カテゴリーアーカイブ:社会の見方

30年間で縮んだ日本経済

2025年1月19日   岡本全勝

何回か紹介している「自治体のツボ」。1月17日は阪神淡路大震災から30年なので、その間の経済指標の変化を取り上げていました。1995年と2023年の比較です。「阪神淡路大震災30年③縮小した経済
いろんなことが見えてきます。わかりやすいので、見てください。ここでは、そのいくつかを紹介します。順序は入れ替えてあります。

総人口(1億2557万人→1億2435万人)
労働力人口(6702万人→6925万人)
出生数(118万人→72万人)

名目GDP(521兆円→591兆円)
1人当たり名目GDP世界順位(3位→32位)
円ドルレート(94円→152円)

年度末政府債務残高(212兆円→1286兆円)
地方公務員数(328万人→280万人)
公共事業関係費(14.2兆円→6.1兆円)

住宅着工件数(147万戸→81.9万戸)
訪日外国人(335万人→2506万人)
輸出総額(41.5兆円→100兆円)
刑法犯認知件数(176万件→70万件)

大局観失う報道機関

2025年1月17日   岡本全勝

1月14日の朝日新聞ウエッブ、砂原庸介・神戸大学教授の「「正しいこと」が難しい、大局観失うメディア 選挙で一喜一憂しない」から。詳しくは記事をお読みください。

2024年、私たちは国内外の数多くの選挙結果と向き合った。SNSの影響が広がり、分断が進んだと言われる時代に、選挙結果と向き合う時に大切なこととは――。日本の政治・行政が専門の神戸大学教授・砂原庸介さんは、「あいまいな『正しさ』を維持することが難しい時代になった」と指摘する。どういうことか、聞いた。

――24年は選挙イヤーでした。何を思いましたか?

選挙結果には、一喜一憂はしない方がいいのではないか、と感じました。
私は兵庫県民なので、兵庫県知事選挙は有権者でもありました。斎藤元彦氏が再選という結果に対して、「こんなはずではなかった」「SNSに有権者が洗脳された」「民主主義の危機だ」という論調をしばしば目にしました。
でも、私はこういう反応には懐疑的です。
もとはといえば、5~8月までメディアが騒いでいたのが原因で、その後、不信任決議をして選挙になった文脈が抜け落ちているのではないでしょうか。いち県民としても、いち研究者としても、「やらなくてもよかった選挙」「メディアが作った選挙」という要素が大きかったと感じてしまいます。

――メディアが騒いで作った、と?

亡くなった職員の方がいることや、公益通報をどう取り扱うのかは非常に大きな問題です。管理者としての道義的責任を問う議論はあり得ます。ただ、それらの出来事について個々に責任を問うべきか、には疑問があります。知事の姿勢が問われるとしても、4年に1度、つまり、来年の任期で政治的な責任を問うべき話だったように思います。
また、仮に責任を追及して知事を辞めさせるとしても、公益通報をめぐる調査結果もまだ出ていなかった。色々な証拠を吟味したうえで、みんなが納得できる形で「悪い」なら、辞めさせるのが良かったのだと思います。でも確たる証拠も挙がっていないうちから、「おねだり」報道などを発信し続け、「県民にとって、この知事は悪い」という雰囲気を作ったのはメディアだと思います。
不信任決議案を提出して可決したのは議会。もちろん議会にはその責任はあります。でもメディアが作り出したそうした雰囲気がなければ、不信任決議案が出ていたでしょうか。

なぜこの選挙をしなければならないのか? 正直、多くの有権者にとってわからないままこの選挙になったと思います。
メディアの人たちは、知事が辞める前の報道のことを、どう考えているのでしょうか。「視聴率がとれたから」「よく読まれるから」。こういった理由で大量に報道したのだろうと想像できますが、これはメディア自身が丁寧に検証すべきでしょう。
なのに、そうした検証や反省もないうちに、選挙結果が出ると「報道には選挙期間中の制約があり、SNSでの発信には制約はない。何か対策を、選挙報道を考えなければ」と嘆いてみせる。正直なところ、何かズレているのではないかと思いました。

