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社会

日本企業の国際化、タケダ薬品

5月13日の日経新聞「多様人材探るONEタケダ 経営陣7割が外国人、摩擦も成長の糧に」が、武田薬品工業の国際化について分析しています。

社長が外国人、経営陣19人のうち日本人は5人です。海外企業を買収し、海外売上比率は8割、4万7千人の従業員の9割が海外にいます。
本社は東京日本橋にありますが、アメリカの拠点に情報とともに経営の主導権が集まりつつあるようです。

生え抜きから幹部まで上り詰める社員は少なく、経営陣で新卒から武田に勤務する日本人は3人だそうです。幹部クラスの入れ替わりも激しく、上司が替わると方針が変わることもあって、戸惑う社員もいるようです。
しかし、このような摩擦が生まれても、グローバル化は止めません。そうしないと、世界で生き残れないからです。

買って捨てる、ごみ事情

杉並区の広報誌4月15日号「特集 すぎなみビト 芸人・ごみ清掃員 滝沢秀一」から。
・・・目標はただ一つ。日本のごみ削減! お笑いコンビ「マシンガンズ」の滝沢秀一さんは芸人として活躍する一方で、9年前から民間のごみ清掃会社で仕事を始めました。収集現場の日常を発信したSNSが話題となり、現在は芸人と清掃員、二つの仕事をしながら、執筆や講演を通してごみについて考える大切さを伝えています。今号ではごみ清掃の仕事とごみの削減にかける思いをお聞きしました・・・

─ ほかにもごみ清掃員を始めて驚いたことはありますか?
なぜこんなものが出るのだろう? と驚くような、謎めいたごみはたくさんあります。
例えばバナナの皮はなくて中身だけとか、同じものだけが45ℓのごみ袋いっぱいに詰め込まれているとか。刃がむき出しの包丁がごみ袋に入っていたり、みそ汁がそのままごみ袋に捨てられていたりすることもあります。
水分は結構厄介で、ごみは圧縮しながら清掃車に収めるので飛び散るんですよね。僕らはこれを「ごみ汁」と呼ぶのですが、浴びると本当に臭いがとれません。また、水分は焼却時に余計なエネルギーを使うのでコストが増します。もちろんそのコストは税金から賄われます。
こういったことはあまり知られていないのではないでしょうか。生ごみは水分を多く含んでいるため、一回でもぎゅっと絞って出すことをおすすめします。

─ コロナ禍でごみそのものにも変化はありましたか?
家で過ごす時間が増えたことが影響しているのでしょう、とにかく収集してもしきれないほどごみの量が増えました。大掃除や模様替えをする人も多いようで、洋服や100円均一で買えるような収納用品が大量に出ている印象です。安く買った分、捨てることがあまり惜しくないのかもしれません。ご
みと日々向き合っていると、「安く買ってすぐに捨てる」というサイクルが私たちの社会では当たり前になっているのかな? という気がします。

ウィキペディア20年

5月1日の日経新聞、村山恵一・コメンテーターの「20歳のWikiに映る「格差」 ネットの百科事典の壁」から。ウィキペディアができて、もう20年、まだ20年なのですね。
・・・無料のオンライン百科事典ウィキペディアが2001年の開設から20年を迎えた。記事は5500万本以上あり、閲覧は月に150億回以上にのぼる。インターネット時代を象徴する存在に育った。
感じるのは「人とネット」をめぐる2つの側面だ。今後の希望を照らす「光」と、対応すべき重い課題を示す「影」がある。

まずは「光」から。匿名の個人がボランティアで編集者(新規記事の執筆や修正を担う人)をつとめるコミュニティーの力だ。
ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズ氏がはじめに手がけたのは専門家が編集するサービスだったが、すぐ行き詰まる。1年で書かれた記事は12本だった。

並行して試みた誰でも参加できるウィキペディアは開始後1カ月を待たず1000本を突破した。ほどなく日本語版を含む多言語化が始まり、利用は世界に広がる。
運営する非営利団体、米ウィキメディア財団は編集に直接タッチしない。編集者は世界の28万人(月間)。毎分350回編集され、中立性などの基準を満たさない編集をする「荒らし」があってもおおむね5分以内に対処される。
記事への出典明記、意見の対立を収める対話・審議、集中的な編集の繰り返しなどで混乱したときの編集機能の一時停止……。こうしたルールやしくみはあるが、やはりこのサービスの肝は大勢でコラボレーションする精神だ。
「世の中のために良いことをするという使命感をもった人たちのコミュニティーがウィキペディア成功の理由だ」。財団のジャニーン・ウッツェル最高執行責任者(COO)は語る・・・

記事は5500万本以上、編集協力者は月間28万人以上、閲覧は月間150億回以上、荒らし行為への対処5分以内、対応言語300以上だそうです。私もお世話になっています。

「宗教と日本人」

岡本亮輔著『宗教と日本人ー葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(2021年、中公新書)が、よかったです。

梅棹忠夫の日本の宗教」に書きましたが、これまでの宗教論が、知識人や提供者側の議論であって、受け手である庶民の視点が抜けていました。梅棹先生は、「メーカーの論理とユーザーの論理」と指摘されます。近年、日本宗教史に関して、2つも叢書が出たのですが、これらも提供者側からのものでした。この本は、庶民の側から書かれています。

キリスト教を基準とした宗教観ではなく、初詣や地鎮祭からパワースポットまで、幅広く宗教的なものを扱います。その切り口は、信仰、実践、所属です。葬式仏教は信仰なき実践、神社は信仰なき所属、スピリチュアル文化は所属なき私的信仰です。個人で信じる新宗教、家族で信じる仏教、地域で属する神道という見立ては、わかりやすいです。日本のキリスト教は、キリスト系系学校などを通じたブランドであると位置づけています。

私たちは、お正月は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、神頼みは神道と、目的によって宗教を使い分けています。梅棹先生は、日本人が複数の宗教を信じることについて、それが混じり合っているのではなく、「神々の分業」であると指摘されます。この点については、『宗教と日本人』は深く触れていません。

目立たないこと、成長がない時代の時流に乗る

5月1日の朝日新聞オピニオン欄、真山仁さんの「いまの時代」から。

・・・根本は変わらなくとも、一方で、時代の影響を受けやすいのが人間という生き物である。
高度成長はとっくに過ぎ去り、「日本の未来は、墜ちていくだけ」と感じている国民が確実に増えている。
これぞまさに「分断の時代」だと、軽はずみには言いたくないが、「みんな」で一緒に幸せになろうとか、一緒に頑張ろうという時代は終わった。自分だけが得をするために、うまく抜けがけする知恵を巡らせる。そんな殺伐とした世界の中で、自分に自信のない弱気な人は、目立たずおとなしく、少しはおこぼれにありつけそうな大きな船に乗ろうとする。

その結果、自分の立ち位置が分からなくなってしまい、うっかりしていると自身の存在意義すら見えなくなる。
だから、若い世代は、承認欲求を満たそうと必死だし、時流の中心にいたいと焦っているように見える。
「僕らの時代なら、人と違うことをすると、かっこいいという風潮がありましたけど、今は目立たない努力をしている。みんなと同じ色のランドセルを背負っていると、いじめられないという防衛本能がある気はしますね。言ってみれば、『個にこだわりすぎて迎合してしまう時代』ですね」
「個」の時代のはずなのに、「みんな」の空気を読まなければならない。だから、生きづらいのか・・・