カテゴリー別アーカイブ: 著作の解説2 日本の政治と行政

著作の解説2 日本の政治と行政

行政構造改革

月刊『地方財務』(ぎょうせい)で、2007年9月号から連載。2008年10月号で、中断。

  「行政構造改革」ー日本の行政と官僚の未来ー
総目次

はじめにー私の問題意識

第一章 行政に転換を迫るもの
1 近年の行政改革・・・以上2007年9月号
2 社会の変化と行政の転換・・・10月号

第二章 行政機構と官僚制
1 日本の行政機構・・・11月号
2 日本の官僚制・・・12月号
3 官僚の失敗と官僚制の限界・・・2008年1月号
4 責任の所在と対応策・・・2月号・3月号・4月号

第三章 政治の役割と行政の役割
1 政治と行政・・・5月号
2 政と官・・・6月号・7月号・8月号
3 政治の役割・・・9月号・10月号
 
第四章 行政構造改革・・・以後、未定
1 行政改革の新たな展開
2 行政の課題と役割の変化
3 手法と手段の変化
4 行政改革から行政構造改革へ

詳細の目次は、「行政構造改革」その2へ。

「はじめに」から
 私は、二〇〇三年に「新地方自治入門ー行政の現在と未来」(時事通信社)を出版しました。この本は地方自治と銘打っていますが、副題にも示したように、地方自治にとどまらず、広く日本の行政の課題と方向を解説しました。そこでは、戦後日本の行政と社会について、その成功と失敗を論じました。
 その後も、行政の失敗といわれる事件は続き、官僚に対する批判も収まりません。かつて日本の官僚は、政治においては、「政治家は信頼できないが、官僚に任せておけば安心」と信頼されました。経済においては、「日本の奇跡の経済成長は、官僚が司令塔だから」と評価されました。社会においては、最も信頼され、優秀と認められていた職業集団だったのです。それは、「エリート官僚」という言葉に表れています。しかしその官僚と官僚制が、今や批判と改革の対象になっています。
 私の問題意識は、世界一優秀だといわれた日本の官僚制が、なぜ大きな批判にさらされているのかということです。なぜ「官僚の失敗」といわれる事件が続発するのか。また、いくつもの課題があるのに、なぜそれに対し有効な対策を打てないのか、という疑問です。
 これに対する私の診断は、今起きている官僚の失敗は、それぞれ個別の政策課題に対する「失敗」ではなく、日本の官僚制の「構造的機能不全」であるというものです。
 日本には、これまでにない、新しい大きな政策課題が発生しています。また、いくつもの行政改革が続けられています。それら政策課題や行政改革を研究した論文や記事は、たくさんあります。しかし、現在の日本の行政がどのような位置にあるのか、そして今後どのような方向に進むのかについて、概括した適当な本はないようです。教科書はその性格から、変化を追うことは難しく、一方、個別の課題や行政改革を扱った論文は、全体構図を示していません。また、何人もの大学教授をして「大きな改革が続いて、追いかけるのが大変だ」「教科書が間に合わない」と嘆かせるほどに、変化を続けています。
 しかし、日本の行政に大きな改革が続いていることと、日本の官僚制が評価を落としたことの根は、同じところにあるのです。すなわち、社会の変化に行政をあわせること、これがいくつもの行政改革が進められている理由です。そして、その変化に追いついていない、あるいは理解できていない官僚が、失敗をしているのです。とすると、大きな改革が続いているからこそ、現在の行政がどの位置にあり、どの方向に進んでいるかを把握することが重要でしょう。
 そこで、私なりの考えをまとめてみようというのが、この稿の意図です。それは、現在の日本の行政が置かれている位置、抱えている構造的問題、変化を迫る環境と課題は何かを明らかにすることです。そして、それへの対応のために、どう改革するべきかということです。それはまた、日本の官僚制が失敗している原因を明らかにすることであり、これからの官僚のあり方を示すものだと考えています。もちろん、これが無謀なことであることは、承知の上です。力不足のため、正確性を欠いた分析になるかもしれません。しかし、大づかみに日本の行政の現状と未来を鳥瞰することは、意味あることと思います・・・(2007年7月15日)

