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河北新報に載りました2

河北新報の記事の続きです。

3月22日「巨額国費、帰還は進まず<(中)際限なき除染>
「放射線量が高い帰還困難区域の一部を除染して解除する復興拠点制度の道を切り開いたのが、19年11月まで町長を務めた渡辺さんだ。福島復興再生特別措置法が17年5月に改正される1年数カ月前、「大川原はあくまで復興の前線基地。『本丸』は大野駅周辺だ」と国に新制度の検討を求めた。

当時の復興庁事務次官岡本全勝さん(68)は「放射線量の減衰が想定より早い『うれしい誤算』があり、国も提案に乗れた」。新制度ができれば面積の約96%が帰還困難区域の双葉町も希望が持てる。問題は除染費用の捻出だった。
東電は帰還困難区域の住民に、避難先への移住を前提に故郷喪失の慰謝料700万円や土地建物の財物被害、新居購入費の差額分など1世帯当たり数千万円から数億円を支払っていた。
他の避難指示区域と性格が異なり、「汚染者負担の原則」に基づき東電へ費用を求償するのは難しい。原子力政策を担う国の責務として税金投入を決めた。
復興拠点制度は自治体が居住目標人口などを盛り込んだ整備計画を認定する仕組みにした。国は私有財産に公的資金を投じないのが原則だ。「未解除区域の活用は街づくりに資する」(岡本さん)との立て付けにし、まとまった地域を国費で除染する方針を決めた。」

22日の記事では、次のような指摘もあります。
「17年12月以降、大熊を含む6町村で除染が始まった。関係者が安堵したのもつかの間、今度は復興拠点から外れた「白地」と呼ばれる地区の住民から「不公平だ」との声が漏れた。
原因の一つが国の被災者生活再建支援金。除染の際、家屋解体すると「自然災害由来の住家被害」(内閣府防災)とみなされ、最大300万円が支払われる。霞が関の元官僚は「本来原子力災害は適用外のはずだ。賠償金との二重取りではないか」と問題提起する。
高まる不満を受け、政府は白地地区を一定条件下で「特定帰還居住区域」とし23年度から国費除染することにした。内閣府の須藤治福島原子力事故処理調整総括官は「希望者を帰還させるのが居住人口を増やす一番の近道。国は努力を惜しむべきではない」と話す。
避難区域の全域除染について、20年10月まで飯舘村長を務めた菅野典雄さん(76)は「復興拠点に膨大な予算を投じた意味がなくなるし、拠点制度を考えた官僚らの努力も報われない」と否定的見解を示す。
「福島は賠償金で住まいを再建できた人が多い。津波で自宅も家族も失った岩手や宮城の人たちの心情を思えば、もっと頑張れる余地がある」と問いかける。」

河北新報に載りました

3月21日河北新報1面連載「償いの実相 福島に投じた復興予算」に、私の発言が載りました。
ハコモノ乱立、投資か浪費か<(上)潤沢な財源>
「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から12年が過ぎた。ハード事業がほぼ終了した岩手、宮城両県の復興予算は縮小する一方、福島県はいまだ肥大化している。避難指示が解除された地区にはハコモノが乱立し、帰還困難区域の国費除染は終わりが見えない。前例のない予算措置を、国の関係者は福島への「償い」と呼ぶ。住民帰還が頭打ちとなる中、巨額の税金をつぎ込むことに国民の理解は得られるのか。模索が続く現場の実情を報告する。(東京支社・桐生薫子)」

内容は記事を読んでいただくとして、私の発言は次のようなものです。
「元復興庁事務次官の岡本全勝さん(68)は福島の復興は経済合理性では計れないとし、「天災に見舞われた宮城、岩手は復興支援だが、福島は国としての『償い』だ」と説く。一方で「納税者の理解を得られる執行に努めなければならない」とも付け加える。」

19面では、原発被災地復興に投じられた経費が詳しく分析されています。「帰還整備費、膨らみ続ける」。よく調べてあります。
そこでは、帰還困難区域の4人世帯の賠償金額(平均)の内訳も載っています。精神的慰謝料と故郷喪失損害に7317万円、土地と建物の損害(全額賠償)に4933万円、避難先での住宅確保(損害賠償との差額)3115万円、家財の損害(全額賠償)783万円、田畑・山林の損害(全額賠償)1580万円です。

元に復旧することが無駄を生む

今朝2月27日の朝日新聞社会面(1面「71億円の橋、誰のために」からの続き)「(災後の風景@石巻:上)人住まぬ地、止まらなかった事業」に、私の発言が取り上げられました。写真付きです。

