「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

経済財政2

9月1日の新聞から。
朝日新聞朝刊「中央省庁『架空予算』80例超す」「3年以上にわたり要求通りに使われた実態が全くなかったり、計上額課題だったりしたものが大半の省庁で見つかり、公表分だけで80例を超えた。・・ずさんな予算要求と財務省の査定の甘さが露呈した格好だ」「経産省は産業育成名目の物産展に3年間で23億円の予算を計上したが2割が使われず余っていた、財務省も「財政投融資問題研究会」を作る予定で年2,600万円程度を計上したが、結局は設置せず海外の財政制度の調査などに充てていた」
日経新聞夕刊「政治裏表。公用車」の各省別保有公用車数。「財務省686台、国交省565台、防衛庁428台、法務省254台、厚労省198台、農水省139台、経産省116台、内閣府87台、総務省78台・・・」
本日は記事の紹介だけで、コメントなし。ただし、例として今年度の予算査定の方針を紹介しておきます。「平成17 年度予算の概算要求に当たっての基本的な方針について」(平成16年7月30日、閣議了解)
「・・・このため、従来にも増して、歳出全般にわたる徹底した見直しを行い、歳出の抑制と所管を越えた予算配分の重点化・効率化を実施する・・・」(9月1日)
先日紹介した「中央省庁の架空予算」は、2日の読売新聞も「架空予算など95件118億円、12府省庁で昨年度」として報道していました。(9月3日)
3日の日経新聞は、「予算のムダ110億円』として、内容を「執行実績なし」「過大計上」「流用」に分けて整理して説明していました。(9月4日)
やや小ぶりですが、金利の話を拾っておきます。私は、経済成長が大きくなっても財政赤字は解消しない。税収増より国債の利払いの増の方が大きくなるから、と主張しています(拙著「地方財政改革論議」p25、「新地方自治入門」p121)。
産経新聞1月3日の「主張」は、次のように書いていました。「やっと日本も『普通の経済』に戻ることになる。だが、ぬか喜びしてはいけない。長期金利はゼロどころか、いつ急上昇してもおかしくない環境にある」
「財政が悪化すれば通常、国債を基準とする長期金利は上昇する。資金が公的部門に吸収されるからで、『財政信認』が揺らげば上乗せ金利もつく。普通なら日本は二ケタでも不思議ではない。それがなぜいま1%台なのか。量的緩和の間接的効果と資金運用先のない銀行、日銀が国債を大量に買い支えてきたからである。普通の経済に戻ると、この構図は一変しよう・・・。利払い費の増加で、財政も雪だるま式に悪化する」。
4日の朝日新聞は、昨年末の経済財政諮問会議で、長期金利より名目経済成長率を高めに見通している政府見解について、議論があったと伝えています。その当否はさておき、政府見通しでも(記事にグラフがついています)、今後、長期金利は名目成長率と歩調を合わせて上昇するとなっています。(2006年1月4日)
(経済成長による増収と歳出増)
25日の日経新聞は、財務省が長期金利上昇に伴う国債の元利払い費(国債費)の増加額が、税収額の伸びの2~3倍に達するとの中期試算をまとめた、と伝えていました。試算では、名目成長率と長期金利を2%と設定し、それぞれが3~5%に上昇した場合を見積もった。1%上昇すると、税収は5千億円の増、国債費は1兆5選億円の増。2009年度に名目成長率が5%になると、税収は5兆1千億円の増、国債費は12兆5千億円の増となる。
常々、私が主張していることですが、当たり前のことですよね。このほかにも、実質的に名目経済成長率に連動している経費も多いです。年金や職員給与費などです。(1月25日)
日経新聞経済教室が、財政再建の道筋を連載しました。24日は、ペロッティさんの「歳出減で景気拡大も」「増税効果は一時的、強いリーダーシップ重要」、25日は中里透先生の「歳出削減に重点を」「改革が継続的に。増税先行、不要な事業温存」でした。(1月25日)
(訂正・景気回復と財政再建)
景気回復と財政再建に関しての私の主張について、誤りだとの指摘を受けました。指摘の通りですので、ここで訂正します。
私の主張は、「名目成長率が1%高まると、税収は40兆円の1%強、約4千億円増える。一方、国債の新規発行と借り換えが、年間150兆円。金利が1%上昇すると、国債費(金利払い)は、1兆5千億円増加する。その差は約1兆円。金利と名目成長率が高まるほど、この差は広がる。これでは、財政再建どころか破綻する」という内容です(ここでは租税弾性値を無視し、より簡単な形で示しました。場所によっては、少し違った説明をしています)。