執筆状況)
「行政構造改革」の原稿を書いています。これも、月刊『地方財務』に連載する予定です。長年予告していた、日本の行政論、官僚制論です。ここ数年、大学でしゃべった内容や、このHPに書いたものを基にしています。もっとも、一つの論文にしようとすると、大変な労力と時間が必要になります。週末と会合のない夜は、ほとんどこれに没頭中です。肩がこって、目が疲れて・・。(2007年7月2日)

大作「行政構造改革-日本の行政と官僚の未来」は、順調とは言えませんが、少しずつ進んでいます。書いては消し、章立てや節を入れ替え、事実を確認し・・と、苦労してます。それでもこつこつ書いたので、第2章の半ばまでほぼ完成。連載にすると、3か月分くらいは書きためました。全体は4章と考えているので、3分の1はできましたかね。(7月8日)

いよいよ、「行政構造改革-日本の行政と官僚の未来」の連載を始めます。第1回は、月刊『地方財務』(ぎょうせい)2007年9月号に載ります。今、ゲラの校正をしています。発行は、8月末です。乞うご期待。(8月4日)

大論文「行政構造改革」の第2章を、ほぼ書き上げました。1,200字×57ページ+資料13枚の大作です。暑いのによく頑張りました。自分で自分をほめてやりたいです(笑い)。この後、知人や専門家に目を通してもらって、完成させます。「地方財務」に載るのは、まだだいぶ先です。でも、書けるときに書いておかないと。まだ、第3章と第4章が残っています。(8月12日)

連載「行政構造改革ー日本の行政と官僚の未来」が、月刊『地方財務』(ぎょうせい2007年9月号から始まりました。第1回は、「近年の行政改革」です。私の方は、今週末は10月号のゲラの校正です。第2章(11月号~1月号)の原稿は、今日、編集長に渡しました。一部は未定稿なのですが。第2章は、8月中に書き上げようと思っていたので、まずは目標達成です。自分をほめてあげましょう(こればっかり言ってますね。笑い)。
「再チャレンジ支援施策に見る行政の変化」が載った8月号は、売り切れたそうです。もっとも、私の論文で売れたのではないでしょうが。いずれにしろ、めでたいことです。(8月31日)

大論文連載「行政構造改革」第2回が、月刊「地方財務」10月号に載りました。今回は、第1章第2節「社会の変化と行政の転換」です。内容は、次の通りです。なかなか、意欲的で興味深いでしょ。日本の行政にご関心ある方は、ぜひお読みください。
(1)政府の新たな課題
①政府は新たに何をしたか、②何がうまくいかなかったか、③日本政治の失敗
(2)行政に改革を迫るもの
①私たちの成功、②日本の行政が成功した三条件、③成功の三条件の反転
(3)見えてきた日本の成功の問題点
①負担を考えない、②国際貢献を考えない、③自分たちで考えない、④二一世紀の日本と行政
一息つく間もなく、来月号の校正が来ています。しかも、9月なってから新しい執筆が進まず、困っています。本業が忙しくなったのと、大学の授業が始まったからです。次の講演のお誘いも来ているし・・。でも、こうして連載にして自分を追い込まれないと、なかなか書けませんよね。(10月2日)

