として仕え、その後も政策の勉強に呼ばれていました。そこで麻生氏の政治姿勢を理解し、首相秘書官に就任すると直ちに簡単な打ち合わせだけで、所信表明を含めて首相発言の原稿を書くことができました。それに首相が手を入れます。しかし、このような経験を有して、任命直後から対応できる秘書官候補は多くはいません。
各省でも、総理秘書官候補の人材を準備しているはずですが、明確に総理秘書官を育てる職や業務などの「経路」があるわけではありません。また、どなたが首相になるか予想も容易ではなく、また予想ができたとしても、候補者がその方と「密な」準備をしておくことも難しいでしょう。
首相、閣僚、与党、各省の結節点である首相秘書官候補者をどのように育成するかは、政治主導に対応するための行政側の課題の一つです。

次に、内閣官房で働く職員について考えますが、その前に、内閣官房について解説します。内閣官房がどのような組織か、多くの人は知らないでしょう。

連載「公共を創る」第232回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第232回「政府の役割の再定義ー「やりがい」低下の原因」が、発行されました。
国会や政治家との関係において、官僚の労働条件が劣悪なままであることを指摘しています。前回は、低い給与の他に、遅過ぎる質問通告、多過ぎる質問主意書を取り上げました。

働き方改革に真っ向から反することが、国権の最高機関を巡って行われていて、国民に働き方改革を唱えている政府が、自らの使用人である官僚に、とんでもない労働を強いているのです。過去の官僚は「高い評価」と「やりがい」で自らを納得させて、耐えてきたました。しかし、今の官僚に「耐えろ」とは言えません。志望者は減り、中途退職者が増えています。
しかも、政治主導への転換が目指されたのに、この悪条件は改善される兆しもありません。政治家が指導者あるいは管理者として、官僚を「働かせる」「能力を発揮させる」意識が低いのです。

官僚にやりがいを持たせる、それには新しい社会の課題に取り組めるような、十分な条件を与えなければなりません。
それは一つには、時間的余裕です。現在は、日常業務に追われていて、ゆっくりと考える時間が持てていないようです。それは、仕事が増えたのに職員数が増えていないことによります。国会対応も、その原因の一つです。
もう一つは、予算の余裕です。長年にわたり厳しい予算要求基準が設けられ、新しい政策に取り組むだけの予算がありません。もう少し、官僚たちから上がってくるアイデアを実現できるようなゆとりが欲しいのです。

「収入」「労働条件や職場環境」「やりがいと将来性」の三つについて、学生や若手公務員に納得のいく改善をしない限り、若者は公務員を選ばないでしょう。それを考えるのは、内閣人事局と各省人事課の役割です。彼らに期待します。