カテゴリー別アーカイブ: 主な著作

新地方自治入門 補足3

【街の醜さ】
朝日新聞7月6日夕刊に文化欄に、丸谷才一さんが連載「袖のボタン」で「内の美と外の美」を書いておられました。
古代日本語では、所属の助詞が2つあったとのことです。一つは「我ガ背子」のガで、自分あるいは自分に近いものを受けます。もう一つは「諸人ノため」のノで、それ以外のものを受けます。前者を内扱いのガ、後者を外扱いのノというのだそうです。
そこから始まって(このあたりが格調が高いですね)、日本人にとって内と外の区別は重要で、しかも内を重んじ外を軽んじてきたことを論じておられます。そして話は、都市景観の醜さに発展します。日本人の坪庭の思考と、西洋建築の外見を重んじる思考との差です。電線類の醜さを取り上げ、海外旅行に行っても見方が変わらないことを指摘しておられます。(2004年7月18日)
【第7章】
社会的共通資本(p193)については、
内閣府国民生活局が、15年8月に「ソーシャル・キャピタル-豊かな人間関係と市民生活の好循環を求めて」(2003年8月、国立印刷局)をまとめ、出版しました。
宮垣元著「ヒューマンサービスと信頼-福祉NPOの理論と実証」(2003年11月、慶應義塾大学出版会)が、教育や福祉といった対人サービスにおける、信頼・情報・NPOの機能を分析しています。
そこでは、福祉サービスが家庭から行政へ「外部化」することによって、信頼の役割がどのように変化するか、NPOの場合はどうかなど、をわかりやすく分析しています。また、コミュニティを、「地域コミュニティ」と「テーマ・コミュニティ」に区分するなど、示唆に富んでいます。(2003.11.24)
【文化の効果】
14日の読売新聞「地球を読む」で、白石隆京大教授が「韓流と東アジア、文化が一大産業に」という題で、韓国ドラマなど文化商品による、東アジアの「一体化」「均質化」、アジア人意識の形成を論じておられます。(2004年11月15日)
【第8章】
山脇直司先生が、「公共哲学とは何か」(ちくま新書)を出版されました。先生は、東京大学大学院総合文化研究科授です(3月まで私も客員教授を勤めていました)。先生の主張は、
①公私二元論でなく、政府の公・民の公・私的領域の三元論
②経済・科学・教育などにおいても、「公共性」が必要であること
③学問においても、現状分析だけで終わらせる実証主義や、批判だけして対案を提示しない批判主義でなく、「現状分析」と「あるべき社会像の追求」と「実現可能性の探求」を考えるべき
④「公共性と個人の関係を重視する」。滅私奉公でも滅公奉私でもない、「自己-他者-公共世界」論。中間集団の重視、などです。
拙著「新地方自治入門」(第7章地域の財産とは、第8章公の範囲は)での主張と、大きく重なっています。意を強くしました。ご関心ある方は、ご一読ください。
私は、「政治をシステムとして理解する現在の政治学」に不満を持っています。大学の講義でも、政策=アウトカムを分析の軸に据えました。拙著では、p280以下で触れています。(2004年5月9日)
【第10章】
日本の政治のページをご覧ください。