新地方自治入門 補足3

【街の醜さ】
朝日新聞7月6日夕刊に文化欄に、丸谷才一さんが連載「袖のボタン」で「内の美と外の美」を書いておられました。
古代日本語では、所属の助詞が2つあったとのことです。一つは「我ガ背子」のガで、自分あるいは自分に近いものを受けます。もう一つは「諸人ノため」のノで、それ以外のものを受けます。前者を内扱いのガ、後者を外扱いのノというのだそうです。
そこから始まって(このあたりが格調が高いですね)、日本人にとって内と外の区別は重要で、しかも内を重んじ外を軽んじてきたことを論じておられます。そして話は、都市景観の醜さに発展します。日本人の坪庭の思考と、西洋建築の外見を重んじる思考との差です。電線類の醜さを取り上げ、海外旅行に行っても見方が変わらないことを指摘しておられます。(2004年7月18日)
【第7章】
社会的共通資本(p193)については、
内閣府国民生活局が、15年8月に「ソーシャル・キャピタル-豊かな人間関係と市民生活の好循環を求めて」(2003年8月、国立印刷局)をまとめ、出版しました。
宮垣元著「ヒューマンサービスと信頼-福祉NPOの理論と実証」(2003年11月、慶應義塾大学出版会)が、教育や福祉といった対人サービスにおける、信頼・情報・NPOの機能を分析しています。
そこでは、福祉サービスが家庭から行政へ「外部化」することによって、信頼の役割がどのように変化するか、NPOの場合はどうかなど、をわかりやすく分析しています。また、コミュニティを、「地域コミュニティ」と「テーマ・コミュニティ」に区分するなど、示唆に富んでいます。(2003.11.24)
【文化の効果】
14日の読売新聞「地球を読む」で、白石隆京大教授が「韓流と東アジア、文化が一大産業に」という題で、韓国ドラマなど文化商品による、東アジアの「一体化」「均質化」、アジア人意識の形成を論じておられます。(2004年11月15日)
【第8章】
山脇直司先生が、「公共哲学とは何か」(ちくま新書)を出版されました。先生は、東京大学大学院総合文化研究科授です(3月まで私も客員教授を勤めていました)。先生の主張は、
①公私二元論でなく、政府の公・民の公・私的領域の三元論
②経済・科学・教育などにおいても、「公共性」が必要であること
③学問においても、現状分析だけで終わらせる実証主義や、批判だけして対案を提示しない批判主義でなく、「現状分析」と「あるべき社会像の追求」と「実現可能性の探求」を考えるべき
④「公共性と個人の関係を重視する」。滅私奉公でも滅公奉私でもない、「自己-他者-公共世界」論。中間集団の重視、などです。
拙著「新地方自治入門」(第7章地域の財産とは、第8章公の範囲は)での主張と、大きく重なっています。意を強くしました。ご関心ある方は、ご一読ください。
私は、「政治をシステムとして理解する現在の政治学」に不満を持っています。大学の講義でも、政策=アウトカムを分析の軸に据えました。拙著では、p280以下で触れています。(2004年5月9日)
【第10章】
日本の政治のページをご覧ください。

