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社会

社会の仕組みの相互補完性

変化によって形と関係はつくられる」の続きにもなります。相互補完性と題名に書きましたが、相互連関性でもあります。

生物は単独で進化するのではなく、競争相手や環境との相互作用で進化していきます。そして複雑な生態系をつくっています。
奄美諸島で、毒蛇ハブを駆除するためにマングースを放ちました。しかし、マングースはハブではなく、アマミノクロウサギなど島在来の希少種を襲ったのです。もしハブが駆除されたら、今度はハブを天敵としていた小動物が増加して、その影響が出るのでしょうね。動物同士の関係も、簡単なものではありません。

それと同様に、社会環境や社会の仕組みも、複雑に絡み合ってできています。スイッチを一つ押すと一つ電灯がつくようなものではなく、一つボタンを押すといろんなところに波及します。
ここでは、子育てを巡る最近の変化と対応を取り上げましょう。
つい最近まで、働く女性が子どもを持つと、会社を辞めることを余儀なくされていました。働きに出るには、保育園が必要です。保育園が足らなくなって、増やしました。保育園を増やすと、働く女性が増えて、さらに保育園が足らなくなりました。病気の子どもを預かってくれる病児保育も必要でした。でも、保育園を造っただけでは、親が働きに出るには不十分です。
父親も子育てすることが「常識」になりました。町にある公衆トイレ、男性用にもおむつを替える台や、幼児を座らせる席も増やさなければなりません。乳母車が円滑に通れるような通路やエレベーターも。エレベーターが混んでいる場合には、周囲の人が譲る気風も必要です。
父親も育休を取ることができるように、勤務先に求めています。残業が当たり前の職場では、父親も母親も子育てができません。「子どもが熱を出した」と保育園から電話がかかってきたら、早退しなければなりません。それを認める職場である必要があるのです。
施設や制度だけでなく、父親、職場、社会の意識を変える必要があります。まだまだありますが、これだけも関連しているのです(もっと良い事例があるでしょうが、今日はこれしか浮かばないので)。

2020年2月に新型コロナウイルスが拡大したとき、政府は感染拡大防止のために、一斉休校を打ち出しました。その唐突さが問題を生じさせました。首相がその方針を表明したのは木曜日の夕方で、休校は翌月曜日からでした。保育園や学校、学童保育が休みになると、働いているお父さんとお母さんのどちらかが、仕事を休んで面倒を見ることになります。それぞれ、月曜日の仕事の予定が入っていたでしょう。そのような影響を考えなかったのです。

機械は人を楽にしない2

機械は人を楽にしない」の続きです。
有名な経済学者であるケインズは1930年の小論「Economic Possibilities for our Grandchildren」(孫たちの経済的可能性)で、経済問題は100年以内に解決する。1日3時間労働や週15時間労働で暮らせるようになると書いています。原文はなかなか難解で、直截にはそのようには書かれていません。

I draw the conclusion that, assuming no important wars and no important increase in population, the economic problem may be solved, or be at least within sight of solution, within a hundred years. This means that the economic problem is not—if we look into the future—the permanent problem of the human race.

For many ages to come the old Adam will be so strong in us that everybody will need to do some work if he is to be contented. We shall do more things for ourselves than is usual with the rich to-day, only too glad to have small duties and tasks and routines. But beyond this, we shall endeavour to spread the bread thin on the butter—to make what work there is still to be done to be as widely shared as possible. Three-hour shifts or a fifteen-hour week may put off the problem for a great while. For three hours a day is quite enough to satisfy the old Adam in most of us!

100年近く経ちましたが、ケインズの予言は当たらなかったようです。
機械化で、一つの作業に要する時間は減ったのでしょう。しかし、減った時間を埋めるような需要が生まれたのです。「需要を生んだ」という方が適切でしょう。
科学技術と産業の競争は、機械化による労働の短縮とともに、他方で新しいものやサービスを生みます。それらは、人の欲望を刺激します。
それは、人の暮らしをより忙しくしたようです。そして、「もっと働け」と鞭を入れるようです。1980年代のバブル経済期に、豊かになったのに、「24時間働けますか」と長時間労働をあおる栄養剤の宣伝がありました。

これまでにないものや他人が持っていないものを、手に入れようとします。それらは、あれば便利なものだけでなく、なくても日常生活に困らないものもたくさんあります。他方で、他人より金持ちになろうという欲望もあります。
どこかで「足るを知る」には、ならないのでしょうか。
ケインズは、この文章の前で、人間のニーズ(欲求)を2種類に分け、自分で感じる絶対的ニーズと、他人との比較で感じる相対的ニーズに分けています。しかし、前者の水準も上がっていきます。

企業にあっては、競争にさらされていますから、ある時点で立ち止まることは許されないのでしょう。競争にさらされない、伝統的なお菓子とかを除いて。
私たち消費者は、どうでしょうか。「なくてもすむもの」を買わずに暮らす。そのための経費は減るので、短時間労働で暮らす。といった暮らし方が広まることはないのでしょうか。より豊かになりたいという欲望がある限り、難しいですかね。
肝冷斎が憧れる隠遁生活は、現代社会では不可能でしょうか。

魅力のない東京駅

テレビで世界の鉄道や駅を旅する番組があります。例えば「NHKヨーロッパ発 駅ロマン」。中には、立派な駅があります。建物が立派なだけでなく、広々として、開放的な空間があります。新しくなった広島駅の路面電車乗り場もきれいなようです。
それに対して、東京駅です。丸の内側の正面外観は風格があります。もっとも、これを見るのはニュースくらいで、多くの人はこれを見ずに駅の中を移動します。

