カテゴリーアーカイブ:社会の見方

政治発言をしてはいけないのか

2020年7月29日   岡本全勝

7月22日の日経新聞夕刊グローバルウオッチは「有名人、政治発言はタブー?」でした。
・・・「もう我慢の限界だ。『黙ってろ』なんて言わせない」。ネットフリックスで配信されているドキュメンタリー「ミス・アメリカーナ」で米人気歌手のテイラー・スウィフトさんが怒りをあらわにしながら語る。2年前の2018年、米中間選挙で民主党への支持を公表する前に、共和党候補者に批判的な心情を明かした場面だった。
スウィフトさんはそれまで政治的な発言をしてこなかった。過去を振り返って、「私には恋愛の歌しか求められていないと思っていた」と笑う。政治的な発言を避けてきたのには理由がある。イラク戦争直前の03年、当時のブッシュ大統領を批判した女性カントリー音楽グループのディクシー・チックスは「反アメリカ」や「裏切り者」と激しく非難された。スウィフトさんはデビュー当時、音楽レーベルや出版社から「ディクシー・チックスを反面教師にしろ」と指導されたと明かす・・・

・・・日本でも有名人の政治的発言が注目される出来事があった。検察官の定年を延長する検察庁法改正案が国会に提出されると、法案への反対意見がSNS(交流サイト)上で多数あがった。歌手や俳優など有名人が「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを付けてSNSに反対意見を投稿した。スウィフトさんが政治的発言をした時のように、有名人の投稿には賛成と批判の両方の声が寄せられた。
中でも人気歌手きゃりーぱみゅぱみゅさんの同法案を批判する投稿には賛同の意見があった一方で、批判の投稿も相次いだ。その中には、「政治的発言をすべきではない」といった、発言そのものを否定するものが多かった。きゃりーさんは結果的に投稿を削除するに至り「今後は発言に責任感を持って投稿していきます。失礼致しました」と釈明した・・・

・・・政治的発言をすること自体にバッシングがあったのはなぜか。メディア論が専門の成蹊大学教授の伊藤昌亮氏は「政治はプロフェッショナルが担うものだという考えが日本では強い」と語る。「複雑な政治の世界の外側にいると見なされている有名人は、参入資格がないとみられている」と指摘する。
社会運動論が専門の立命館大学の富永京子准教授は「日本では社会運動が社会を変えるという感覚がそもそも薄い」と話す。日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査によれば、「私の参加により社会現象が少し変えられるかもしれない」に「そう思う」と「どちらかと言えばそう思う」と回答した割合は日本は30.2%にとどまった。米国は52.9%と最も高く、隣国の韓国も39.2%と日本より高かった。

そのうえで富永氏は「日本人は『自分の行動によって政治が変わる』といった感覚が薄い」と指摘し、有名人のSNS上での政治的発言に対しても否定的なのではないかと分析する。
米国でも日本でも有名人が政治的立場を表明することはあり、意見を異にする人から批判が出る。ただ「米国では『そもそも政治的発言をするな』といった批判は少ない」と米国政治に詳しい東洋大学教授の横江公美氏は語る。政治的発言をすることは有名人にとっていわば社会的責務だと指摘し、「米国は二大政党制が根付いており、政権交代が機能している。政治的立場の表明によって、一方の党の支持者から嫌われるかもしれないが、それで『干される』ことはない」と話す・・・

政治発言に対して、反対派から批判が出ることは普通のことでしょう。また、事実誤認などは正されて当然です。問題は、政治発言をすること自体への批判です。
民主主義とは、意見の異なる人が議論して、一定の結論を得る仕組みです。意見、特に反対意見を表明してはいけないなら、民主主義は機能しません。私は、有名人を含め政治発言を批判する発言は、民主主義の観点から厳しく批判すべきだと考えています。政治家もマスメディアも、もっと取り上げるべきです。
日本社会論として論じるなら、記事でも書かれているように「政治は専門家に任せておけば良い。一般人は投票にだけ行けば良い」という認識が強いのではないでしょうか。
教育現場においても、政治は制度の説明や歴史を教え、現実政治や政治的議論は避けてとおるようです。それでは、民主主義の運用を教えることにはなりません。

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』その2

2020年7月25日   岡本全勝

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』」の続報です。村上陽一郎・東大名誉教授が、7月25日の毎日新聞に書評を書いておられます。

「一読、巨きな一幅の絵を見た思い。システィナ礼拝堂の天井画、アダムの指先のリアルさにまがう、細部のリアルさは細密画の如く、しかし、全体が訴えるものは大きくて深い。読み終わって、魂に木霊するような静かな亢ぶりがある」で始まり、「確かな書物を読んだ後の魂の亢ぶりは、まだ続いている」で終わります。