新地方自治入門 補足5

書評
産経新聞政治面書評
「「国から地方へ」を柱の一つとする小泉構造改革が進む中、総務省の現官房総務課長が、地方自治体の現状分析と将来の展望を分かりやすく解説する。複雑で分かりにくい地方行政制度について、戦後五十年の歴史を解きほぐしながら説明しているのが特徴。高度経済成長が終わった後に生じたさまざまな制度矛盾や問題を提起する。
国と地方の税財政「三位一体」改革で注目される複雑な地方財政制度だが、著者の専門分野だけに図表を駆使し、特に詳しく分かりやすく記載。多くの地方自治体の財政が悪化した原因と現行制度の課題を分析しており、改革の意義が明快に分かる。
制度面だけでなく「自治」や「政治」の理念についても原点に立ち戻って検証。二十一世紀型の地域社会の在り方も提言する。」(2004年3月12日)
「国際税制研究」12号に知原信良大阪大学法学部教授書評を書いてくださいました。「・・・本書は地方税財政や自治の問題を包括的に整理して将来を展望したいと思う者に、有益であり時宜を得た著作といえる」「・・・具体例をふんだんに用いて、説明も丁寧であるので大変わかりやすい。地方公共団体の業務については、木は見えても森がよく見えないといわれるが、本書はその全体像を知る上で格好のガイドブックとなるだろう・・・」。ありがとうございます。(2004年5月18日)
NiftyBooks(bk1)より「良書普及人」氏による
中央省庁の現職課長が、自らの仕事を振り返り、更に先輩官僚の業績をマクロ的に反芻し、今の制度の桎梏状態を指摘し、これからどうしていったらよいのかを、幅広い視野から問題提起しているのがこの本である。
筆者は東大の客員教授として、2年にわたり学生相手に分かり易く地方行政の運営実態を講義してきたものをまとめたと書いている。
単なる制度の解説ではなく、制度を通して何が実現できてきたのか、その制度が今どういう課題に立ち至って、かえって日本社会の足かせになっていることを指摘している。これまでの日本の成功を支えた三つの条件、「明確な目標」、「潤沢な財政」、「効率的な行政機構」が、「目標の喪失」、「財政の制約」、「行政の機能不全」に転化しているという観察は、実際そのとおりである。
この本は、曖昧な指摘ではなく、はっきりとした指摘や主張がふんだんに含まれているので思わず唸る箇所が随所にある。例えば以下のようなものがある。
・国家公務員は地方公務員と異なり、人事権が各省庁にあり、対等なものの間の調整がなかなかつかない。優秀な官僚ほど頑張ってカタがつかない。
・教育委員会制度があるので、市民に選ばれた市長が教育に最終責任を持てない。教員に対する人事権も無く制度上問題が大きい。
・地方の貴重な一般財源である地方交付税は特別会計の借り入れが無ければ現在の6割の水準になる。歳出削減をするか、交付税の財源である国税の増税をするか、地方税の増税をするしか方策は無い。
現職の官僚として、無難にことを運ぶという、「伝統的な」役人像からは、一歩も二歩もはみ出ているが、そういう役人が中にはいるということを、このような本を通して知ることができるということも、読書の楽しみ方ではある。地方行政を目指そうとする人たちや、高校の「公民」の授業の副読本としても有用な本である。(2004年6月19日)
インターネットを見ていたら、拙著の書評を見つけました。ぞーりんという方です。「無味乾燥になりがちな内容を、わかりやすく書いてある良書。入門に最適!というのは、ひとつひとつの主張にデータ的裏付けや豊富な具体例があり、また、キャッチフレーズの付け方がうまいせいと思われる。凡百の小難しい地方自治概説本を読むより、よほどためになる」
存じ上げない方ですが、こんなに誉めてもらうと、嬉しいですね。ありがとうございます。(2005年1月18日)
(本格的書評)
同志社大学大学院総合政策科学研究科紀要第7巻に、細井 秀彦氏による書評が載りました。ありがとうございます。
「本書の特色は、従来の地方自治に関する書物が地方行政に関する法令や制度の解説にとどまっているのに対し、政治学、経済学、社会学などの議論を取り込み、広い視野から日本の地方行政と社会を論じている点にある。それゆえ・・・総合政策科学という学問を「伝統的な専門分野を基礎としながら個々の諸科学の狭い問題意識や問題解決方法にとらわれずに、それらの理論を総合ないし統合して問題解決に取り組もうとするもの」と一応の定義をするならば、本書は、「地方自治」という問題を総合政策科学という学問領域から考えるためにも非常に優れた一冊であると言える」(2006年8月12日)
インターネットで、拙著の書評を見つけました。「地方自治を担う人、特に行政職(事務職)に就いている人には必読の本・・ 特に将来の地方自治体像を描いた後半部分は非常に興味深い」。どなたかは存じませんが、ありがとうございます。(2007年2月17日)

 

