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社会

ハンガリーの姓名

ブダペスト―ヨーロッパとハンガリーの美術400年」に行った際に、「どう表記してあるかな」と、確認してきました。作者の氏名です。

ハンガリー語(マジャール語)は、日本と同じで、姓名の順に並べます。では、絵画の解説の際に、作者の氏名をどのように表記するか。
最初に出てくるドイツ人や、後から出てくるフランス人は、名前が先で苗字が後ろ。
で、ハンガリー人はと見ると、姓名の順に表記してありました。その際に、苗字は大文字で、名前は最初の文字だけ大文字で後は小文字です。

展示品の中に、作曲家フランツ・リストの肖像画があります。ムンカーチ・ミハーイ画「フランツ・リストの肖像」です。
このページの7番を開いてもらうと、次のような説明があります。「ハンガリー出身の高名な作曲家でピアニストのフランツ・リスト(ハンガリー語ではリスト・フェレンツ)・・・」。
そうだったのですね。正式には、リスト・フェレンツだったのです。

よく見ると、このホームページの冒頭に「本展では、ハンガリーの人名は原則として「姓・名」の順で表記します。」と表記があります。

孫が知らないこと

5歳の孫と65歳の私とでは、2世代、60年の差があります。5歳の幼子は、好奇心の塊で、次々と新しい知識を吸収しています。いろいろと質問され、世間のことを教えます。
その際に気づきました。孫が幼くてまだ知らないことの他に、孫の世代は知らないことがあります。正確には、体験したことがないことです。

孫と遊んでいると、「そうか、こんなことを知らないのだ」と気づかされます。
1 駅で切符を買う。駅員が、切符に、はさみを入れることを知らない。
2 お店で現金を出し、お釣りをもらう。
3 公衆電話をかける。
4 マッチを擦って、火をつける。ある知人は、孫が訪ねてきたとき、神棚と仏壇に蝋燭と線香を立てたら、孫に「もっとやって」と何度もマッチに火をつけさせられたそうです。
皆さんも、思い当たるでしょ。
現金払いが少なくなり、硬貨や紙幣を見る機会が少なくなりました。貯金箱はどうなるのでしょうか。

2002年に、東大に教えに行ったとき、47歳の私と20歳過ぎの学生や大学院生との「時代の差」に、衝撃を受けたことを思い出します。
昭和30年(1955年)、奈良の田舎生まれで、経済成長以前の日本を知っている私と、その後に生まれた若者との違いです。彼らは、豊かでなかった日本、不便だった日本を知りません。そして、明日が今日より豊かになるという実感も知りません。

フィンランドから見える日本

2月1日の朝日新聞オピニオン欄「フィンランド、理想郷?」。サカリ・メシマキさん(大学院生)の「幼いころから議論と自立」から。

・・・フィンランド人は意識が高い、ですか? いえ、フィンランド人もさまざまで一概にそうは言えないと思います。ただ若者はジェンダーの平等やLGBTQ、気候変動問題などに関心のある人が多いかもしれませんね。政治を通じて社会を変えたいと声を上げる人もたくさんいます。
フィンランドでは政治は身近です。テレビなどのエンタメにも政治家を皮肉るネタがよく出てくるし、各政党の青年部では、多くの高校生や大学生が活動しています。僕も選挙の時は友達と話し、毎回投票してきました。日常生活で政治的話題を避ける方が難しいんです。

日本では政治がタブー視されますね。留学した大学のサークル友達に政治について話したら、「ニュース見てるんだ」と驚かれました。日本人は、政治の話をして他の人と意見の違いが表れることすら避けているように見えます。
日本でネガティブなニュアンスのある「意識高い系」という言葉は、フィンランド語にはありません。「家賃が高すぎる」「勤務時間が長い」といった自分に直接関わる日々の問題にも政治はつながっていて、そこから変えられると考えられているのです。

個人主義を重視するフィンランドでは、子どもの時から自分の意見を表現する経験を重ねます。学校では、世の中の物事について「あなたはどう考える?」と聞かれ、いろんな授業でクラスメートとよく議論しました。
自立することも大切だとされ、高校卒業後は、公的な補助を利用しながら親元から離れるのが一般的です。福祉制度の基盤のうえに男性も女性も一人一人が生計を立て、自分を持つということが「自立」と考えられています・・・

日本人の政治参加意識の低さは、連載「公共を創る」でも、文化資本の弱さにおいて書きました(記事になるのは3月頃です)。多くの人が、投票には行くのですが、政治活動にかかわることを忌避するのです。

