カテゴリーアーカイブ:社会の見方

フィンランドから見える日本

2020年2月5日   岡本全勝

2月1日の朝日新聞オピニオン欄「フィンランド、理想郷?」。サカリ・メシマキさん(大学院生)の「幼いころから議論と自立」から。

・・・フィンランド人は意識が高い、ですか? いえ、フィンランド人もさまざまで一概にそうは言えないと思います。ただ若者はジェンダーの平等やLGBTQ、気候変動問題などに関心のある人が多いかもしれませんね。政治を通じて社会を変えたいと声を上げる人もたくさんいます。
フィンランドでは政治は身近です。テレビなどのエンタメにも政治家を皮肉るネタがよく出てくるし、各政党の青年部では、多くの高校生や大学生が活動しています。僕も選挙の時は友達と話し、毎回投票してきました。日常生活で政治的話題を避ける方が難しいんです。

日本では政治がタブー視されますね。留学した大学のサークル友達に政治について話したら、「ニュース見てるんだ」と驚かれました。日本人は、政治の話をして他の人と意見の違いが表れることすら避けているように見えます。
日本でネガティブなニュアンスのある「意識高い系」という言葉は、フィンランド語にはありません。「家賃が高すぎる」「勤務時間が長い」といった自分に直接関わる日々の問題にも政治はつながっていて、そこから変えられると考えられているのです。

個人主義を重視するフィンランドでは、子どもの時から自分の意見を表現する経験を重ねます。学校では、世の中の物事について「あなたはどう考える?」と聞かれ、いろんな授業でクラスメートとよく議論しました。
自立することも大切だとされ、高校卒業後は、公的な補助を利用しながら親元から離れるのが一般的です。福祉制度の基盤のうえに男性も女性も一人一人が生計を立て、自分を持つということが「自立」と考えられています・・・

日本人の政治参加意識の低さは、連載「公共を創る」でも、文化資本の弱さにおいて書きました(記事になるのは3月頃です)。多くの人が、投票には行くのですが、政治活動にかかわることを忌避するのです。

プラットフォームの公共性

2020年2月4日   岡本全勝

1月29日の日経新聞経済教室、山本龍彦・慶応義塾大学教授の「プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を」から

・・・プラットフォーム間の統合は、競争法(独占禁止法)の観点から様々な議論が交わされているが、市場経済への影響に関する定量的・数理的な評価を超え、社会的公正や民主主義といった非市場的価値への実質的影響にも配慮する必要がある・・・

・・・プラットフォーム上のニュースサイトについても同様である。支配的なサイトが生まれれば、素材を提供するメディアにとっては、同サイト上でいかに表示されるかが死活問題となる。一つのサイトが市場支配的な力を持つことは、メディアの健全性や多様性、ひいては民主主義を危険にさらす。ニュース部門の統合にも、こうした非市場的価値への影響評価が不可欠だ。

公正や民主主義といった社会・政治的価値を競争法の中に読み込むのは、同法の射程を過度に広げるのではないかとの批判もある。重要な指摘だが、例えば欧州の競争法は、もともと公正性、経済的自由、多様性、自己決定、民主主義といった憲法価値の実現を目的の中に含んでおり、こうした社会的側面こそが欧州競争法の特徴といわれる。
米国では1970年代以降、消費者利益と経済的効率性を重視するシカゴ学派の強い影響の下、価格上昇を基準に市場支配力を定量的に評価するテクノクラティックな競争法が主流だった。しかしプラットフォーマーの興隆後、私的経済権力の社会的・政治的支配の統制と民主主義の維持を目的に含んでいた20世紀初頭の競争法を再評価する動きが進んでいる。その指導者たちは、競争法理論の形成に重要な影響を与えたルイス・ブランダイス米最高裁判所裁判官の名を冠して「新ブランダイス学派」とも呼ばれ、注目されている。

こうした動きを見ると、日本でもメガプラットフォームの性格を踏まえ、競争法の目的を原理的に問い直す必要があるはずだ。
例えば、その規模や社会インフラ性から、これを「国家」に類似したものと捉える見解がある。しかし、メガプラットフォームは、時に国家を超越し、国家の権力行使からユーザーの自由を保護する「私的」防波堤として機能する。この点を踏まえるなら、メガプラットフォームは、国家というより、中世封建制の時代に君主から自立しながら特定の「場」を支配し、統治していた荘園に近い。
実際、メガプラットフォームも、私的な存在ながら、「領内」でデータを耕すユーザーに生活基盤を提供する半公共的な性格を有している。今後は「通貨」発行や教育、保険・福祉サービスの提供といった伝統的な国家事業を吸収しながら、公的・基盤的性格をますます強めていくだろう。
このことは、生活の利便性や効率性を飛躍的に高める。しかし、中世の荘園領主が、領内に囲い込んだ者の自由を抑圧する専制権力と化すことがあったのと同様、現代のメガプラットフォームも、自らの半公共的性格を忘れ、ユーザーの自由や公正を害する可能性があることに注意が必要だ・・・

