カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

コメントライナー寄稿第13回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第13回「マイナカード問題と組織管理」が8月10日に配信され、15日のiJAMPにも転載されました。また時事総研のHPにも掲載されて、これは無料で読むことができます。

マイナンバーカード交付を巡る混乱が問題になっています。政府は行政の電子化を進めるために交付を急ぎましたが、他人の情報を登録するなどの多くの間違いが発生しています。この問題を、東日本大震災での被災者支援や、新型コロナウイルス対策と比べてみました。これらは、政策の実施過程として見ると、新しい課題への取り組みであること、政府を挙げて対応するため本部組織が作られたこと、広範な国民を対象とすることなどが共通しています。

問題の原因を、3つ上げました。
1つめは、本部組織での現場感覚の欠如です。新型コロナウイルス対策では、当初自治体に膨大な指示が出て混乱が生じましたが、自治体を知る総務省幹部が地方との連携を担うことになって円滑に進みました。
2つめは、本部組織の社風の問題です。各省庁や民間から集められた混成部隊の職員をどのようにして能力を発揮させるかです。
3つめは、幹部職員の人選です。組織の全体を把握し、首相官邸や大臣と意思疎通する人が必要です。

コメントライナー寄稿第12回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第12回「一身にして二生を過ごす」が、7月10日に配信されました。

高度経済成長によって、私たちの暮らしは大きく変化しました。私たちは今、もう一つ大きな変化を経験しています。経済成長期にできた「標準的家族の終わり」です。漫画「サザエさん」に描かれているです。夫婦と子2人の4人家族、父親は仕事に出かけ、母親は家庭を守ります。ところが今や、片働きより共働きが多くなりました。家族の数は1人暮らしが一番多いのです。

人権意識も大きく変わりました。私が就職した頃の人権教育は、同和問題が主でした。現在では、いじめや体罰、家庭内暴力、パワハラ、セクハラ、性的少数者へと広がりました。特に男女間の格差解消は、革命的な変化です。

福沢諭吉は江戸と明治の二つの時代を生き、『文明論之概略』で「一身にして二生を経るが如し」と述懐しています。明治維新に続き戦後改革でも、憲法体制が革命的に変わりました。
平成と令和を生きている私たちは、憲法は変わらなかったのに、革命的経験をしています。しかも前2度の革命より、暮らしの形と社会の意識は大きく変化しています。政治革命を伴わない社会革命です。

石原信雄さん追想録

日経新聞5月19日の夕刊追想録、「故・石原信雄さん(元内閣官房副長官) 官僚の矜持体現」に、私の発言が引用されています。

・・・国家運営を担う官僚の矜持を体現した存在だった。官僚トップの官房副長官として政治家に耳障りでも官僚としての正論を説く。政治が方向を判断すれば霞が関の声を踏まえバランスよくさばく。歴代首相は首相官邸の要として手放さず、支えた首相は7人を数えた。

「政治主導への過渡期という時代が石原さんを必要とした」。旧自治省で薫陶を受けた岡本全勝元復興次官はこうみる。
時は冷戦終結後、日本は市場開放や自衛隊の海外派遣など通商政策や外交安全保障政策の転換を迫られた。
今なら政治主導で決めることだが、当時の政治にその備えは十分でなく、石原氏は政治判断でも頼られた。湾岸戦争で米国に90億ドル拠出を求められた際は、海部俊樹首相に「やむを得ません」と決断を促し、小沢一郎自民党幹事長から了承を取り付けた・・・
追悼、石原信雄さん

コメントライナー寄稿第11回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第11回「「行政文書」は正確か」が、5月11日に配信され、16日にはiJAMPに転載されました。時事総研ホームページでも、しばらく見ることができるようです。

この3月に国会で、総務省の文書が正確かどうか、が議論になりました。「行政文書なのに、内容の正確性が争われることがあるのか」と疑問に思われた方もおられるでしょう。
私が鹿児島県文書課長を務めた約40年前には、現在の「行政文書」という言葉はありませんでした。職員が作った文書は、「公文書」といわれる保存を前提とした重要な文書と、それ以外の執務の過程で作ったメモなどに区分されていました。

「行政文書」という言葉は、1999年に制定された「情報公開法」で作られました。同法では、行政文書には、先に述べた公文書とそのほかの文書の両方が含まれることになりました。ここに、「革命」が起きました。

「公文書」は正確ですが、「そのほかの文書」はええ加減な物です。例えば幹部から電話で指示があったとします。メモを取とった場合に相手に確認を取ることができればよいですが、ほとんどの場合そんなことはしません。「今の話を文書にしました。これで間違いなければ確認の署名をください」と言うことは難しいです。上司には「アレをアレしておいてくれ」というような指示をする人もいます。
そのようなメモについて「正確ですか」と聞かれても、作成者は「私は正確だと思いますが・・」としか答えようがありません。

岸宣仁著『事務次官という謎』

岸宣仁著『事務次官という謎 霞が関の出世と人事』(2023年、中公新書ラクレ)が、出版されました。長年、大蔵省・財務省を中心に官僚を取材してきた記者による新書です。

アマゾンには、次のような紹介があります。
・・・「事務次官という謎」を徹底検証!
事務次官、それは同期入省の中から三十数年をかけて選び抜かれたエリート中のエリート、誰もが一目置く「社長」の椅子だ。
ところが近年、セクハラ等の不祥事で短命化が進み、その権威に影が差している。官邸主導人事のため省庁の幹部が政治家に「忖度」しているとの批判も絶えない。官界の異変は“頂点”だけに止まらない。“裾野”も「ブラック」な労働環境や志望者減、若手の退職者増など厳しさを増す。
いま日本型組織の象徴と言うべき霞が関は、大きな曲がり角を迎えているのだ。事務次官はどうあるべきか? 経験者や学識者に証言を求め、歴史や法をひもとき、民間企業や海外事例と比較するなど徹底検証する。長年、大蔵省・財務省をはじめ霞が関を取材し尽くした生涯一記者ならではの、極上ネタが満載・・・

第1章「その椅子のあまりに軽き――相次ぐ次官辞任劇の深層」に、過去31年間に問題で辞職した事務次官17人の事例が、表になって載っています。実名は避けられていますが、年月と省庁名、事案の概要が書かれています。これを見たときには、驚きました。こんなに多いのかとです。多くの案件は忘れていましたが、一つ一つを見ると思い出します。官僚の不祥事での処分は多いですが、次官がこれだけも辞めているとは。それらには、組織の不祥事の責任をとった場合と、本人の問題でやめた場合が含まれています。

私も取材を受け、話をしました。3か所で、私の発言が取り上げられています。私のほかは、黒江哲郎・元防衛次官が話しておられます。武藤敏郎・財務次官も少し出ておられます。ほかにも次官経験者の話が出ていますが、実名が出ることを条件に取材に応じた次官経験者は、この3人だけだったようです。
何を話しても世間からたたかれるようなご時世なので、取材を受けないことも一つの処世術でしょう。私は、著者の思い込みや噂などによる間違ったことを書かれると困ると思い、幅広にお話ししました。また、高い評価から急激に低下した官僚を同時代として経験した一人として、その反省も話しておくべきだと考えたからです。話したうち取り上げられたのはごく一部ですが、ほかの部分の執筆でも参考になったことがあればうれしいです。

私が官僚になった頃は、いくつも官僚を題材にした本が出ていました。その後は取り上げられることも少なくなり、出るとしたら今回のような扱いです。その変化に、改めて驚きます。
学者の研究でなく記者によるもの、中公新書ではなく中公新書ラクレであることを理解のうえ、お読みください。