村上先生による極上の評価です。私の説明は、控えめでしたね。

経済統計、官と民

2020年7月24日   岡本全勝

7月17日の日経新聞オピニオン欄、渡辺安虎・東大教授の「コロナ第1波、ミクロデータ検証を」から。

・・・世界的に新型コロナウイルスの流行が第2波を迎えつつある。第1波の経験から何を学び、どう対応するのか。その際に最も知りたいのは、第1波が経済にどのような影響を与え、経済対策がどのくらい効果があったかだろう。
コロナ危機はこれまでの金融危機や経済ショックとちがい、経済主体による影響の異質性が極めて高い。企業であれば業種や取引相手、顧客の種類により減収幅などが大きくばらつく。個人も職種や年齢、性別、正規か非正規か、といった属性により影響度合いが異なった。

この影響の異質性を、集計された公的統計から知ることは困難だ。例えば製造業の公表数字があっても、アルコール消毒液を作る企業もあれば、自動車部品を作る企業もある。公的統計はあくまで集約した数字が公表されるだけだ。統計の基になる個票レベルの「ミクロデータ」への機動的なアクセスは、政府外には閉ざされている。

この4カ月間、コロナ危機をめぐる日本経済に関する論文などで公的統計のミクロデータを使ったものは私の知る限り存在しない。素早く発表された分析は全て民間データを使っている。東大の研究者はクレジットカードの利用データを用い、一橋大などのチームは信用調査と位置情報のデータを使った。米マサチューセッツ工科大のチームは日本の求人サイトのデータを分析した。
一橋大と香港科技大のチームは自ら消費者調査会社にデータの収集を依頼した。このプロジェクトに至っては、政府による数兆円規模の補助金の効果を分析するため、クラウドファンディングで200万円の寄付を募るという綱渡りを強いられている。
政府統計の問題はミクロデータへのアクセスが閉ざされているだけではない。行政データのデジタル化の遅れにより、解像度と即時性を兼ね備えたデータがそもそも存在していない。これらの点はすぐに改善は望めないので、当面は民間データの利用を進めるしかない・・・

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』

2020年7月21日   岡本全勝

内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(2020年、河出書房新社)を紹介します。

産経新聞7月18日、文芸評論家・富岡幸一郎さんの書評「苦悩する魂の秘密に迫る」から。
・・・本書は、70年前に金閣に火を放った青年僧の生涯をたどり、著者専門の精神病理学の視座から、彼がなぜ金閣を焼くに至ったのかを追究する。
青年の生まれ故郷、禅僧の父、息子の犯行直後に自殺した母、彼自身の鹿苑寺金閣での修行の日々、犯行後の精神状態。鋭利な分析は推理小説のようにスリリングであるが、驚くべきは現実界の青年が、いつしか小説の主人公に深く交差し、作者・三島由紀夫の天才の病理へと結びついていくことである。
そこに現れるのは、人間の心の深淵であり苦悩する魂の秘密である。三島の衝撃的な自裁もくまなく解明される。精神科医による文学論などではない。著者自身の実存を賭して描かれた、類いまれなノンフィクションの傑作である・・・

ノンフィクションというと、事実に基づいた創作小説を指すようですが、この本はそのような分類より、精神科医による、金閣寺放火犯とそれを題材に小説を書いた三島由紀夫の精神分析といった方がわかりやすいでしょう。事実と二人の生い立ち、三島については彼の小説を手がかりに、二人の心を開けて見せます。推理小説に近いかもしれません。分裂病やナルシシズムなど、そのための基礎知識も得ることができます。私は、そのような感想を持ちました。

著者は、東大医学部卒の精神科医です。というか、私にとっては、高校の同級生です。いつもいただく本は難しいのですが、これは読むことができました。

マスメディアの役割 事実の検証

2020年7月21日   岡本全勝

読売新聞は、7月17日18日と、「検証コロナ 次への備え」を載せていました。
・・・新型コロナウイルスの感染者が国内で初めて判明してから、16日で半年となった。この間、日本が直面した感染症危機管理の教訓と課題を探る・・・「クルーズ船で何が起きていたのか」「医療の逼迫はなぜ起きたのか」。
・・・未知のウイルスの感染者が乗っていた大型客船が突然、日本にやって来た。想定外の事態で、国際的なルールもない。日本政府はどう対応したのか。どんな課題が見えてきたのか―・・・

よい企画ですね。日々の出来事(ニュース)の報道も大切ですが、このように振りかえって検証する。そこに、マスメディアの機能があります。日々の報道では、事実が次々と流され、流れ去っていきます。それは、一種の消費財です。それらの事実をつなぎ合わせて、どのような意味があったのか、何がよくて何が問題なのかを検証することが重要です。マスメディアというより、ジャーナリズムという方が良いのでしょう。インターネットニュースではできないことです。

コロナ関連では、20日の朝日新聞記者解説が、「際限なき借金大国 コロナで危機拍車、財源語られぬまま」を解説していました。この論点も重要です。国会などではあまり議論されていないようですが。
読売新聞は、19日の「あすへの考」で「自衛隊とは・・棚上げの70年」を解説していました。このような取り上げ方もよいですね。