・・・以上のようなメガプラットフォームの特質を踏まえれば、自己決定や公正といった憲法上の諸原理を競争法秩序の中に取り込み、プラットフォームの権力性ないし、一部論者のいうデジタル封建制を適切に統制していくことが必要だ。それにより、一方で現代版荘園の自治性を尊重しながら、他方で複数の荘園間の抑制と均衡(競争状態)を確保してその専制化を抑え、それらに社会的・公共的責任を担わせる「立憲的封建制」を目指すべきである。
そこでは、中世封建制と異なり、ユーザー自身がどの「荘園」に属するかを自由に選択・変更でき、一部サービスについては他の企業が提供するものを利用できるようにするなど、園内を自分なりにカスタマイズできなければならない・・・

見えざる手だけでは成り立たない経済

2020年1月30日   岡本全勝

1月26日の読売新聞言論欄、堂目卓生・大阪大教授 の「誤解されっぱなしの経済」「見えざる手 その心は共感」から。

・・・みなさん、聞いたことがあるでしょう。富を分かちあう気のない人が、利己的に活動をしても、その方がかえって全体の富を増大させる、それがスミスのいう「見えざる手」だと。
これも、ある意味、誤解です。スミスは最初の著作「道徳感情論」(1759年)で、人が野放図に富の獲得を目指せば社会の秩序は乱れると論じます。そして富への欲望だけでなく、人間にあるもう一つの本性を使おう、その能力を使えば富を得ながらも富に囚とらわれず、心の平静を保つことができる、と書いています。
それが「共感」、シンパシーです。誰でも人が泣いていたら悲しいし、喜んでいたら一緒に笑いたくなる。こうした共感は、損得勘定とは別の能力で、人間に自然と備わっている。家族だったら自分だけ食べて、他の人に食べさせないということはしませんね。当然、分けあいます。他人でも目の前に飢えている人がいれば、自分が相手の立場だったらどんな気持ちになるか想像し、利他的な行動をすることもある。こうした共感によって自分の行動を制御することができれば、それぞれが自由な経済活動をしても、おのずから最低限の富が全体に行き渡る――これが「見えざる手」によってスミスがイメージしていたことだった、と私は考えています・・・

・・・では、なぜ、スミスは誤解されたのでしょう。それは蒸気機関の時代に生きたスミスの予想をはるかに超えたスピードと規模で科学技術が発達し、富と人口が爆発的に増え、物が豊かになり、消費が増えれば幸せになるという世界観が誕生したことにあります。
富や地位への野心は、勤勉、創意工夫などを通じて繁栄に貢献しました。一方で、物の豊かさに目を奪われ、目に見えない文化や習慣、伝統などは軽んじられました。そして、歯止めのかからない野心、利己心から、今や富は偏在し、少数の富裕層が世界の資産の大半を握り、貧しい人は置き去りにされています。その結果、他人を顧みない富の追求が経済だと誤解されるようになったのです。
こうした経済の学祖とされているのをスミスが知ったら、さぞかし不本意でしょう。同時に米中貿易紛争に見られるような保護主義的な介入を見たら、約250年前の重商主義時代となんら変わっていない、と嘆くでしょう・・・

民主主義を支えた中間層の縮小

2020年1月29日   岡本全勝

1月26日の朝日新聞文化欄、「民主主義は限界なのか」、吉田徹・北海道大教授の「絶頂期から30年、衰退の危機」から。

・・・吉田さんによると、歴史上、世界で民主化が進んだのは計3回。19~20世紀初めには市民革命に続いて議会制が整い、20世紀半ばには日本など敗戦国の民主化と旧植民地独立があり、20世紀後半の東西冷戦終結に帰結する動きが3回目だ・・・

・・・絶頂期からわずか30年で民主主義はなぜ揺らいでいるのか。吉田さんが指摘する先進国における最大の理由は、中間層の縮小だ。
「戦後の先進国の民主主義が安定していたのは、原理原則が支持されたからではない。全体主義や共産主義と競争する中で中間層を守り育てる形で労働者への再分配、福祉国家化を進めることで、実質的な平等が実現したから。ところがいま、中間層が縮小し、解体の憂き目にあっている」

中間層の減退が始まったのは、国家による再分配の役割を減らした新自由主義的政策を掲げる指導者が登場した1980年代以降のことだ。その後、経済のグローバル化が進み、国際競争が激化するなかで08年には金融危機が起きた。再分配は低下して不平等化が進み、福祉国家を維持することも困難になり、中間層の縮小は加速した・・・

人生100年時代の現実

2020年1月28日   岡本全勝

1月24日の朝日新聞オピニオン欄、「人生100年の現実」。医師の富家孝さんが、次のように話しておられます。

・・・ずっと元気でいて、あまり苦しまずに亡くなる「ピンピンコロリ」が理想ですが、残念ながらめったにいません。病気やけがにより不自由になった体で生きる期間が平均して男性で9年、女性で12年ほどあるのが実情です。
感染症などで若死にする人が減り、寿命が延びても、がんなど加齢が大きな原因となる病気が残りました。がんの先には認知症が待ち構えており、80代後半で約4割、90歳だと約6割が発症します・・・

・・・議論が進まない責任はメディアにもあります。長生きというと元気な人ばかり登場させますが、長寿は良いことばかりではないと伝えるべきです・・・