石巻市大川地区は、北上川河口にあり、大震災で水没しました。巨額の国費を投入して農地や堤防、橋などを復旧しました。住民は、ほかの地区に移住しました。

・・・ 「止めたくとも、止められなかった」
この地区の復興についてそう話すのは誰あろう、岡本全勝(まさかつ)・元復興庁事務次官(68)だ。政府で復興事業の指揮をとってきた。
2012年の復興庁の発足後、岡本さんは何度も現地を訪れ、疑問を持った。「米余りの時代に大がかりに農地を戻すのは、ムダではないか。ほかの方法はないのか」。農林水産省の職員に尋ねたという。だが、農地も防潮堤も道路も、すでに復旧は走りだしていた。

災害復旧事業は壊れた公共土木施設や農業施設を確実にもとに戻すため、国が自治体に手厚い財政支援をする。災害後ただちに所管省庁の出先機関が現地で査定に入り、迅速な復旧をめざす。新規事業とは違い、「費用対効果」は問われない。復興庁が所管する復興交付金とは別制度のため、調整も難しかった。
「それぞれの役所が、いったん走り出すと止まらない。だが住む人がいなくなってしまう場所で、その仕組みでよかったのか。『部分最適』が結局『全体不最適』になってしまった」・・・

・・・ これからに向けた教訓はあるだろうか。
壊れた公共インフラを、国の負担でいち早く元通りに戻す。災害復旧制度は、長く国土のメンテナンスを担い、地域社会の安全を支えてきたと言える。
だが、人口減が始まった日本で、この仕組みに矛盾が生じてはいないか。近年は毎年のように豪雨災害が発生し、災害復旧の総額も膨らんでいる。
地方自治体の政策を担う総務省の元官僚でもある岡本さんは「まちが縮小するとき、各種施設を元の大きさで復旧してよいのか。費用対効果を検討してはどうか。各施設をバラバラに復旧するのではなく、将来どんな地域にするか面的な検討も必要だ」と提案する。(編集委員・石橋英昭)・・・

参考「復興事業の教訓、過大な防潮堤批判」、そのほか「復興10年の反省

NHK解説 国会連絡室の「トンビ」

NHKウエッブサイト「政治マガジン」に「その名は“トンビ” 「国会は戦場だ」 官僚の情報戦」が載りました(2月3日掲載)。金澤記者から取材を受けて、記事の後ろの方に私も登場します。

「トンビ」と聞いても、何のことか分かりませんよね。各省の国会連絡室(場所は国会の敷地内の建物にあります)に勤務している職員たちの俗称です。議員会館の廊下を訪ね歩く姿から「廊下トンビ」と自称し、それが短くなったものと考えられます。
各省の国会関係の「情報収集機関」の働きとともに、国会審議を円滑にする役割もしています。世間の人はもちろん、公務員の多くも知らない、国会運営の裏方です。金澤記者も、よいところに目をつけましたね。

国会連絡室は、各省の官房総務課や文書課に属しています。私は、総務省官房総務課長を2年半勤めました(通常国会は3回)。その頃の仕事は、このホームページの「国会」に書きました。20年近くも前の話です。
国会開会中は、総務課長も国会内の連絡室に勤務し、トンビたちの指示に従って、議員のところにお願い、お詫び、お礼に行きます。

河北新報社『復興を生きる』

河北新報社編集局編『復興を生きる 東日本大震災 被災地からの声』(2022年8月、岩波書店)を紹介します。
河北新報社が、震災10年を機に連載した「東日本大震災10年報道」を、本にしたものです。2021年度新聞協会賞企画部門を受賞したとのことです。

大震災の被害については、たくさんの報道と記録があり、その後の復興についても、継続的に報道されています。しかし、10年を機にその復興を振り返ることは、価値があります。
自然災害は自然が引き起こすもので、防ぐことができない部分もあります。他方で復興は、私たち人間が取り組むものです。10年というのは一つの区切りですし、津波被災地ではほぼ復興工事は完了しました。
町がどのように復興したか、産業や暮らしがどう変わったか。それを検証して欲しいです。復興庁も、インフラの復旧だけでなく、産業となりわい、人とのつながりやコミュニティの再生も支援しました。インフラの復旧だけでは、町の暮らしが戻らないと気づいたからです。

政府や自治体もその記録を残していますが、地元の新聞社という立場から復興を振り返ってもらうことは、政府と自治体にとっても有意義だと思います。時に厳しい意見もありますが、今後起きるであろう大災害の際に教訓となります。
当事者も関係者も最善を尽くしたのですが、初めての経験でもあり、手探り状態でした。振り返って「こうすればよかった」ということもあるでしょう。第10章で、復興庁が取り上げられています。

私の発言も、93ページ、212ページに載っています。2021年3月18日の記事は、収録されていないようです。