新地方自治入門 補足5

書評
産経新聞政治面書評
「「国から地方へ」を柱の一つとする小泉構造改革が進む中、総務省の現官房総務課長が、地方自治体の現状分析と将来の展望を分かりやすく解説する。複雑で分かりにくい地方行政制度について、戦後五十年の歴史を解きほぐしながら説明しているのが特徴。高度経済成長が終わった後に生じたさまざまな制度矛盾や問題を提起する。
国と地方の税財政「三位一体」改革で注目される複雑な地方財政制度だが、著者の専門分野だけに図表を駆使し、特に詳しく分かりやすく記載。多くの地方自治体の財政が悪化した原因と現行制度の課題を分析しており、改革の意義が明快に分かる。
制度面だけでなく「自治」や「政治」の理念についても原点に立ち戻って検証。二十一世紀型の地域社会の在り方も提言する。」(2004年3月12日)
「国際税制研究」12号に知原信良大阪大学法学部教授書評を書いてくださいました。「・・・本書は地方税財政や自治の問題を包括的に整理して将来を展望したいと思う者に、有益であり時宜を得た著作といえる」「・・・具体例をふんだんに用いて、説明も丁寧であるので大変わかりやすい。地方公共団体の業務については、木は見えても森がよく見えないといわれるが、本書はその全体像を知る上で格好のガイドブックとなるだろう・・・」。ありがとうございます。(2004年5月18日)
NiftyBooks(bk1)より「良書普及人」氏による
中央省庁の現職課長が、自らの仕事を振り返り、更に先輩官僚の業績をマクロ的に反芻し、今の制度の桎梏状態を指摘し、これからどうしていったらよいのかを、幅広い視野から問題提起しているのがこの本である。
筆者は東大の客員教授として、2年にわたり学生相手に分かり易く地方行政の運営実態を講義してきたものをまとめたと書いている。
単なる制度の解説ではなく、制度を通して何が実現できてきたのか、その制度が今どういう課題に立ち至って、かえって日本社会の足かせになっていることを指摘している。これまでの日本の成功を支えた三つの条件、「明確な目標」、「潤沢な財政」、「効率的な行政機構」が、「目標の喪失」、「財政の制約」、「行政の機能不全」に転化しているという観察は、実際そのとおりである。
この本は、曖昧な指摘ではなく、はっきりとした指摘や主張がふんだんに含まれているので思わず唸る箇所が随所にある。例えば以下のようなものがある。
・国家公務員は地方公務員と異なり、人事権が各省庁にあり、対等なものの間の調整がなかなかつかない。優秀な官僚ほど頑張ってカタがつかない。
・教育委員会制度があるので、市民に選ばれた市長が教育に最終責任を持てない。教員に対する人事権も無く制度上問題が大きい。
・地方の貴重な一般財源である地方交付税は特別会計の借り入れが無ければ現在の6割の水準になる。歳出削減をするか、交付税の財源である国税の増税をするか、地方税の増税をするしか方策は無い。
現職の官僚として、無難にことを運ぶという、「伝統的な」役人像からは、一歩も二歩もはみ出ているが、そういう役人が中にはいるということを、このような本を通して知ることができるということも、読書の楽しみ方ではある。地方行政を目指そうとする人たちや、高校の「公民」の授業の副読本としても有用な本である。(2004年6月19日)
インターネットを見ていたら、拙著の書評を見つけました。ぞーりんという方です。「無味乾燥になりがちな内容を、わかりやすく書いてある良書。入門に最適!というのは、ひとつひとつの主張にデータ的裏付けや豊富な具体例があり、また、キャッチフレーズの付け方がうまいせいと思われる。凡百の小難しい地方自治概説本を読むより、よほどためになる」
存じ上げない方ですが、こんなに誉めてもらうと、嬉しいですね。ありがとうございます。(2005年1月18日)
(本格的書評)
同志社大学大学院総合政策科学研究科紀要第7巻に、細井 秀彦氏による書評が載りました。ありがとうございます。
「本書の特色は、従来の地方自治に関する書物が地方行政に関する法令や制度の解説にとどまっているのに対し、政治学、経済学、社会学などの議論を取り込み、広い視野から日本の地方行政と社会を論じている点にある。それゆえ・・・総合政策科学という学問を「伝統的な専門分野を基礎としながら個々の諸科学の狭い問題意識や問題解決方法にとらわれずに、それらの理論を総合ないし統合して問題解決に取り組もうとするもの」と一応の定義をするならば、本書は、「地方自治」という問題を総合政策科学という学問領域から考えるためにも非常に優れた一冊であると言える」(2006年8月12日)
インターネットで、拙著の書評を見つけました。「地方自治を担う人、特に行政職(事務職)に就いている人には必読の本・・ 特に将来の地方自治体像を描いた後半部分は非常に興味深い」。どなたかは存じませんが、ありがとうございます。(2007年2月17日)

 