では、構内はどうなっているか。みなさんは、どのような印象を持ちますか。私は、混雑した通路としか思えません。
利用客は、当初の想定をはるかに上回っているのでしょう。人とぶつからずに歩くのが難しいくらいです。しかも、不案内な旅行客や、大きな荷物を持った客も多いです。
広い空間や高い天井の空間はありません。せいぜい、丸の内側の北と南の入り口、六角形の場所くらいでしょうか。あとは、低い天井の通路だけです。待合場所も狭いです。
絵になる場所、写真を撮りたい場所がないのです。

そして、やたらと売店が並んでいます。駅というより、商店街です。鉄道会社が業績を上げるために、できる限り店を入れているのでしょう。
その意図はわからなくはありませんが、「公共空間」「出会いの場」といった価値は忘れられています。駅には美術館も作られていますが、ちぐはぐです。あるいは、言い訳でしょうか。
新幹線は快適な乗り心地や時間の正確性を誇り、特急列車も外観に力を入れているようです。しかし、駅に関しては、通路・通過点と商店街でしかないようです。

このような公共空間の素晴らしさは、広さと高さ、意匠などにあります。それは無駄かもしれません。しかし、魅力とはそのようなものでしょう。東京駅には、それを期待できません。
駅は、出会いや別れの場です。でも、映画の撮影には、使われないでしょうね。利用した人は、国の内外を問わず、東京駅に特別な印象や記憶を持つことはないでしょう。残念なことです。

本音は排外的でない日本人

9月28日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、大竹文雄教授の「外国人受け入れ」から。

・・・今年7月の参院選では外国人労働者の受け入れに慎重で、規制強化を掲げた政党が票を伸ばした。海外では以前から反移民の政党が支持を高め、日本でも外国人労働者の扱いが主要争点になりつつある。
アフリカと国内4都市の交流を促す国際協力機構(JICA)の「アフリカ・ホームタウン事業」は、反対や懸念の声が多く上がり撤回された。
背景には、1990年に1%未満だった日本の外国人の人口比率が昨年は約3%に達し、10%を超える市区町村もあるという急速な日本社会の変化がある。
製造業、介護、物流、農業など人手不足の現場で多くの外国人が働き、地域経済に活力を与える一方で、急激な変化に不安を覚える人々も少なくない。
ただ、経済学の実証研究では、外国人労働者が自国の労働者の雇用や賃金に深刻な悪影響を与えることは観察されていない・・・

・・・・大阪大の五十嵐彰准教授らは、市区町村単位のデータから、外国人比率が上昇すると排外感情が強まるが、10%を超えると逆に寛容さが増える傾向があることを見つけた。接触が日常化すると脅威感が和らぎ、共生意識が高まる可能性を示唆している。
五十嵐氏の著書「可視化される差別」は、外国人差別の実態を多角的に解明した。労働市場や住宅市場、シェアエコノミーについて調査し、同一条件で応募しても外国人名だと不利に扱われることが確認された。
外国人への職務質問を日本人が正当化する背景に、外国人犯罪率を実際より過大に認識していることがあると示した。「差別はなぜ悪いのか」との問いに五十嵐氏は、賃金や教育水準の低下、健康悪化、他者への信頼喪失などの不利益を定量的に示した。

とりわけ興味深いのは、社会規範と人々の態度のズレを明らかにした点だ。回答者への直接質問と匿名性の高い質問の結果を比較したところ、日本では直接質問の方が排外的な回答が多く、匿名性を担保すると寛容な回答が増えたという。海外とは逆のパターンだ。
これは「本音は排外的でない人が、排外的であるべきだという“社会規範”に合わせて回答している可能性」を示している。排外的な発言が目立つ環境が、排外的意見が多数派だと人々に誤認させ、態度表明をゆがめている恐れがある。
これは多元的無知と呼ばれる現象に近い。「周囲は外国人に否定的だ」と人々が思い込み、自分も“社会規範”に従う。結果的に排外的意見が多数派のように見え、社会全体が実際以上に排外的に映る悪循環が生じているかもしれない・・・

機械は人を楽にしない

人類は、仕事を楽にしようと、道具や機械を作り改良してきました。電気は灯りをともし、自動車は人を運んでくれます。パソコンのワープロソフトと印刷機は、手書きより早く、きれいな活字で文章を印刷してくれます。インターネットは世界中とつながり、情報を集めてくれます。電子メールや携帯電話は、遠くの人と話をしたり、文章のやりとりができます。

では、これで、私たちは楽になったのでしょうか。
電灯が普及するまでは、日が暮れたら寝ていたのでしょう。電灯が普及して、人は夜遅くまで活動するようになり、させられるようになりました。
携帯電話の普及は、いつでもどこでも遠くの相手と話ができ、文章のやりとりができるようになりました。それは、いつでもどこでも、相手から呼び出しを受けることにもなりました。休日でも、夜間でもです。ひっきりなしに送られてくる電子メールは勉強や仕事が中断し、すぐに返事しないと気を悪くする相手もいます。
映画やテレビの時代は、視聴時間と場所が限られていました。ビデオや動画配信が普及して、いつでもどこでも見ることができるようになりました。好きな人は、睡眠時間を削ります。勉強や仕事の時間を削る人もいます。

便利になることと、楽な暮らしが実現することとは、別のことのようです。この項続く。