長時間労働、女性正社員に壁

2025年1月16日   岡本全勝

12月22日の朝日新聞1面は「長時間労働、女性正社員に壁 「育児と両立困難、非正規に」 67職種調査」でした。

・・・男性の労働時間が長い職種ほど、正社員として働く女性の割合が少ない傾向にあることが、朝日新聞の分析でわかった。結果からは、長時間労働を前提とした正社員の働き方が、子育て世代や女性の負担になっていることが浮かび上がる。

朝日新聞は、慶応大学の山本勲教授(労働経済学)の監修のもと、総務省の就業構造基本調査(2022年)で集計された計67の職種別に、男性正社員の週平均の労働時間と、女性正社員割合の関係を調べた。働き方の変動要因がより小さいとみられる男性の労働時間でみた。
その結果、男性正社員の労働時間が長い職種ほど、女性正社員の割合は低い傾向があった。

就業者が最も多い「一般事務職」は、労働時間が約45時間で女性割合は48・8%と高い。一方、労働時間が約46時間の「営業職」は女性割合が19・6%だ。
山本教授は「男性が長く働いていない方に女性が多くなる傾向が出ている」と説明する。
ソーシャルワーカーなどの「社会福祉専門職」や「介護サービス職」は約43時間、「会計事務職」は約44時間で、女性割合が6割を超えた。
労働時間が約50時間の「医師」は女性割合が24・9%で、約53時間と最も長いトラックドライバーなどの「自動車運転従事者」は、女性割合が2・8%とほかの職種に比べて著しく低かった。

総務省の労働力調査(2023年)によると、女性(15~64歳)の就業率は73・3%で、国際的にも高かった。ただ、非正規雇用者の割合は男性が17・3%なのに対し、女性は50・2%と高い。
また、女性の正社員の割合をみると、20代後半をピークに下がり続ける「L字カーブ」を描くという特徴がある。
一方、世界では長時間労働に依存せず、生産性を上げる働き方が広がっている。日本生産性本部によると、2023年の日本の就業1時間あたりの「労働生産性」は、経済協力開発機構(OECD)加盟国38カ国中29位。ドイツの年間労働時間は1343時間と加盟国の中で最も短く、労働生産性は日本よりも7割近く高かった。
山本教授は「長時間労働が当たり前になっている日本では、育児と仕事の両立が難しいために、非正規雇用を選ぶ女性が多い。長時間労働や硬直的な働き方は、女性活躍の最も大きな阻害要因となっている」と指摘する・・・

大学教育、教える教育から育てる教育へ

2025年1月14日   岡本全勝

12月18日の日経新聞大学欄、日色保・経済同友会副代表幹事の「経済界が求める大学教育とは」から。

大学が実学教育を重視するなど、ビジネス界で活躍できる人づくりを進めている。その一方で若手社員の相次ぐ離職など、人材活用が進んでいない面もある。経済界は日本の大学教育に何を求めているのか。日本マクドナルドホールディングス(HD)社長兼最高経営責任者(CEO)で経済同友会副代表幹事を務める日色保氏に聞いた。

――今の大学生をどうみていますか。
「今の学生は昔に比べると、たくさんの情報が外にあることもあり、客観的に自分のことやキャリアについて捉えていると感じる。その一方で、知識に偏りがあり、大学で本来習得するべき深い思考能力を得られていない。そういった能力の開発を企業は大学に期待しているが、大学の教育はやはり『教える教育』であり、『育てる教育』になっていない。そこがやはり一番の問題なのではないか」
「ただ、どういう人材がほしいか、大学側と十分な意思疎通を今までしてこなかったという企業側の反省もある。企業側は特に、人との議論の中で問いを立てて、仮説を検証し、深く学んでいくようなコミュニケーションスキルなどを企業に入る前に身につけてほしいと考えているが、大学側はどういう教育をしたら企業で活躍できるような人材になるか、よくわかっていない状態に陥ってしまっている」