新地方自治入門 補足2

まちをつくっていない市役所p179について
季刊『国際文化研修』2003年秋号(全国市町村国際文化研修所)に劇作家の平田オリザさんが「対話の時代に向けて」の中で、次のようなことを書いておられます。全く同感です。少し長くなりますが、一部を紹介します。(2003年12月3日)
「・・・ここ数年で日本の都市の風景が画一化してきました。バイパス沿いに大きなショッピングセンターができて、中心市街地の商店街はどんどん寂れていくという現象が、どの自治体でも起こっています。・・しかし、私たちは利便性を追求するあまり、失ってきたものがあるのではないでしょうか。
いちばん失ったものは、商店街、旧市街地が持っていたコミュニティスペースとしてのノウハウです。商店街が寂れていくと、まずお風呂屋さんがなくなり、そして散髪屋さんがなくなります。これは、・・かつてはまさにコミュニティスペースだった場所です。ここに集まってくる人たちが、ある種社会の安全弁になり、また若者の教育係にもなって、コミュニティが保たれていたわけですが、今はそういうコミュニティスペースがどんどん減ってしまっています。あるいは、原っぱでは子どもたちの学年を超えた交流が保障されていましたが、そういうスペースも減っています。
たとえば渋谷は30年ほど前には小さな街でしたが、この30年間で東急と西武という二つの資本によって拡大され、今や若者の街になっています。センター街ではチーマーと呼ばれる不良少年たちが地べたに座り込み、怖いので大人たちは近づかなくなりました。要するに、スラム化が始まっているのです。
・・・渋谷という街は資本の論理だけで街を拡張し、ヨーロッパの街なら必ずあるような噴水のある広場や公園などをつくってきませんでした。唯一渋谷にある宮下公園も、ホームレスのたまり場になっていて若者が寄りつくような場所ではありません。
・・・この象徴的な例は、おととし東村山で起きた、中学生がホームレスを殺害したという事件です。彼らは図書館で出会っています、冬の寒い時期で、おそらく居場所のない中学生もホームレスも図書館に行ったのです。そこで中学生が騒ぎ、それをたしなめたホームレスが逆恨みを受けて殺されてしまいました。これは明らかに中学生が悪いのですが、その背景には弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるのだろうと思います。
・・・私たちは人工的な出会いの広場をつくっていくべきだと思います。美術館や音楽ホールなどの公共文化施設は、本来そういう出会いの場になるべき空間なのです。逆に言うと、もしそれが出会いの場になれば、非常に大きな役割を共同体の中で果たせるでしょう。
・・・ただ、かつてのように地域に住んでいるという理由だけで町内会に入り、春はお祭り、夏は盆踊り、秋はおみこし、冬はもちつきと全部の行事に参加することは、特に若者は息苦しくてできません。
そこで、これからの自治体の責務は、文化施設をつくって、そこにさまざまなメニューを用意し、そこにいろいろな人々が参加し、何らかの形で緩やかにつながっていくネットワークを築くことです。これは大変なように見えますが、いったん街がスラム化すれば、その治安を回復するためには大変な税金を使わなくてはいけなくなります。
しかし、このことはまだ日本の市民社会のなかでは必ずしもコンセンサスを得ていることではありません。そして、日本の行政は、今まで基本的にはタックスペイヤーに対するサービスの提供に徹してきて、明日の住民、社会的弱者に対しては福祉行政という形でしか対応してきませんでした。その人たちにどうにかして社会参加をしてもらい、社会を活性化する積極的な役割を果たしてもらおうという考え方は、まだ日本の地方行政では主流にはなっていません。」
以上が平田さんの主張です。

新地方自治入門 補足4

 

公と政治の関係(p303)について
朝日新聞2003年11月25日夕刊論壇時評で、藤原帰一東大教授が「男性・女性」と題して書いておられます。
その中で、「論壇雑誌は男性向けに書かれているといっていい」
「最近刊行された『日本の論点2004』(文藝春秋)では・・・今の論壇では誰がどんなことを議論しているのか、早わかりになる便利な本だ。だが、議論の焦点は国際情勢、国家、憲法問題などに集中し、男女関係、結婚、家族などににかかわる話題は少ない。そんな領域は「少子社会」とか「高齢化と社会保障」など後半になって登場し・・・結婚と家族の現在などは「日本の論点」にならないらしい」
「性とか家族とかいった問題は、少子化のような天下国家の大事と認められた時にしか議論されていない。天下国家にかかわる「おおやけ」を論じる場では、男女にかかわる「わたしくごと」が考察から外されてしまうのである」
「出生率の低下は、高齢化などと併せ、将来の労働市場や国家財政を揺るがすだけに、これも天下国家の課題として扱われている」
教授は、少子化議論がツボを外しているという主張の中で述べておられます。
文脈は違いますが、拙著の主張からは、「公」の範囲、それと政治との関係としてとらえることができます。これまでは、家庭の問題は、人口が減って労働力が減ること、高齢化で社会保障が増えること、家族での介護が十分でなくなり介護保険が必要なこと、といった視点から政治の課題となりました。
経済や公的サービス、財政の収入と負担、という観点からしか、政治に入力されないのです。私の言うように私たちが暮らしていくのに必要な「関係資本」「文化資本」「公」「公共空間」に対し、これまでの政治は極めて範囲が狭いのです。そして、従来型の発想では、これらの問題は解決しないでしょう。(2003.11.30)
【注】
p337第2章注1
松本英昭著「要説地方自治法」は、第2次改訂版が出ました。
p341第8章注5
神野先生の3つのサブシステム論は、神野直彦著「財政学」(2002年、東京大学出版会)に「第二章 財政と三つのサブシステム」として整理されています。
p342第9章注9
塩野七生著「ローマ人の物語」は「ローマ人の物語Ⅴ ユリウス・カエサル-ルビコン以後」p372以下です。

