カテゴリーアーカイブ:社会の見方

仏教の変遷

2020年4月21日   岡本全勝

佐々木閑著「集中講義 大乗仏教  こうしてブッダの教えは変容した」(2017年、NHK出版)を読みました。これは、別冊NHK100分de名著シリーズの一冊です。

紹介に、次のように書かれています。
・・・同じ仏教なのに、どうして教えが違うのですか?
自己鍛錬を目的に興ったはずの「釈迦の仏教」は、いつ・どこで・なぜ・どのようにして、衆生救済を目的とする「大乗仏教」へと変わっていったのか・・・

釈迦が説いた仏教と大乗仏教(日本で信仰された仏教)とが全く違ったものであることが、よくわかりました。そして、なぜ大乗仏教に転換し、それが民衆に受け入れられたかも。というか、民衆に受け入れられるために、大乗仏教に転化したのでしょう。その中でも、奈良仏教から天台宗、真言宗、浄土宗、禅宗、日蓮宗と派生していったことも、よくわかります。

さらに知りたいことがあります。
仏教そして宗教に、関心を持っていました。人類の歴史で、長い期間そして多くの人をとらえてきた宗教。それを知りたかったのです。いくつか本をかじりましたが、よくわかりません。不勉強もあるのですが。
私の不満は、宗教について書かれた本の多くが、教団・聖職者側から書かれていることです。教義、教祖の教え、実践すべきことが書かれていますが、それを信じた民衆の側からの記述ではないのです。個人の側から書かれているとすると、ある人が宗教心に目覚める、悟りを開く話です。
この項続く

鎌田先生解説、ウェゲナー著『大陸と海洋の起源』

2020年4月20日   岡本全勝

鎌田浩毅先生が今度は、ウェゲナーの『大陸と海洋の起源』(2020年、講談社ブルーバックス)の解説を書かれました。本文は、竹内均先生が1975年に翻訳されたものです。
大陸が移動するという話は、現在ではみんなが受け入れています。しかし、ドイツの科学者ウェゲナーが1915年に原著を出版したときは、荒唐無稽な説として相手にされませんでした。半世紀後に認められ、復活したのだそうです。ただし彼は、1930年に亡くなっています。

鎌田先生によると、この本は 科学の古典なので、「古典らしく」とても読みにくい本だそうです。そこで、先生の解説が役に立つのです。P348に、科学の古典の読み方が指南されています。
科学の古典を、私たちは常識として受け入れていますが、その多くは、当時としては通説に刃向かう「異端」でした。なぜ、彼は通説を疑ったのか。そして、どのようにして通説を覆したのか。そこには、ドラマと苦労があります。コペルニクスもガリレオも、ダーウィンも。

武田信玄は「動かざること山のごとし」を掲げましたが、「造山運動」という言葉があるように、地球科学者は「ゆっくり動くこと山のごとし」と考えているのだそうです。信玄公も私たちも、1年とか10年の単位で、山を見ていますからね。
ウェゲナーの大陸移動説から、プレート・テクトニクスという「地球科学の革命」が誕生したこと、さらに地球科学は発展していることも、解説されています。20世紀の地学、いえすべての地学の中での、革命的発想だったのですね。

コロナ対策、専門家に任せることと任せられないこと

2020年4月19日   岡本全勝

4月9日の朝日新聞オピニオン欄、松尾陽・名古屋大学教授の「コロナ対応、最適解どこに 専門知の力と限界、認識を」から。松尾教授は、コロナウィルス対応が財源や時間という限られた資源を浮き彫りにしたことを指摘した後、法的資源について述べます。
・・・しかし、日本は法治国家であり、「命令」などの強制処分は法律の根拠に基づかなければならない。現行の法制度では、少なくとも強制権限の発動の機会と手段は限られている・・・現時点で利用可能な法的な手段は何かを正確に把握することが大切であり、これ自体も専門知なのだ。海外の状況や政策を参照する際も、日本に導入可能なのかを検討する必要がある。法律改正には、憲法上の限界も存在する。
限られた資源の中で多様な専門知を活用して、最適な解を探求しなければならない・・・

