カテゴリーアーカイブ:社会の見方

朝日新聞、報道検証第三者委員会報告、3

2015年1月6日   岡本全勝

1月2日の記事で「問題を起こした組織が自ら検証をせず、他者に委ねることの問題」を指摘しました。これに関して、委員の個別意見で、田原総一郎委員が、次のように指摘しています(報告書15 個別意見 p95)。
まず、幹部の責任について。
・・なぜ誤った情報を与えた加害者として謝罪しなかったのか・・報告書では、経営幹部が判断したと記しているが、当初は入っていた謝罪文言を外す判断をしたのは経営の最高幹部である。
話が飛躍するが、池上彰氏のコラムについても、担当者やGE、そしてGMは掲載することで問題はないと判断したようだ。ところが、吉田証言問題と同様に、「経営上の危機管理の観点」から、経営の最高幹部が掲載しないと判断したのであった。
そして最高幹部は、私たち第三者委員会が提言を出す以前に辞任してしまった・・
次に、編集部門の責任について。
・・編集上の問題に、経営最高幹部が介入したことに対する批判はあるだろうが、私は編集部門のスタッフが、表現は下品だが、最高幹部と身体を張った議論が出来なかったことこそが朝日新聞の問題体質であり、最高幹部が辞任しただけでは体質改革にはならないのではないかと強く感じている・・

朝日新聞、報道検証第三者委員会報告、2

2015年1月3日   岡本全勝

同じく、14 問題点の指摘と第三者委員会のからの提言、「(3)取材チームの編成の開示、署名記事及び社説執筆者の明示について」(p89)に、次のような記述があります。
・・また、今回の検証では、ついに筆者の特定できない記事もあった。その点も考えると、継続性のある重要な報道に際しては、その都度取材チームの編成、および執筆記者名を明らかにするなど、より透明性のある編集体制を望みたい・・
・・社説についても、論説委員らの合議によって内容を決定するため、執筆者個人の意見の表明ではないというが、専門分野をもつ執筆者の意見が中心であって、その氏名を記載して文責を明らかにした方が妥当なものもあろうから、責任を明確にするためにも、可能な限り執筆者は特定することを検討すべきであろう・・
私も、かねてこの2点を主張しています。特に、社説はどのような位置づけなのか、よくわかりません。察するに「論説委員の合議意見」のようです。それよりは、「論説委員の合議により、××委員が責任執筆した」という方が、責任の所在が明確になると思います。

朝日新聞、報道検証第三者委員会報告

2015年1月2日   岡本全勝

新年2日の話題にはふさわしいとは思いませんが、このような休みの時期でないと、ゆっくり読めないので。
朝日新聞が、慰安婦報道に関して、間違った記事を書き、さらに取り消しや謝罪が遅れたことの検証です(12月22日報告書など)。大きく報道されたので、多くの方がお読みだと思います。報告書の最後の部分(14 問題点の指摘と第三者委員会のからの提言。p85以下)を拾い読みして、なるほどと思った点を書いておきます。
1 「(7)言論機関における第三者委員会設置についての注意喚起」に、次のような記述があります。
・・民主主義社会において、「報道の自由」は、憲法21 条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものであり、日本の判例上もそのように認められてきた(最1判昭53年5月31日刑集32巻3号457頁)。この点に鑑みれば、特定の新聞社のあり方について、たとえさまざまな不祥事や事件があったからとはいえ、そのあり方や評価をメディアの外部に委ねることは、必ずしも最良の措置とは言えない。
当報告書は、この点を十分に認識した上で、朝日新聞社に対して、あえて社外から見た問題点を多岐にわたって指摘した・・
私も、これは疑問に思っていました。2重の意味で、問題だと思います。
まず一つは、問題を起こした組織が自ら検証をせず、他者に委ねることの問題です。「身内の調査では不十分だ」との批判があることは承知していますが、自ら検証せず他者に委ねることは、責任を果たしたことにならないと思うのです。他人に任せると、しばしばマスコミは「自浄能力が試される」と批判します。
また、報告書に、朝日新聞社はどこまで責任を持つのでしょうか。第三者委員会も、人選やテーマの設定、さらには議事の進め方によって、必ずしも客観的とは言えないこともあるのです。かつて各省が設置した審議会について、「官僚の隠れ蓑」と批判されたことは、記憶に新しいです。今回の検証委員会のメンバーは、日本を代表するすぐれた人たちであることは間違いありませんが。
もう一つは、報告書が指摘しているように、報道の自由を主張する新聞社が、報道のあり方を第三者に委ねることは、大きな問題です。製造業の会社が、事業のあり方の検討を第三者に委託することとは、意味が違います。そんなことはないと思いますが、将来何らかの事件があって、国会や政府に「マスコミの報道のあり方に関する第三者委員会」が設置されるようなことがあったら、マスコミはどのように反論するのでしょうか。
この項続く

