カテゴリーアーカイブ:寄稿や記事

市町村アカデミー機関誌2026年春号

2026年4月12日   岡本全勝

市町村アカデミー機関誌「アカデミア」2026年春号が発行されました。拙稿、連載「これからの時代に求められる自治体職員像」第4回「あなたの悩みは何か─若手職員の心構え」が載っています。今回は、若手職員向けです。

職場では、いろいろな悩みや迷いが出ます。それをどのように乗り越えていくか。そこに、仕事が楽しくなるか、嫌になるかの違いが出てきます。そして、仕事ができる職員と、そうでない職員の違いが出てきます。
職場での悩みは、「仕事について」「人間関係」「将来の見通し」に分類できます。その対処方針を説明しました。
どの悩みについても一番の薬は、助言をくれそうな人に相談することです。上司には聞きにくいこともあるでしょう。そのようなときに相談できる先輩を持っておくことが重要です。

第3回「職場を支えているという自覚-中堅職員の役割
第2回「管理職の役割-はまるな四つの落とし穴
第1回「これからの自治体職員像ーあなたに求められていること

『地方公務員月報』3月号に寄稿しました

2026年4月3日   岡本全勝

地方公務員月報』3月号に、拙稿「働き方が変える「この国のかたち」」が載りました。この雑誌は、総務省公務員部公務員課が編集していています。省庁が関与している出版物としては珍しいでしょう。

時事通信社の専門誌『地方行政』に、「公共を創るー新たな行政の役割」を連載しています。私の問題意識は、私が採用された頃「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本経済がこの30年の間に地位を落としたこと、また世界一とも評された官僚組織の評価が低下したことです。
なぜ、そうなったか。それは、日本の経済や暮らしが大きく変化したのに、社会の仕組みと国民の意識が追いついていないこと、そして何より官僚と行政がそれに先回りして対処できていないということです。経済発展期にできあがった社会の仕組みが、成熟社会になった現在の日本には適合しなくなり、「この国のかたち」を、成熟期のものに転換している途中なのです。
その象徴的な場面が、働き方です。そこで、私が国家公務員になってから約半世紀、働き方がどのように変わったかを、体験に基づいて整理してみました。職員研修で述べていることなども、盛り込みました。若い人が読むと、理解できなかったり、笑うかもしれません。

見出し(目次)を並べておきます。
長時間労働を自慢した。偏った生活。「男女共同参画」がやってきた。少子化の原因。不満な従業員。職場管理をしてこなかった。人事政策がなかった。管理職を育ててこなかった。管理職は別に育てる。日本的雇用慣行の終わり。やる気と努力が責任と処遇に反映される仕組みへ。

この間の変化とともに、人事政策関係者に苦言を呈しました。拙著『明るい公務員講座』3部作が、結構売れています。それはうれしいのですが、そもそも人事の専門家でない私が書いた本が売れること、そして人事課にそのような本を書く人がいないことが問題なのでしょう。また、管理職研修の講師に呼ばれることが増えたのですが、主催者が一様に言う悩みは、「管理職研修の定番がない。講師もいない」です。

地方公務員の環境の変化と在り方に関しては、過去に次のような文章も書きました。今回はそれらの総集編でもあります。
「不思議な公務員の世界ーガラパゴスゾウガメは生き残れるか」『地方自治』2008年5月号(ぎょうせい)
「安心国家での地方公務員の役割」『地方公務員月報』2011年4月号(総務省自治行政局公務員課)

朝日新聞に出ました

2026年3月14日   岡本全勝

今朝3月14日の朝日新聞社説「津波被災地の復興 一人ひとりの歩みをより前へ」に、私の発言が引用されました。
・・・発災直後から復興に向け事務方の陣頭指揮をとった岡本全勝・元復興庁事務次官は振り返る。「人口減少下の復興という課題が顕在化した災害だった。住宅の整備だけではまちは戻らないと痛感した」
被災地に出向き、商店に加え働く場づくりが必要と改めて気づき、これまでの国のルールにとらわれない産業支援策も考えた。一方で、早く安全なまちにと先行した巨大な防潮堤などインフラの復元が、まちの復旧と切り離されてしまったと悔やむ・・・

