カテゴリーアーカイブ:社会の見方

車減少社会の到来

2008年6月22日   岡本全勝
日経新聞が19日から、「縮むクルマ経済」を連載していました。主要先進国で初めて、日本の自動車保有台数が減り始めました。当然、予測されたことですが。少子高齢化に、若者の車離れ、ガソリン高が追い打ちをかけました。それは、自動車業界だけでなく、ロードサイド型の小売業・飲食店・娯楽産業に、モデルの転換を迫ります。これについては、連載を読んでください。
さらに、道路建設をはじめとする公共事業や、公共交通とまちづくりの哲学も、これまでの方向を変える必要があります。コンパクトシティーは、その一つの考えです。産業界は市場経済が淘汰してくれますが、公共事業やまちづくりは、政治と国民が考えを変えないと、方向転換できません。

年金財政改革

2008年6月16日   岡本全勝
16日の朝日・読売・日経3紙に、「どうする年金、3社で座談会」が載っていました。今年になってから、日経が税方式を主張したのに対し、朝日・読売が保険料方式の修正案を主張しています。この座談会は、3紙の論説委員らが、3社の主張を議論したのです。
政府の案を批判するだけでなく、改革案を提言することは、私はとても良いことだと思います。「新聞社は自説を主張してはいけない」という意見もあるそうですが、社説では毎日、自説を主張しています。それなら、批判より建設的な提言の方が意味があります。年金財政に限らず、いろんなテーマでやって欲しいです。
大林尚記者は、大活躍ですね。

石油危機の歴史

2008年6月8日   岡本全勝
8日の朝日新聞時時刻刻が「迫る第3次石油危機」を解説していました。その中で、第1次・第2次の石油危機と今回を対比した表を載せています。
第1次石油危機(1973・74年)では、1バレル当たり3ドルが12ドルまで4倍に上昇。物価上昇率は20%に達しました。トイレットペーパーなどが店先から消え、戦後初めてマイナス成長になりました。第2次危機(1978~82年)では、1バレル12ドルが34ドルに、約3倍になりました。物価は8%上昇しましたが、社会での混乱は生じませんでした。
今回(2003年~)は、1バレル25ドルが現在140ドル近く、5倍になっています。今のところ、物価上昇にはならず、景気は(もともと弱いですが)減速していません。
かなり耐性がついたようです。エネルギー源に占める石油の割合は、1973年度の77%から、現在は50%以下に落ちています。発電は、75年には石油火力が62%だったものが、現在は8%。発電効率は3割から5割に上がっています。
24日の日経新聞経済教室は、吉川洋教授の「社会保障国民会議ー中間報告の焦点」でした。

社会のルールを誰が決めるか

2008年6月7日   岡本全勝
昨日、「経済活動のルールを誰が決めるか」を書きました。26日の日経新聞「論点争点」が、「健全サイトの認定機関、法規制回避へ自主対応」を書いていました。これは、有害情報を誰が規制するかです。
青少年の保護のために、携帯電話のサイトでの違法・有害コンテンツの閲覧を制限する話です。自民党は、国の審議会が有害サイトを指定し、プロバイダーにそのサイトを青少年が閲覧できなくするように義務付ける法案を考えました。これに対し、業界が自主規制を始めたのです。コンテンツ業界やプロバイダー、電気通信事業者が、監視機構を立ち上げました。外部の有識者が審査して、認定するそうです。
これには前例があり、放送倫理・番組向上機構も、法律による規制を回避するために、民間が自主規制したのだそうです。
表現の自由と青少年保護、難しい問題です。新しい技術によって新しいサービスが普及すると、社会のルールづくりが課題になります。(5月26日)
6日の日経新聞経済教室は、塩沢修平教授の「企業の社会貢献活動のあり方」でした。社会システムを、市場・政治・狭義の社会の3つのシステムからなると捉えておられます。これは、拙著「新地方自治入門」第8章「公の範囲は」で解説したのと同じ考えです。そして、公共サービスで政府・企業・NPOは競合すること、政治・市場を補完する上で企業の役割は重要と述べておられます。

経済と政治・国家間交渉

2008年5月25日   岡本全勝
24日の朝日新聞変転経済は、「95年、日米摩擦解消の切り札、トヨタの海外生産」「国際プラン準備しています」でした。生産台数世界一になったトヨタ自動車の、海外生産への転身についてです。
1960~70年代は貿易と資本の自由化を迫られ、1985年のプラザ合意で円高が加速しました。1990年代の日米通商摩擦と超円高(1ドル=80円にもなりました)という逆風を乗り越えたのは、海外生産の加速でした。
興味深いインタビューが載っています。日米自動車協議の担当だった、渡辺修通産省機械情報産業局長が、次のように述べておられます。
「・・以前の日米交渉では、通産省が早く妥協しようとして業界にずいぶん無理をしてもらった。数字はビジネスの結果として出てくるものだが、部品購入の数値目標はあらかじめ約束させるもの。政府が受け入れれば、業界に再び無理をお願いすることになる。それはやめようという原則を貫きました。答は、民間にしか出せなかったのです・・」
次のようなくだりもあります。
・・約4千人いた本社事務部門の社員の2割を、中長期の経営課題などに対応するチームの専従者として引き抜いた。残りの8割で従来の業務をこなし、事務の合理化も進める・・
これを2人の有力副社長が、後押しした。1人は財務・経営企画担当の奥田碩で、「変えろ、変えろ。何も変えないやつが一番悪いとゲキを飛ばし続けた。もう1人は人事担当の磯村巌。仕事が増えることをいやがる既存組織の抵抗を見て、全部長を集めて「これはやるんだ」と厳命した。「お前が引き抜かれるかもしれんぞ」と一喝した・・