新地方自治入門 補足2

まちをつくっていない市役所p179について
季刊『国際文化研修』2003年秋号(全国市町村国際文化研修所)に劇作家の平田オリザさんが「対話の時代に向けて」の中で、次のようなことを書いておられます。全く同感です。少し長くなりますが、一部を紹介します。(2003年12月3日)
「・・・ここ数年で日本の都市の風景が画一化してきました。バイパス沿いに大きなショッピングセンターができて、中心市街地の商店街はどんどん寂れていくという現象が、どの自治体でも起こっています。・・しかし、私たちは利便性を追求するあまり、失ってきたものがあるのではないでしょうか。
いちばん失ったものは、商店街、旧市街地が持っていたコミュニティスペースとしてのノウハウです。商店街が寂れていくと、まずお風呂屋さんがなくなり、そして散髪屋さんがなくなります。これは、・・かつてはまさにコミュニティスペースだった場所です。ここに集まってくる人たちが、ある種社会の安全弁になり、また若者の教育係にもなって、コミュニティが保たれていたわけですが、今はそういうコミュニティスペースがどんどん減ってしまっています。あるいは、原っぱでは子どもたちの学年を超えた交流が保障されていましたが、そういうスペースも減っています。
たとえば渋谷は30年ほど前には小さな街でしたが、この30年間で東急と西武という二つの資本によって拡大され、今や若者の街になっています。センター街ではチーマーと呼ばれる不良少年たちが地べたに座り込み、怖いので大人たちは近づかなくなりました。要するに、スラム化が始まっているのです。
・・・渋谷という街は資本の論理だけで街を拡張し、ヨーロッパの街なら必ずあるような噴水のある広場や公園などをつくってきませんでした。唯一渋谷にある宮下公園も、ホームレスのたまり場になっていて若者が寄りつくような場所ではありません。
・・・この象徴的な例は、おととし東村山で起きた、中学生がホームレスを殺害したという事件です。彼らは図書館で出会っています、冬の寒い時期で、おそらく居場所のない中学生もホームレスも図書館に行ったのです。そこで中学生が騒ぎ、それをたしなめたホームレスが逆恨みを受けて殺されてしまいました。これは明らかに中学生が悪いのですが、その背景には弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるのだろうと思います。
・・・私たちは人工的な出会いの広場をつくっていくべきだと思います。美術館や音楽ホールなどの公共文化施設は、本来そういう出会いの場になるべき空間なのです。逆に言うと、もしそれが出会いの場になれば、非常に大きな役割を共同体の中で果たせるでしょう。
・・・ただ、かつてのように地域に住んでいるという理由だけで町内会に入り、春はお祭り、夏は盆踊り、秋はおみこし、冬はもちつきと全部の行事に参加することは、特に若者は息苦しくてできません。
そこで、これからの自治体の責務は、文化施設をつくって、そこにさまざまなメニューを用意し、そこにいろいろな人々が参加し、何らかの形で緩やかにつながっていくネットワークを築くことです。これは大変なように見えますが、いったん街がスラム化すれば、その治安を回復するためには大変な税金を使わなくてはいけなくなります。
しかし、このことはまだ日本の市民社会のなかでは必ずしもコンセンサスを得ていることではありません。そして、日本の行政は、今まで基本的にはタックスペイヤーに対するサービスの提供に徹してきて、明日の住民、社会的弱者に対しては福祉行政という形でしか対応してきませんでした。その人たちにどうにかして社会参加をしてもらい、社会を活性化する積極的な役割を果たしてもらおうという考え方は、まだ日本の地方行政では主流にはなっていません。」
以上が平田さんの主張です。

新地方自治入門 補足4

 

公と政治の関係(p303)について
朝日新聞2003年11月25日夕刊論壇時評で、藤原帰一東大教授が「男性・女性」と題して書いておられます。
その中で、「論壇雑誌は男性向けに書かれているといっていい」
「最近刊行された『日本の論点2004』(文藝春秋)では・・・今の論壇では誰がどんなことを議論しているのか、早わかりになる便利な本だ。だが、議論の焦点は国際情勢、国家、憲法問題などに集中し、男女関係、結婚、家族などににかかわる話題は少ない。そんな領域は「少子社会」とか「高齢化と社会保障」など後半になって登場し・・・結婚と家族の現在などは「日本の論点」にならないらしい」
「性とか家族とかいった問題は、少子化のような天下国家の大事と認められた時にしか議論されていない。天下国家にかかわる「おおやけ」を論じる場では、男女にかかわる「わたしくごと」が考察から外されてしまうのである」
「出生率の低下は、高齢化などと併せ、将来の労働市場や国家財政を揺るがすだけに、これも天下国家の課題として扱われている」
教授は、少子化議論がツボを外しているという主張の中で述べておられます。
文脈は違いますが、拙著の主張からは、「公」の範囲、それと政治との関係としてとらえることができます。これまでは、家庭の問題は、人口が減って労働力が減ること、高齢化で社会保障が増えること、家族での介護が十分でなくなり介護保険が必要なこと、といった視点から政治の課題となりました。
経済や公的サービス、財政の収入と負担、という観点からしか、政治に入力されないのです。私の言うように私たちが暮らしていくのに必要な「関係資本」「文化資本」「公」「公共空間」に対し、これまでの政治は極めて範囲が狭いのです。そして、従来型の発想では、これらの問題は解決しないでしょう。(2003.11.30)
【注】
p337第2章注1
松本英昭著「要説地方自治法」は、第2次改訂版が出ました。
p341第8章注5
神野先生の3つのサブシステム論は、神野直彦著「財政学」(2002年、東京大学出版会)に「第二章 財政と三つのサブシステム」として整理されています。
p342第9章注9
塩野七生著「ローマ人の物語」は「ローマ人の物語Ⅴ ユリウス・カエサル-ルビコン以後」p372以下です。