新約聖書はどのようにしてできたか

2014年12月28日   岡本全勝

先日の『聖書時代史旧約篇』(12月21日の記事)に続き、佐藤研著『聖書時代史新約篇』(2003年、岩波現代文庫)を読みました。こちらは、ユダヤ教からどのようにしてキリスト教ができたかの歴史、その推察です。イエスと言われる人は、いたらしい。しかし、その人がキリスト教を作ったわけではないようです。ユダヤ教の中の一つの派「ユダヤ教イエス派」が信者を増やし、ユダヤ民族以外に広げる際にユダヤ教から独立していったようです。なるほど。新約聖書の中の文書が書かれたのは、紀元1世紀から2世紀半ばまで。それが正式に新約聖書として確定されたのは、393年です。イエスが生まれてから、400年も経ってからです。
・・「キリスト教」と呼ばれるに至った宗教が、その基盤のユダヤ教から自覚的に自らを切り離して独り立ちを始めたのは―全体は一つの漸次的なプロセスであったとはいえ―実は紀元70年から1世紀の終わり頃である。それまでは、ユダヤ教の内部改革運動の一つであったと見なすのが、事態に最も即している。したがって、イエスもパウロも、「キリスト教」なるものは知っていなかったのである・・(まえがき)
キリスト教(の前身)以外にも、ユダヤ教にはいろんな派がありました。またキリスト教にも、その中にいろんな派がありました。その中で、現在のキリスト教が勝ち残りました。ユダヤ教から独立するまでは、本流になれず分派した過程です(しばしば、分家の方が本家より発展する場合があります。新大陸とか)。その後は、傍流を異端として排除した過程です。勝ち残るには、それだけの教義とともに、力業も必要であったのでしょう。政治に政策とともに権力が必要なのと同様です。組織の運動論、派閥抗争としては、このような見方もできます。

伊藤隆敏先生

2014年12月23日   岡本全勝

日経新聞夕刊「人間発見」12月15日から19日は、伊藤隆敏・政策研究大学院大学教授の「理論の力で政策を正す」でした。この欄は、いわば私の履歴書の短縮版で、5日間で1人の人を取り上げるようです。先生の学生時代から、留学、若手研究者の頃の努力が書かれています。
先生には、経済財政諮問会議議員をしておられた頃に、親しくしていただきました。第1次安倍内閣の頃です。私は内閣府の経済財政部局で官房審議官をしていて、民間委員のお世話をしていたのです。他に、八代尚宏国際基督教大学教授、御手洗冨士夫・経団連会長(キヤノン会長)、丹羽宇一郎・伊藤忠会長でした。
これまで付き合いのない分野の方、また一流の方と接することができて、非常に勉強になりました。 身内とのおしゃべりより、異業種との交流は、面白く勉強になります。
当時は、民間委員が議論のたたき台(民間議員ペーパー)を出して、諮問会議の議論を方向付けるのです。ペーパーを作る勉強会に陪席させてもらったり、説明をしたりします。伊藤先生から経済学的な議論や諸外国との比較を教えてもらい、八代先生から規制改革の議論を学べるのです。「行政改革の現在位置~その進化と課題」年報『公共政策学』第5号p37~(2011年3月、北海道大学公共政策大学院)を書いた時も、八代先生にアドバイスをもらいました。
伊藤先生はこの連載で、「世界で戦える日本にしたい」と考えてきた、と書いておられます。先生は東大教授から、政策研究大学院大学に移られ、来年1月からは、アメリカのコロンビア大学の教授にも就任されるとのこと。ますますエネルギッシュにご活躍です。