・・・ところで、立憲主義は、人びとの自由を守るべく、公権力の恣意的な行使を抑制しようとする理念である。これを基盤とする日本国憲法は、基本的には、最適な解を探求する積極的な装置というよりも、最悪の解を避ける消極的な装置としてデザインされたといわれる。
しかし、日本国憲法の文言は抽象的であり、すべての事項について規定しつくしているわけではない。感染症対策で社会的な距離が求められる状況下での、国会や閣議のあり方も規定されているわけではない。そのような未規定の領域のあり方は、人びとがどのように統治システムを運用していくのか、また、どのようなシステムを期待し評価していくのかにかかっている。これは、統治システムにおける専門家の活用のあり方においても同様である。

専門家は万能ではない。にもかかわらず、人びとが専門家に万能さを求めてしまえば、専門外のことにも簡単に答えてくれる「万能な」専門家が、統治システムや社会の中で重用されることになってしまうだろう。
専門家を適切に尊重するというのは、専門家の領分を適切に認識し、その専門家にも答えられない領域があることをわきまえることだ。自分で考えなければならない領域に向き合うことには不安が伴うが、それが自律や民主政への第一歩である・・・

コロナウィルスが明らかにすること2

2020年4月18日   岡本全勝

コロナウィルスは、各国のお国柄の違いや政府の対応の違いをも、見せてくれます。医療体制の充実度の違い、政府による国民の行動制限措置の違い、国民の遵守の違いなどなど。
政府と国民との関係も見えてきます。国民に厳しいことを言える国と、言えない国との違いも。罰則をもって、外出を規制する国もあります。国民の生活や経営困難に対して、どのような金銭的支援をするか。マスクを配るかなどにも、違いが出ます。

4月9日の日経新聞オピニオン欄、村山恵一・コメンテーターの「コロナと戦えるIT社会 問われるプライバシーの感度」は、各国のコロナ対応にIT(情報通信技術)を用いる違いと、個人情報保護について書いていました。主旨はITの活用ですが、ここでは次の部分を紹介します。
・・・そしていま避けられないのが、個人データの活用を巡る議論だ。
世界を見渡すと個人の移動や居場所、体調などのデータをさまざまな方法で集め、感染の抑えこみに使う動きがアジア、欧州に広がる。強力な武器だが、懸念もある。中国のシステムは国家監視の色彩が濃い。韓国では無関係な個人情報まで漏れ問題化した・・・

病気を押さえ込むために、ITを使って各人の行動を監視することと、個人情報保護とをどのように両立させるか。議論が続くでしょう。

村山さんの記事の主旨に戻れば、戦争中に関連する技術が大きく進歩します。勝つために、お金や技術者を動員するからです。今回の病気との闘いも同様でしょう。お金と技術者がつぎ込まれます。そして、新しい技術とその実装が進みます。
そこに、新しい技術と社会生活をどのように折り合いをつけるかが、問題になります。これは科学技術の問題でなく、政治社会の問題です。そこに、各国のお国柄の違いが出てきます。

振り返る「失われた20年」

2020年4月18日   岡本全勝

朝日新聞「変転経済」取材班編「失われた〈20年〉」(2009年、岩波書店)を読みました。
小峰隆夫著『平成の経済』に続いてです。改めて「失われた20年」を勉強しようと有識者に聞いたら、この本を推薦してくれました。この本も、優れものです。

経済復活のために取られた、いくつかの政策や企業の判断が取り上げられ、その経緯と日本社会に及ぼした影響が具体的に描かれています。
朝日新聞の記事を、加筆編集したものです。そのような本は、しばしば記事を集めただけで、筋が通っていないことが多いのですが。この本は、かなり編集しているようです。わかりやすいです。

2009年と10年前のものですが、失われた20年の雰囲気がよく伝わってきます。当時を知っている人は、思い出すために。当時を知らない人は、勉強のために。お勧めします。