指摘は、「金利払いの増加は各年度1%分1.5兆円だが、税収増は累乗になるので、長期ではこの考えは成り立たない」というものです。その通りですね。次の年(2年目)は、利払いの増加は1.5兆円(現在を基準にとっての増加分。以下同じ)であるのに対し、税収増は、40兆円×1.01×1.01=40.8兆円で0.8兆円です。以後、税収増は、3年目は1.2兆円。4年目は1.6兆円です。ここで、金利の増加分を上回ります。
拙著「新地方自治入門」p120では、「10%の成長で租税弾性値が1.2なら5兆円の税収増になり、これが6年間続けば、約30兆円の赤字国債は出さなくてすむ」と書きました。これも累乗を無視しているので、それを入れれば5年で約30兆円の増収になります。うーん、でも1年しか縮まらないのか。もっとも、この記述は「日本に10%の経済成長は無理だ」という文脈です。
同書p121と「地方財政改革論議」p25では、単年度として議論してありますので、間違いではありませんが、ここももう少し丁寧に書く必要がありますね(反省。ご指摘ありがとうございました)。(2月14日)
(公共事業費の抑制)
17日の日経新聞は、公共事業をGDP比で削減目標を立て、欧米並みに抑制するという、財務省の考えを伝えていました。公共事業費(施設費を除く)のGDP比は、日本はかつて5%近かったものが3.4%まで減ったとのことです。もっとも、欧米先進国(英米独仏)では0.5~1.3%なので、まだ3倍もやっています。
かつて拙著「地方交付税」p255で、社会資本整備を解説したことを思い出しました。そこに、概念の整理がしてあります。公共事業は、公共投資のうち施設整備費を除いたものです。公共投資とは、国・地方公共団体・公社公団の行う投資的事業(後に形が残り、効果が長期間続くもの)です。国民経済計算では、「公的固定資本形成」という数字がありますが、これは公共投資から用地費と補償費が除かれます(富の移転であって増加ではないので)。なお、国庫補助事業は、最終支出者である地方団体分として計算されます。
その記述から拾うと、1990(平成2)年の国民総支出は437兆円。うち公的支出が68兆円、そのうち公的固定資本形成は28.6兆円でした。地方公共団体分は21.9兆円、約8割が地方団体によります。これに用地費等を加えると、公共投資額は33兆円と推計されます。これを書いたのは、国が公共投資基本計画を定め、平成3年から10年間で430兆円の公共投資を行うと決めた頃でした。
また、「地方財政改革論議」p29では、1996(平成8)年の政府支出の国際比較を書いています。日本の公的資本形成がGDP比で7.7%であるの対し、欧米各国が1.4~3.1%でした。これを書いたのは、「骨太の方針2001」が出て、歳出削減対象として、公共事業・社会保障・地方財政が取り上げられたときでした。国の公共事業費は2002年度に10%削減され、その後も3~4%削減が続いています。地方単独事業は計画額・実績額とも、もっと大きく減っています。
こう書いてみて、時代が大きく変わったことを、改めて感じますね。拙著を読み返してみて、こんなことも書いていたんだと、すっかり忘れていたことにも驚きます。それでも、よく書いておいたものです。(2月18日)
9日の日経新聞経済教室は、大田弘子教授の「世代間の公平、議論を」でした。現在の財政政策では、世代間で大きな格差が生じます。あとから生まれた人ほど、負担が大きいのです。私も、「新地方自治入門」p115などで、この不公平を解説しました。「私たち公務員の給料は、子や孫が払っている」「究極の幼児虐待」とも説明しています。(5月9日)
11日の日経新聞経済教室は、井堀利宏教授の「健全化、利点に着目を」「先手打ち痛み軽減、受益者もコスト意識持て」でした。「残念ながら、現実の財政運営では、これまで現在世代の負担増となる財政再建策は先送りされ、その分だけ財政赤字の形で将来世代の負担増に回される傾向が見られる」(5月11日)
19日に、国内総生産(GDP)速報値が発表されました。1~3月期は、前期比で実質で0.5%増、2005年度の実質経済成長率は3.0%増でした。着実に、景気は回復しています。
もっとも、財政担当者は名目値に関心があります。生活者としては、物価の変動を除いた実質値に関心があります。いくら名目値(給料)が上がっても、物価が上がっていては、生活は良くなりません。しかし、税収は実質値でなく、名目値に連動して増減します。名目値で見ると、1~3月期は0.0%増、2005年度は1.7%増です。(5月21日)