また、朝日新聞ウェッブ版に、「「仮設住宅ができても暮らせません」 官僚を動かした被災者の言葉」というインタビューが載りました。一部を紹介します。
・・・東日本大震災の発生直後、霞が関に突然、呼び戻された官僚がいた。自民党の麻生政権で秘書官を務めた総務官僚の岡本全勝(まさかつ)氏(71)だ。民主党への政権交代後、自治大学校の校長に就任していたが、震災対応を命じられた。復興に向けて、裏方として陣頭指揮をとった岡本氏に、人口減少が進む日本の災害対応のあるべき姿を聞いた。

―東日本大震災は、政府の復興の考えを大きく変えたと言われています。
「一番の成果は、復興の哲学を『国土の復旧』から『暮らしの再建』へ転換したことです。発災当初は、道路や住宅などインフラを直せば復興は終わると思っていました。しかし、仮設住宅がほぼ完成した半年後、『これで一段落ですね』と地元の人に言ったら、『仮設ができても暮らせません』と言われました」
「避難所では生活物資が無償で提供されますが、仮設住宅に入ると食事も日用品も自分で調達しなければなりません。ところが、商店街は流され、仕事もない。そこで、初めて仮設住宅を作っただけではまちは戻らない、商店と『働く場所』が必要だと痛感しました」

―それまでの災害対応では、なかった考えでした。
「東日本大震災は、人口減少が進む過疎地域で起きた、初めての巨大災害でした。阪神・淡路大震災は都市部で起きましたから、道路と住宅を直せば人は戻った。しかし、あのときはそうはいかなかった。人口減少下の復興という課題が、顕在化した災害だったと言えます」

―一方で、人口や経済規模に比して過大な復旧・復興となった地域があったのではという指摘もあります。
「大きく三つの問題がありました。一つは、防潮堤や堤防などのインフラの復元が、まちの復旧と切り離されて先行したこと。二つ目は、人口減少を前提としたまちづくりが十分にできなかったこと。三つ目は、小さな集落を個別に復旧してしまったことです。漁業を営む住民たちが、漁港の近くの高台に集落を移すケースが少なくありませんでしたが、近くに商店や学校、病院はありません。そういう集落は不便ですし、30年後に住む人がいなくなる可能性があります」・・・

コメントライナー寄稿第27回

2026年3月10日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第27回「東日本大震災から15年-未来への課題」が3月9日に配信され、3月10日のiJAMPにも転載されました。

2011年3月11日に東日本大震災が発生してから、早いもので15年が経ちます。1000年に一度の大津波と、経験したことのない原発事故が併せて起こりました。私は発災1週間後から被災者の生活支援に当たり、引き続き復興庁統括官や事務次官、福島復興再生総局事務局長として、10年近くにわたって復興に従事しました。

津波被災地では、約10年で復旧工事を終えました。400近くもの市街地や集落を、移転したり土地をかさ上げして造り変えたりする大工事でした。より大きな課題は、公共インフラを復旧しても、町のにぎわいが戻らないことです。商店が再開されないと住民は暮らしていけず、働く場所がない町には人は戻ってきません。そこで、国が事業再開を支援することにしました。災害復旧の哲学を、「国土の復旧」から「暮らしの再建」に変えました。
東日本大震災での教訓は、その後の災害に生かされています。しかし、予想されている南海トラフ地震では、東日本大震災をはるかに超える被害が想定されています。一つの課題は、復興にかかる財源です。

原発事故からの復興は、まだ道半ばです。放射線量が高く、避難指示を解除できないところもあります。廃炉作業の見通しは立たず、災害はまだ終わっていないのです。今後の道のりの長さを考えれば、「東電福島第1原発事故復興基本法」を作ることを提案しました。

大震災から15年、共同通信による配信記事

2026年3月9日   岡本全勝

東日本大震災から15年ということで、いくつか取材を受けました。その一つ、共同通信社の記事が地方紙に配信され、紙面に載ったようです。例えば、岩手日報では3月2日付けです。藤沢烈さんの発言も載っています。

表題は「身の丈に合った復興を」です。次のような質問に答えました。
―東日本大震災を受けた政府の復興政策をどう振り返るか。
―復興事業の一部は過剰だったとの指摘も。
―当初、自治体の財政負担をゼロにしたため施設整備が誘発されたのでは。
―復興庁は2031年3月末に設置期限を迎える。
―防災庁は何をすべきか。