カテゴリーアーカイブ:社会の見方

中国の新幹線車両を埋める日本の油圧ショベル

2022年10月12日   岡本全勝

9月27日の朝日新聞夕刊「新幹線と日中半世紀5」は、「「大躍進」そしてあの事故」でした。
日本の技術移転を受けて発展した中国の新幹線。2011年7月に大事故を起こします。それも問題でしたが、その後始末がびっくりでした。事故を起こした先頭車両を、近くの畑に埋めてしまったのです。覚えておられる方も多いでしょう。

ここで紹介するのは、その際の写真です。車両を埋める作業をしている油圧ショベルが6台ほど写っています。手前から、日立、小松、住友、神戸製鋼の文字が読めます。当時は、中国で使われる重機が日本製だったのですね。まだ10年前の話です。

情報は爆発しても、人が咀嚼できる量には限りがある

2022年10月11日   岡本全勝

9月24日の朝日新聞「はじまりを歩く」は、「日本初のホームページ」でした。今や誰もが利用する、しかも毎日何度も使うホームページですが、日本初は1992年だそうです。まだ30年なのですね。
私がこのホームページをつくったのが、20年前です。いろいろな組織のホームページを閲覧するだけでなく、素人でも簡単につくることができます。
記事に、次のような話が載っています。

膨大な情報の海から、どうすれば必要なものを効率よく見つけられるかも難題だ。05〜10年度に文部科学省の「情報爆発プロジェクト」という研究事業があった。世界中でやりとりされる情報の爆発的な増大にどう対応するかを多面的に研究した。
まとめ役だった喜連川優(きつれがわまさる)さん(67)はいま、東京都千代田区にある国立情報学研究所の所長を務める。
情報爆発に私たちはどう向き合えばいいのか。そう尋ねると、「それが分かれば苦労はありませんよ」と笑いながら、こう話してくれた。
「どれだけ情報が増えても、一人の人間が咀嚼できる量には限りがある。私たちは、より優れた検索の仕組みを開発しようとしています。情報の供給者も、話題のトピックについて様々な視点を整理し、分かりやすく伝えるキュレーション(情報の収集・整理)の役割がますます重要になるのではないでしょうか」

殿様は目黒でサンマを食べたか2

2022年10月10日   岡本全勝

殿様は目黒でサンマを食べたか」を読んだ読者から、次のような文献を教えてもらいました。
福島信一・元水産庁東北区水産研究所海洋部長による「東北海区サンマ漁業創始100年」(東北水研ニュース69号、平成17年1月~平成17年6月)です。江戸時代に、千葉県沖でサンマ漁がされていたようです。詳しくは原文を読んでいただくとして、関係ある部分を引用します。

わが国のサンマ漁業が,延宝年間(約330年前)に熊野灘に起こった事は,水産高校の教科書などにも見られる。河村瑞軒が西廻り,東廻り航路を開いた年代である。この頃,三陸では唐桑村鮪立(しびたて)の漁業者が,紀州の漁師から鰹釣漁を習い,普及に努めたので,漁獲量も桁違いに急増した。しかしサンマ漁業は,元禄年間(約310年前)に安房国に伝わり,伊豆地方にも普及したが,明治時代の末までは,千葉県以西の本州南岸各地先で営まれていた。カツオ釣漁のように,東北海区へ伝わらなかった主な要因は,当時の漁具・漁法と,サンマの回遊特性によるのである。

1912年(大正1)農商務省水産局発行の,日本水産捕採誌全によると,秋刀魚は東海にて多く漁獲し,関東ではサンマ,関西ではサイラと称し,安房・志摩・紀伊国が盛漁地である。安房国の秋刀魚漁は,東海岸の七浦・千倉浦に盛で,漁期は陰暦9月中旬~11月末で,近海各地から廻船入漁し,頗る活況を呈した。

1890年に府県制・郡制が公布されたが,その数年前に,県の史員がとりまとめた「陸前国宮城郡地誌」は,35頁・32項目にわたる力作である。その物産の頁には,水産物24種が記されている。鯛・鮃・鰹・鮪・鰯などの生産量が,1駄・2駄・・・の単位で,魚種別に記されているが,秋刀魚の記載は何処にも見当たらない。この資料から,当時の三陸漁場に於いては,秋刀魚は漁獲されていなかった事が判る。

このため漁場は,外洋性のサンマが黒潮により陸岸近く来遊する,千葉県以西の本州南岸の岬や島しょの東側に限られていた。

このように,1916年の岩手県漁業者のサンマ流網漁業の開始・大成功は以南各県漁業者の三陸沖への出漁を促し,企業体数・漁獲量ともに急増した。この年以降は,東北海区漁場の漁獲が,江戸時代から営まれてきた,千葉県以西のごく沿岸の漁獲を大きく凌駕した。福島県の漁業者が,サンマ流網漁業を起こして以来,10年が経過し,東北海区がサンマ主漁場となったのである。

モノとコト2

2022年10月10日   岡本全勝

モノとコト」で、モノとコトの違いを、質量があるのが「モノ」、質量がないのは「コト」。コトとは、モノとモノの相互作用のことと説明しました。

近藤和彦先生の訳で出た、エドワード・カー『歴史とは何か』(2022年、岩波書店)91ページに、「今日の物理学者がつねに口になさるのは、物理学者が研究しているのは事実ではない、事象(イヴェント)だということです」という記述がありました。そして、訳注に「イベントは日本語では催し・行事だが、ラテン語由来の英語ではevntはことの成りゆき・出来事であり、哲学や物理学・数学では事象である。」と説明があります。このような分け方もありますね。

歴史学で扱う「事実」は、起きた事実すべてではなく、その中から歴史的に意味をもった事実です。それは、私なりに理解すれば、同時代に与えた影響と後世に与えた影響の大きさで、歴史的事実になります。よく引き合いに出されるのが、シーザーがルビコン川を渡ったことは史書に書かれますが、それまでにまたその後にたくさん人がルビコン川を渡っても史書には書かれません。「evntはことの成りゆき」は、そのように理解しました。

なお、清水幾太郎訳(岩波新書)では、「自分たちが研究するのは事実ではなくて、事件である、といつも現代の物理学者たちは私たちに向かって語ります。」とあります。これを読んだときは、あまり気にせず読み飛ばしていたのですが。近藤先生の注で、理解が深まりました。

1947年の東京都千代田区地図

2022年10月9日   岡本全勝

東京都千代田区が、1947年(昭和22年)の地図を、ホームページに載せています。終戦2年後、アメリカ軍に占領されていた時代の、東京の中心部の地図です。

画面では小さいので、拡大して、いくつかの場所を見てみました。
道路はおおむね現在と同じですが、建物はまったく違います。いくつもの建物が、占領軍に使われています。霞が関も大手町もかなり異なります。国会議事堂前もです。
高速道路や地下鉄もありません。チンチン電車が走っていました。これまでの間に、2度建て替えられた建物もあります。
興味ある方は、拡大してみてください。