 

社会の変化

アンドリュー・ローゼン著「現代イギリス社会史、1950-2000」(2005年6月邦訳、岩波書店)を読みました。鋭い分析の本だと思います。「伝統と秩序の国」といわれたイギリスで、20世紀後半に、生活が社会変容といえるほど大きく変わったことを論じた本です。次のような構成から、この本のおもしろさが読み取れるでしょう。
第1部 生活の水準と生活の質(劇的な経済水準の上昇とその配分)
第2部 傾く権威(王室と貴族、宗教、結婚、労働組合が民衆の支持を失ったこと)
第3部 新しい機会、新しい役割(教育の広範な変化による、エスニック・マイノリティ、女性と仕事、青年と高齢者の役割の拡大)
第4部 イギリスを定義しなおす(アメリカ文化の影響とヨーロッパ大陸との関係)

私は「新地方自治入門」で、この半世紀の日本社会の変化を、行政の役割から分析しました。経済水準の上昇は、イギリスより日本の方が劇的でした。社会資本や行政サービスの拡充も、日本の方が大きかったでしょう。このあたりは、拙著では数字で示しました。しかし、国民の意識、社会での役割など社会の変化については、言及しましたが、拙著の性格もあり十分ではありません。
どなたか、日本社会の変貌を、この本のように多面的にかつコンパクトに分析してもらえませんかね。学者の方は、一部分を詳しく論じたり、諸外国の分析はしてくださいますが、現在日本の見取り図を書いてくださいません。

幸せ

16日の朝日新聞「キーワードで考える戦後60年」のテーマは、幸福でした。見田宗介東大名誉教授は「幸福の無限空間は可能、経済合理性のかなたに」を書いておられました。
これまでの日本は、消費資本主義、幸福資本主義であった。現在の消費資本主義は、環境や資源制約から、あと半世紀も持続できない。一方、美しい絵画や曲は、資源の大量消費なしに、幸福の無限空間を開くこともできる。
「物質的豊かさは、確かに40年前の幸福の一因だった。今日まだ政府も企業も『市場原理主義』と『リストラ』で経済合理性を追究し続けているが、その追究は『自由』や『安定』『愛』や『崇高さ』といった大切な価値を犠牲にすることがある。これが現に今、不幸をもたらしてもいる」
また、日本のGDP8分の1でしかなメキシコや、100分の1以下であるナイジェリアの人々が「日本人よりずっと強い幸福感を広く共有している事実は、物質的な豊かさとは異なる『人間関係的』な幸福や『幸福感受性』とも言うべき次元の大切さを示唆する」
モノによる幸せの限界や、地域の財産のモノから関係への変化については、拙著「新地方自治入門」(p18、p202など)の主たるテーマでした。

社会と行政

14日の産経新聞は連載「待ったなし人口減少社会、第5部、街の盛衰自治体の挑戦」第3回を載せていました。人口減少が財源不足につながること、また指定管理者制度によって文化会館の管理を民間事業者と競争しなければならなくなったことなど、文化行政の分野にも大きな影響を及ぼしていることです。

続・クールビズ

3日の読売新聞が、「基礎からわかるクールビズ」を特集していました。
「岸田一郎さんは『クールビズが始まる以前から、『ノーネクタイでもきちんとした格好はできる』という意識が男性たちの間に広がっていた。国のお墨付きを得たので、今後、定着していくのではないか』と話す」
「『何をしてもいい』という自由を与えられると、戸惑ってしまうのが日本人の特徴とされてきたが、『最近の日本人は変わってきた』と岸田さん。『今は多様化、個性化の時代。半数は戸惑っていても、半数は歓迎しているのでは』と分析する」。
コシノヒロコさんの談。「日本のビジネスや政治の世界では、おしゃれを考えることは『男らしくない』と、妻任せにする人も多い。しかし、自分の魅力も知らずして、国や社会のことを考えられるのかしら」
「男たちがネクタイを取った点は進歩ですが、『ただネクタイや上着を取ればいい』という横並びの発想やTPOを考えない着こなしに見えるのが残念です」。