新地方自治入門 補足

「新地方自治入門」の補足と追加のページです。
地方自治については地方行政も、日本の行政については官僚論日本の政治行政の構造的課題にも、私の考えを述べています。
(1人あたりGDPの国際比較)
内閣府の研究で、最新の状況を勉強しました。2004年時点では、日本は35,922ドルです(59ページの図表5-1)。地方自治入門p6では、2001年度の数字として、32,763ドルと書いたので、そんなに大きく変わっていません。しかし、外国との比較では、大きく変わっています。
アメリカは39,732ドルで、これも大きな変化はなし。ところが、イギリスが35,616ドル、フランスが32,918ドル、ドイツが33,346ドルです。拙著では、これらの国は日本の3分の2程度と書きましたが、現在では日本と並んでいます。なお、韓国は14,136ドルです。
これだけ変動が激しいのは、ドル換算していることが要因としてあります。ユーロはこの間に、ドルに対して3割も高くなっています。国内で同じGDPでも、ドルに換算すると3割り増しになるのです。
そこで、購買力平価で比較すると(62ページの図表5-4)、日本29,064に対し、アメリカ39,732、イギリス30,805、フランス28,994、ドイツ28,813となります。もっとも、この比較では、1995年は日本22,473、アメリカ27,542、イギリス19,862となり、ドル換算での日本41,927、アメリカ27,542、イギリス19,538、フランス26,425とは全く違った姿が見えます。(2006年9月4日)
【第2章】
図表2-4中「地縁団体」について、総務省が平成14年11月に調査をしました。総数は29万7千でほとんど変わっていませんが、法人格を取得した団体は2万2千と大幅に増加しています。詳しくは月刊「地方自治」(ぎょうせい)平成16年2月号をご覧ください。
【第3章】
地域自治組織(p53)については、地方制度調査会が、最終答申を出しました。今後の地方自治制度のあり方に関する答申(平成15年11月13日)
それに基づき、「地方自治法改正」が、改正されました(平成16年5月)
【第5章】
景気回復と国債の金利(p121)について、
国民の持つ金融資産が、かつては銀行預金や株式を通じて企業への貸付に回っていました。そして、経済が成長しました。それが近年、企業への貸付が減り、国債・地方債に回っています。不況だから国債が売れ、金利も低いのです。逆に言うと、国債で金融資産を吸い上げている限り、景気は良くならないのです。
具体的な数字は、2003年6月9日の経済財政諮問会議に提出された資料(p4資金循環の10年前との比較図)を見てください。(2003.11.29)
その他、国家財政のページをご覧ください。
【第6章】
地域社会の課題(国が考えている課題)p155
地域の財産(暮らしの環境)p186について
単行本では割愛しましたが、内閣府(旧経済企画庁)が毎年出している「国民生活白書」は、お金やものでない暮らしの豊かさを研究しています。毎年のテーマを並べるだけでも、興味深いものがあります。
【2004年国民生活白書:新しい地域の公共】
今年の「国民生活白書」(6月刊)は、「人のつながりが変える暮らしと地域―新しい「公共」への道」です。NPOなど地域の住民が集まって行っている多様な活動を取り上げています。いくつもの事例を紹介し、その意義や条件を分析しています。さらに、地方公共団体との関係や新しい形の公共になることを述べています。「官」ではない、「公共」です。
国民生活白書は、毎年、興味深いテーマを取り上げています。昨年はデフレと生活、若年フリーター問題。14年は家族の暮らし、12年はボランティア、10年は中年などです。その他、東京と地方、安全で安心な生活設計、多様な豊かさも。「地方自治50年の成果と課題」の連載時にはそれらにも言及したのですが、「新地方自治入門」にまとめたときに、分量の関係で削除しました。経済的価値でない豊かさという観点で、第7章に少し触れてあります。(7月2日、3日)