カテゴリーアーカイブ:社会の見方

社会史と政治史、喜安朗・川北稔著『大都会の誕生 ロンドンとパリの社会史』2

2018年11月26日   岡本全勝

社会史と政治史、『大都会の誕生 ロンドンとパリの社会史』」の続きです。

パリについては、喜安朗先生が19世紀の民衆運動を書いておられます。
フランス革命後、商工業の発展、市民層の台頭が、パリの風景を変えていきます。大通りが作られ、盛り場ができます。主役は、貴族から市民(金持ちとそうでない人と)になります。その盛り場を舞台にして、民衆の歓楽と騒ぎが出ます。それが暴走すると、1846年の2月革命となります。
歴史で学んだ2月革命が、より詳しく、その背景や民衆蜂起としての姿が描かれます。

この本を読むと、政治史がいかに狭い範囲を扱っているかがわかります。社会の変化を見るには、政治指導者たちの動きだけでなく、それを支えた、あるいは指導者たちが意識しなければならなかった民衆の意識や社会の問題を見る必要があります。
マルクス経済学は、経済という下部構造が社会と政治を規定しますが、これはあまりに短絡的すぎます。
これからの歴史学、政治史は、民衆と社会を対象としたものに変わっていくのでしょう。
関連記事「歴史の見方の変化」「加藤秀俊著『社会学』

チャイナスタンダード

2018年11月24日   岡本全勝

11月13日の朝日新聞オピニオン欄、ケビン・ラッド、元豪首相のインタビュー「チャイナスタンダード」から。

・・・中国は世界をどうしようとしているのですか。
「習氏が表明している中華民族の偉大な復興という『中国の夢』(チャイニーズドリーム)の実現でしょう。建国100周年の2049年までに世界トップクラスの国際的影響力を持つ大国の地位を取り戻すことです。中国は最近、トランプ大統領下の米国が世界から手を引いて影響力を弱めていることをチャンスととらえています。米国が抜けた空白を突き、中国的な国際秩序を広めようとしているのです」

――でも米国を敵に回してまで、中国が自分たちの秩序づくりにこだわるのか理解できません。
「中国は改革・開放政策を進める際に、国際社会から人権問題や市場開放のほか、欧米が主導した国際システムに従うように求められました。こうした圧力をはね返すために、逆に中国式の規範を国際社会に広めようとしているわけです」
「中国共産党の組織の原理は、将来にわたって生き残ること。そのためには、イデオロギーと政治的な影響力を維持していかなければなりません。だからこそ、欧米的な民主主義や資本主義を打ち破って、中国式の国家資本主義が勝利を収める必要があるのです」・・・

・・・『関与政策』が行き詰まった今、中国とどのように向き合えば良いのでしょうか。
「ひとつ忘れてはいけないのが、中国のこれまでの貢献です。この15年間、世界の経済成長の最大のエンジンが中国でした。中国の成長がなければ、世界経済はもっと衰退していたでしょう。自由で開かれた国際秩序を放棄せず、強大化した中国を受け入れて新たな枠組みを築けるかが課題です」

――かなり難題に思えますが、どうすればいいのでしょうか。
「我々が自身の制度を『手術』しなければなりません。自由主義にとって最も重要なことは平等です。すべての人の才能を生かせる機会の平等を実現することです。資本主義についても、米国はマネーゲームのような『カジノ資本主義』で世界の金融システムを管理した結果、リーマン・ショックという08年の金融危機をもたらしました。社会的かつ経済的に責任がある、健全な資本主義体制を再構築する必要があります」・・・

町の本屋さん、インターネットで検索

2018年11月21日   岡本全勝

11月20日の朝日新聞声の欄に、全国書店案内が紹介されていました。
全国の本屋で、探している本の在庫を調べることができるウエッブサイトです。全国約1万2千店が、地図で検索できます。そのうち1割の店で、本の在庫がわかります。
こんな優れものがあったのですね。お試しください。

デザインと設計

2018年11月18日   岡本全勝

11月13日の日経新聞「やさしい経済教室」、鷲田祐一・一橋大学教授の「経営とデザイン」第2回

・・・英語の「design」は直訳すると「設計」になります。しかし近代以降の日本では、主に機械工業や建築業の分野で図面を描いたり機構を考案したりする行為を「設計」と呼び、「design」に含まれるそれ以外の要素は「図案」「意匠」あるいは「デザイン」と呼ぶようになりました・・・

納得しました。私は、新しい仕事を計画する際に、「設計」という言葉を使っています。その前段として、「構想」とも(夢と構想)。
ところが、この文脈で、「デザイン」というカタカナ英語は、使いにくいのです。英語にすれば、designだと思うのですが。日本語でデザインというと、服装や宝飾品の図案であり、言葉での説明でなく、スケッチを想像するのです。

鷲田先生の説明で、腑に落ちました。designを翻訳する際に、設計とデザインと、2つに翻訳したのですね。
Strikeを、ストライク(野球)とストライキ(労働争議)に分けた例もあります。

連帯責任の負の効果

2018年11月13日   岡本全勝

10月31日の朝日新聞オピニオン欄「連帯責任を考える」から。

為末大さん(元陸上選手)
・・・個人の時間に個人が起こした問題も集団の問題だというなら、個人の時間にも組織が介入してくる構造になります。「チームや組織が大きくなれば、いろんなひとがいて問題も起きるよね」と一歩引いて考えてみるべきではないでしょうか。
実際、スポーツ界もそういう方向に変わりつつあるとは感じています。変化の理由のひとつは、選手がスポーツの外の世界に触れ、海外スポーツの状況を知ったこと。ソーシャルメディアの存在も大きい。当たり前だと思っていたことが、そうではないと気づいたのです。
ひとつの組織に帰属していた時代に連帯責任は機能しました。しかし、これから肩書が複数になったり、利益相反の関係が複雑になったり、組織の連帯も弱くなっていく時代です。そういう意味では今後、連帯責任を問うことは難しくなっていくと思います・・・

菊澤研宗さん(慶応義塾大学教授)
・・・企業経営の現場、働く現場も連帯責任と無縁ではありません。それがどんな効果を生むのか。制度論的に考えると問題が起こる前と後とで、がらりと様相が変わる点が特徴的です。
うまくいっている時は、各自が他人に迷惑をかけないように努力します。相互に点検し、協力し合って失敗を減らすので、効率はよくなる。そうした点は、この制度のプラス面と言えるでしょう。
でも、もしだれかがミスをすれば、全員が罰を受ける。失敗していない仲間にも被害が及び、組織は危機に陥ります。それを回避するため、組織的な隠蔽が発生します。そうなると、連帯責任はあしき制度になりさがる。
なぜそうなるのか。メンバーが機械のように損得を計算するからです。ミスを公表して全員が罰せられるよりも、隠蔽した方が計算上は得だからです。自分を取り巻く外部の状況を考慮し、損得に基づく行動は自分以外に原因があるので他律的と呼ばれます。こんな集団に、みなで責任を負う仕組みを持ち込むと、危険だということです・・・

・・・連帯責任は日本的な仕組みかもしれないですね。個人主義的な欧米から見れば、異質に映るでしょう。政治学的視点に立てば、連帯責任は個人を否定し、全体主義的なので「悪」に見えるかもしれません。でも悪い面ばかりではないからこそ淘汰されずに残っているのだと思います・・・