「社会」カテゴリーアーカイブ

社会

アメリカ人も気兼ねして発言しない

8月12日の日経新聞夕刊、美術史家・秋田麻早子さんの随筆、「すべては繫がっている」から。

・・・アメリカでの大学時代、私は美術史と美術実技の二重専攻で、油絵や版画などの作品を制作する授業をかなり取っていた。実技の授業では、先生が作品について講評する。それに加えて、生徒同士で互いの作品について批評しあう時間も設けられていた。
それまで私はこう思っていた。アメリカ人は自己主張に慣れているので、こういった場面でもはっきり自分の意見を言うのだろう、と・・・

・・・ところが、実技のクラスでのクラスメートの態度は、私の予想を裏切るものだった。油絵のクラスでのことだ。誰に意見を求めても「すごくいいと思う」「好きだな」「色とかすてきだと思う」といった誰でもとっさに思いつく内容を、小声でおずおずと述べるだけ。そしてすぐに全員が押し黙り、教室がシーンとなった。先生もあきれ顔。
私は驚いた。アメリカ人もそうなのか、と。そして安心もした。

確かに、軽く褒めるといった程度のことなら、アメリカ人の学生は日本人よりずっと簡単にやってのけるところはある。また、どうでもいいと思われそうな事を恥ずかしがらずに聞くのも上手だ・・・
・・・しかし、他人の作品についてかなり突っ込んだレベルでどうこう言わなければならない局面になると、途端に気を使い始めるのだ。余計なことを言って空気を悪くしたくない、という磁場が形成されていくのを感じた・・・

死別の悲しみにどう向き合うか

8月4日の朝日新聞生活面連載「喪の旅」、坂口幸弘・悲嘆と死別の研究センター長へのインタビュー「消えない悲しみと向き合いながら」から。

――どうしたら心残りや罪悪感を少なくできますか。
多くの遺族は故人が亡くなる前のことを何度も思い返します。その時、自分の言動や判断を否定的に評価すると、しなかったことやしてしまったことへの罪の意識になる。一方で、これはよかったと肯定的に思えることがあると気持ちが少し楽になります。

つらい闘病生活だったけど最期は苦しまなかった。スタッフがよくしてくれた。家に連れて帰ることができた。好きな物を食べさせられた。自分たちでできる限りお世話した……。そういう肯定的評価ができると、心の救いになります。つまり、亡くなるまでの過程が重要であり、その意味で、グリーフケアは亡くなる前から始まっているとも言えます。病死の場合に限った話ではなく、つらい体験の中での何かしらの「せめてもの救い」が重要だと思います。

死別後に「もっとお世話できたはずだ」と思う人も多い。それを周りが「よくがんばったね」とねぎらうことで、過去への肯定的評価を促すことが大切なんです。

働かないおじさん?

8月4日の朝日新聞オピニオン欄「50代、働いてない?」。
出世競争から降りた50代の勤め人が、とかく生きにくい世になった。「働かないおじさん」「会社の妖精さん」なんて言葉もある。ずっと懸命に働いてきたのに、どうしてこうなるの?

河合薫・健康社会学者の発言から。
「働かないおじさん」などと言われて50代で落とし穴にはまってしまう人がいるのは、日本社会のかたちが、いまだに昭和の高度成長期のままで動いているからです。
年齢人口構造では日本はすでにピラミッド型ではなく、働く人の6割が40代以上になっています。しかし、この世代の入社時と会社の仕組みはほとんど変わっていません。新卒一括採用、年功序列が続き、年々減らされる管理職の席をめぐって、同期で椅子取りゲームをさせられてきた。
高度成長期、定年は55歳でしたが、その頃の男性の平均寿命は60代でした。定年後は悠々自適の余生というイメージをいまだ引きずりながら、若い人たちにのけ者にされているのが今の50代です。

実は、50代でやる気を失っている人は周りが思うほど多くはありません。この世代を含め、900人以上にインタビューをしてきましたが、まだやるべきことがあると言う人がほとんど。競争心も衰えていない。労働政策研究・研修機構の調査では、50代後半の2割が昇進欲求を持っているという結果が出ています。
それなのに、会社からはセカンドキャリアを見つけろとプレッシャーをかけられる。でも、ずっと会社の肩書で生きてきたので、今更どうしたらいいのか分からない。プランBが無い状態です。リストラ候補にならないためには、群集の中で息を潜めているのが最善策になってしまう。目立たず、害にもならないようにしようという心理が働いてしまうのです。「会社にしがみついている」などと言われていても、当事者には葛藤がある状況でしょう。

依存こそ人間の強み

日経新聞夕刊連載「人間発見」、熊谷晋一郎・東京大学准教授の「気軽に依存しあう社会に」から。

第1回(8月8日
私とはいったい何者なのか。生きづらさを和らげる解は自分自身の探求にあるのではないか。生まれてすぐ脳性まひを患い、障害を持ちながら小児科医に。東大で「当事者研究」という学術分野を切り開いた。

1977年生まれで、「障害とは何か」という思想の大転換を経験した世代です。
かつて障害とは障害者自身の問題であり、訓練や治療で社会適応を目指すべきだと考えられていました。60年代以降の障害者運動や81年の国際障害者年を機に、障害とは多数派である健常者向けに最適化された社会環境と、少数派の障害者とのミスマッチで生じる不利益だとの考えが広まりました。障害とは体の「中」に存在するのではなく、「外」の環境によって発生するということです。

第4回(8月12日
自身の抱える問題を観察し、説明する当事者研究は、もともと北海道浦河町にある社会福祉法人「浦河べてるの家」で01年に始まったものです。幻覚や妄想を持つ精神疾患の当事者が、支援者や仲間にサポートされながら生み出した「自分助け」の方法です。
研究に決定的な発見をもたらしたのは、薬物依存症からの回復支援施設「ダルク女性ハウス」との出会いでした。アルコールや薬物といった物質に依存するのは、裏を返すと、心に傷を負って人間不信になり、他人に頼れない状態のなかで生き延びるためだと気付かされました。近代の社会は自立や自己決定を善としますが、ヒトという種は元来1人では生きられず、依存しあってギリギリ生命を保ってきたのです。
依存は人間のお家芸であり、強みです。愚痴ったり、できないことを手伝ってもらったりするのが当たり前の姿です。自立とは依存先を増やすことだ――。目からうろこでした。

「自己責任」かざした自分が弱者に

8月1日の朝日新聞「元首相銃撃 いま問われるもの」、中島岳志さんへのインタビュー「「生きづらさ」の原因求め、誰かを敵視」から。

――生きづらさを抱えている人たちのために必要な政策は何ですか。
一つは「リスクを社会化」していくこと。セーフティーネットを強化して、所得の再配分機能を高めることも必要です。もう一つは「社会的包摂」。孤立している人を社会のなかに包み込んでいくことです。
ただ、政策論だけではやはり限界があります。人間観を根本的に見直さないといけないのではないかと思っています。山上容疑者を含め、いまの僕たちは、自己責任という呪いのような人間観にとらわれていると考えるからです。

――どうしたらいいのでしょう。
山上容疑者のものとみられるツイートには、こうあります。「何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」。彼にも愛されたい気持ちがきっとあった。でも、弱さはマイナスの価値であると思いこみ、助けを求められなかったのでしょう。
まず弱さを認めること。誰かを頼っていいし、泣きついてもいい。自分の弱さを受け入れるところから、人と人との連帯の可能性が生まれてくると思います。