―一部の大学は即戦力の育成との言葉を使っています。
「昨日の即戦力が明日の即戦力になるとは限らない。例えば、プログラミングの知識を持っていて、多少のコードを書けるくらいの人は山ほどいる。変化が激しい中でもフレキシブルに対応できるような学び方や自分のやり方を形成できる。それこそが即戦力なのではないか」

25年間の変化、楽観主義が怒りや恨みに変わった

2025年1月13日   岡本全勝

12月18日の朝日新聞、ポール・クルーグマン氏の「より良い世界に戻る道 恨みの支配は、長続きしない」から。

・・・ニューヨーク・タイムズに私がコラムを書くのは今回で最後となる。最初に執筆したのは2000年1月だった。この25年間で何が変わったかを振り返るのには、今回はちょうどいい機会である。

過去を振り返ってみて考えさせられるのは、米国と西側諸国の人々の多くが当時いかに楽観的であったかということであり、そしてその楽観主義がどれほど怒りや恨みに取って代わられてしまったかということである。私が話しているのは、エリート層に裏切られたと感じている労働者階級のことだけではない。現在の米国で最も怒りを抱き憤慨している人たちの中には、十分に称賛されていないと感じている億万長者たちもいる。

1999年から2000年初めにかけて、多くの米国人がどれほど良い気分でいたかを伝えるのは難しい。世論調査は、国の方向性に対する満足度が、今日の基準では非現実的に見えるほど高いことを示していた。欧州でもうまくいっているように見えた。特に1999年のユーロ導入は、政治と経済のより緊密な統合、欧州合衆国への一歩として広く歓迎された。
もちろん、全てが順調だったわけではない。例えば、クリントン政権時代の米国でも、Qアノンの原形のような陰謀論がすでにかなりあったし、国内テロの事例さえあった。アジアでは金融危機があり、これから起こる事態の前兆ととらえる米国人もいた。私は99年に出版した本で、同じようなことが米国でも起こりうると記した。10年後に改訂版を出版したのは、それが起こったときだった。

それでも、私がニューヨーク・タイムズへの執筆を始めた頃は、人々は将来にかなり明るい見通しを抱いていた。
この楽観主義はなぜ崩れ去ったのか。私の考えでは、エリート層への信頼が崩壊したのだ。物事を動かす人たちが自分で何をしているかをわかっているか、彼らを誠実だとみなしていいのか、その確信を国民はもはや持てなくなっている・・・

・・・最近では、イーロン・マスク氏をはじめとする一部のテック業界の億万長者たちが急激に右傾化したことが話題になっている。このことについては深く考えすぎるべきではないし、特にこれが「政治的正しさ」を訴えるリベラル派のせいだなどと騒ぐべきではない。基本的には、かつて世間から称賛を浴びていた金持ちたちが、世の中の全ての金をもってしても愛を買うことはできないのだと、今になって気づきつつあるという狭量さに帰結する。

では、厳しい状況から抜け出す方法はあるのだろうか。私が信じているのは、恨みによって悪い人が権力の座に就いたとしても、長期的にその座にとどまることはできないということである。国民はある時点で、エリート層を非難する政治家のほとんどが、実はあらゆる意味でエリート層そのものであるのだと気がつき、約束を果たせなかった責任を彼らに問い始めるだろう。国民はその時、権威を盾にした議論をせず、偽りの約束をせず、それでも精いっぱい真実を語ろうとする人々の意見に耳を傾けるようになるのかもしれない。
かつて持っていたような指導者への信頼を、私たちはもう二度と取り戻すことはないかもしれない。権力を持つ人々は一般的に真実を語り、自分が何をしているのかわかっている、という信頼だ。そして、それを取り戻すべきでもない。しかし、この瞬間も台頭しつつあるカキストクラシー、つまり最悪の人々による支配に立ち向かえば、最後にはより良い世界に戻る道が見つかるかもしれない・・・