カテゴリーアーカイブ:著作と講演

毎日新聞に載りました2

2024年10月24日   岡本全勝

10月23日の毎日新聞に、私の発言が短く載りましたが、長いインタビューがウエッブに載りました。有料記事ですが、全文の3分の1ほどを、読むことができます。「防災庁実現で温かい食事の提供も? 岡本全勝元復興次官が語る訳

・・・地震と豪雨に見舞われた能登半島の二重被災もあり、衆院選では複数の政党が「防災庁」や「防災省」創設を公約に掲げる。東日本大震災の復興に長年携わった岡本全勝・元復興事務次官(69)は、「防災庁が実現すれば、温かい食事の提供など緊急対応が充実する」との見解を示す。その訳を聞いた。

――自民党、公明党、れいわ新選組、社民党が防災庁(省)構想を掲げる。どう評価するか。
◆災害対応は大きく、事前防災と発生時の緊急対応、その後の復旧・復興の3段階に分かれる。現在、緊急対応までは内閣府防災担当が司令塔となっているが、予算と人員が少なく限界がある。防災庁が実現し予算と人員が拡充されれば、国が手厚く支援できるようになる。避難所環境の改善や温かい食事の提供などの緊急対応が充実するだろう。

――防災庁はどのような役割を果たすべきか。
◆内閣府防災担当と復興庁の役割を統合させて防災庁にしたらよいと私は主張している。というのも内閣府防災担当が発災直後の対応について手薄となっている上に、復興に関しては司令塔がない。1月の地震に加えて9月に水害も起きた能登半島では政府が一元的な窓口を作って財政やノウハウの支援をする必要があるが、所管する組織がない。
東日本大震災では、道路は国土交通省、学校は文部科学省、病院は厚生労働省――などと所管が分かれる分野でも復興庁に国の窓口を一本化し、市町村の要望をたらい回しせずに済んだ。東日本大震災以外の一般災害でも、防災庁が同様に対応すべきだろう・・・

ベトナム政府幹部研修

2024年10月23日   岡本全勝

今日、10月23日は、政策研究大学院大学で、ベトナム政府幹部研修の講師を務めました。政策研究大学院大学がベトナム政府職員の研修を引き受けているので、何度目かの出番になります。
今日は、20人を超える人が熱心に聞いてくれました。質問も、鋭かったです。

ベトナム語は、発音も文章も全くわからないので、少々難しいです。私の講義は当時の写真などを写して説明するので、理解はしてもらっているようです。

毎日新聞に載りました

2024年10月23日   岡本全勝

10月23日の毎日新聞「衆院選 ピンとこない「防災庁」 複数政党公約 浮かんでは消え」に、私の発言が少し載りました。紙面とウエッブでは、表題が異なるようです。

・・・大災害が起きれば、国でも内閣府防災担当が緊急対応や、その後の復旧を担う。だが平時は防災計画の推進や普及啓発を役割としており、その規模は職員約150人、一般会計約70億円と一つの町程度。地域格差を補うには不十分という見方がある。
そこで浮上するのが防災庁構想だ。岡本全勝・元復興事務次官は「予算と人員を拡充して防災庁を作れば、国がより手厚く支援できるようになる。温かい食事の提供など避難所環境も充実するだろう」と話す。内閣府防災担当には局長級の統括官が1人しかいないため新組織での充実を提案する・・・

石巻広域圏で講演

2024年10月22日   岡本全勝

今日10月22日は、宮城県東松島市で「石巻地区広域行政事務組合」の研修講師を務めました。石巻市、東松島市、女川町の特別職及び管理職約230人が、集まってくださいました。
主催者からの要望は、市役所内で官製談合事件が起きたことから、組織内での不祥事をいかにして防ぐかです。それで、「管理職の必須知識-困ったことも起きる」という題で話しました。不正は起きてはいけないのですが、なくなりません。「総務省調査

職場での不正は、職員個人による横領や収賄などと、組織として行われる統計不正や不適正支出があります。前者は「害虫」に例えられ、後者は「カビ」に例えられます。害虫はつまみ出せば良いのですが、カビを根絶するのは難しいです。
それで、私が経験した事案や、報道を賑わした事例を取り上げ、どのようにして不正が起きるか、どのようにしたら防げたかを話しました、いずれにしても、難しい、元気の出ない話です。仕方ないですね。

かつての管理職研修は、部下を使って良い成果を上げましょう、部下を育てましょうということが主でした。しかし、職員全員が優秀な職員になるわけではなく、それは無理なことです。他方で、困った職員もいますし、普通の職員が失敗をしでかすこともあります。「優秀な職員を育てる」という「前衛の思想」とともに、「困った職員をどう扱うか」という「後衛の発想」も必要です。

この地域は、東日本大震災で大きな被害を受けました。発災直後から、何度も足を運びました。一緒に仕事をした方も、たくさんおられます。懐かしい顔と、久しぶりにお会いすることができました。

連載「公共を創る」第202回

2024年10月18日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第202回「政府の役割の再定義ー官僚主導の限界と国民意識の転換」が、発行されました。かつての「官僚主導」がなぜ成り立ったのか、何が問題だったのか、そしてなぜそれが行き詰まったのかを説明しています。

官僚主導が存続したのは、冷戦下の一国平和主義と経済成長が続き、政治的決断の必要がないという前提があったためです。その前提が終焉を迎えると、官僚主導の限界が露呈しました。
1989年にベルリンの壁が壊れ、1991年にはソ連が崩壊し東西対立が終わりました。それで世界に平和が訪れればよかったのですが、重しの取れた世界は、逆に不安定になりました。地域での紛争が続出し、日本もまたそれに巻き込まれることになります。米軍の保護の下で平和を謳歌するという一国平和主義が、続けられなくなったのです。国内では経済成長が終わり、政府も増えてくる社会の富を分配だけしているわけにはいかなくなりました。あらゆる分野や地域に資源を投入することは、もうできません。

国際環境の変化と経済成長の鈍化で、従来の日本の路線が行き詰まってきたことが明らかになり、国民の間にも、「変えなければ」という意識が広がりました。
国民の意識は、まず自民党政権への不満という形で現われました。1993年には、細川護熙首相を担いだ8党・会派によって、非自民政権が誕生しました。長期にわたって続いた自民党政権が、ついに交代したのです。次に政策の企画などについて十分に役割を果たせなくなった官僚に対して、その幹部が過度で破廉恥ともいうべき接待や賄賂を受けていたこと、そして逮捕者が出たことなどもあって、不満が爆発ました。

このような時代背景や国民意識の高まりから、1990年代に、これまでにない改革が進みました。一つは地方分権改革であり、もう一つが中央省庁改革です。いずれも、昭和の頃から抜本的な改革を行うべきだと口にはされてきていましたが、ほとんどの人が「できっこない」と思い込み、実際に政府が具体的に手を着けることはなかった課題だったのです