プラットフォームの公共性

1月29日の日経新聞経済教室、山本龍彦・慶応義塾大学教授の「プラットフォーマーと消費者(下) 「デジタル封建制」統制を」から

・・・プラットフォーム間の統合は、競争法(独占禁止法)の観点から様々な議論が交わされているが、市場経済への影響に関する定量的・数理的な評価を超え、社会的公正や民主主義といった非市場的価値への実質的影響にも配慮する必要がある・・・

・・・プラットフォーム上のニュースサイトについても同様である。支配的なサイトが生まれれば、素材を提供するメディアにとっては、同サイト上でいかに表示されるかが死活問題となる。一つのサイトが市場支配的な力を持つことは、メディアの健全性や多様性、ひいては民主主義を危険にさらす。ニュース部門の統合にも、こうした非市場的価値への影響評価が不可欠だ。

公正や民主主義といった社会・政治的価値を競争法の中に読み込むのは、同法の射程を過度に広げるのではないかとの批判もある。重要な指摘だが、例えば欧州の競争法は、もともと公正性、経済的自由、多様性、自己決定、民主主義といった憲法価値の実現を目的の中に含んでおり、こうした社会的側面こそが欧州競争法の特徴といわれる。
米国では1970年代以降、消費者利益と経済的効率性を重視するシカゴ学派の強い影響の下、価格上昇を基準に市場支配力を定量的に評価するテクノクラティックな競争法が主流だった。しかしプラットフォーマーの興隆後、私的経済権力の社会的・政治的支配の統制と民主主義の維持を目的に含んでいた20世紀初頭の競争法を再評価する動きが進んでいる。その指導者たちは、競争法理論の形成に重要な影響を与えたルイス・ブランダイス米最高裁判所裁判官の名を冠して「新ブランダイス学派」とも呼ばれ、注目されている。

こうした動きを見ると、日本でもメガプラットフォームの性格を踏まえ、競争法の目的を原理的に問い直す必要があるはずだ。
例えば、その規模や社会インフラ性から、これを「国家」に類似したものと捉える見解がある。しかし、メガプラットフォームは、時に国家を超越し、国家の権力行使からユーザーの自由を保護する「私的」防波堤として機能する。この点を踏まえるなら、メガプラットフォームは、国家というより、中世封建制の時代に君主から自立しながら特定の「場」を支配し、統治していた荘園に近い。
実際、メガプラットフォームも、私的な存在ながら、「領内」でデータを耕すユーザーに生活基盤を提供する半公共的な性格を有している。今後は「通貨」発行や教育、保険・福祉サービスの提供といった伝統的な国家事業を吸収しながら、公的・基盤的性格をますます強めていくだろう。
このことは、生活の利便性や効率性を飛躍的に高める。しかし、中世の荘園領主が、領内に囲い込んだ者の自由を抑圧する専制権力と化すことがあったのと同様、現代のメガプラットフォームも、自らの半公共的性格を忘れ、ユーザーの自由や公正を害する可能性があることに注意が必要だ・・・

・・・以上のようなメガプラットフォームの特質を踏まえれば、自己決定や公正といった憲法上の諸原理を競争法秩序の中に取り込み、プラットフォームの権力性ないし、一部論者のいうデジタル封建制を適切に統制していくことが必要だ。それにより、一方で現代版荘園の自治性を尊重しながら、他方で複数の荘園間の抑制と均衡(競争状態)を確保してその専制化を抑え、それらに社会的・公共的責任を担わせる「立憲的封建制」を目指すべきである。
そこでは、中世封建制と異なり、ユーザー自身がどの「荘園」に属するかを自由に選択・変更でき、一部サービスについては他の企業が提供するものを利用できるようにするなど、園内を自分なりにカスタマイズできなければならない・・・

人生100年時代の現実

1月24日の朝日新聞オピニオン欄、「人生100年の現実」。医師の富家孝さんが、次のように話しておられます。

・・・ずっと元気でいて、あまり苦しまずに亡くなる「ピンピンコロリ」が理想ですが、残念ながらめったにいません。病気やけがにより不自由になった体で生きる期間が平均して男性で9年、女性で12年ほどあるのが実情です。
感染症などで若死にする人が減り、寿命が延びても、がんなど加齢が大きな原因となる病気が残りました。がんの先には認知症が待ち構えており、80代後半で約4割、90歳だと約6割が発症します・・・

・・・議論が進まない責任はメディアにもあります。長生きというと元気な人ばかり登場させますが、長寿は良いことばかりではないと伝えるべきです・・・