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社会

医学が発達したときに直面する「人間とは何か」

4月19日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、山崎正和さんの「科学技術万能論」から。
・・・だが一方、現代の言論界には、正反対の未来論も台頭していて、こちらも無視できない影響力を見せているようである。名づければ「科学技術万能論」、科学の急速な進歩が人類の無限に近い繁栄を保障するという主張だが、現に相当の雄弁さでマスコミをも巻き込んでいる・・・
・・・新理論の中心人物にレイ・カールワイルという著者がいて、その代表作が『ポスト・ヒューマン誕生』という題で邦訳され、すでにかなりの増刷を重ねている・・20世紀後半以来、遺伝学、ナノ技術、ロボット工学が爆発的な発展を遂げ、進歩の速度から見て2040年ごろには文明に革命をもたらし、人間そのものを改造するだろうというのである・・
・・自信満々の著者だが、興味深いことに最後にきて、自分の立場について一抹の不安を漏らすのである。巻末に近い注のような一節で、彼は「なぜ自分が特定の人間かわからない」と告白する・・
人間を「操作する対象」「管理する対象」とすると、操作の主体であるべき自己が、居場所を失います。誰が主体で、誰が客体なのか。詳しくは原文をお読みください。

長い歴史と広い世界から、日本の発展を位置づける。2

岩波書店のPR誌『図書』2015年4月号川北稔先生の「近代世界システムと幻の耕地」の続きです。近代の成長をイギリスとアメリカが摘み取ったと同様に、東アジア台頭の成果を中国が摘み取るという見方に続いて、次のように書いておられます。
・・・近代システムの本質などということを気にせず、近代と、近代のあとにくるかもしれない世界―それどころか、近代以前の世界も―が、ほとんど同じような性格のものだと無意識に仮定しがちな歴史観からすれば、そのようにもいえるかもしれない・・・
まさにこの点です。日本は、19世紀後半から20世紀にかけて、めざましい成長を遂げました。しかしそれは、西欧が切り開いた近代工業システムという枠組み(パラダイム)においてです。「追いつけ追い越せ」というスローガンは、その限界を示しています。日本が、イギリスやアメリカがつくった経済・社会・政治の構造に代わるものを、提示したのではありません。
では、現時点で成長著しく、東アジア台頭の成果を摘み取るとして、中国さらには東アジアは、西欧がつくった近代工業システムに代わるもの、あるいはそれを越えるものを提示しているでしょうか。17世紀までの中国・中華文明は、西欧文明に対峙するだけのものを持っていました。しかし、21世紀の中国、日本、そして東アジアは、西欧近代文明に代わる「新しい文明」を、提示していないようです。
先生の主張は、原文をお読みください。川北稔先生は、ウォーラーステインの近代世界システムを日本に紹介したことで有名です。その視点からの分析です。ところで、先生は、私の高校の大先輩です。

長い歴史と広い世界から、日本の発展を位置づける

岩波書店のPR誌『図書』2015年4月号に、川北稔先生が、「近代世界システムと幻の耕地―歴史学のいま」第2回を書いておられます。
・・・「脱亜入欧」などというスローガンを掲げ、アジアのなかで、日本だけは別物と見ていた歴史が長いために、私たちは、いまだに一体としての「東アジア」史というものを実感しかねている。しかし、明治維新から中国の開放路線、高度成長までを一連の歴史として巨視的に眺めれば、明治以降の日本の台頭は、東アジア台頭の「はじまり」にすぎなかったことがわかる。
とすると、スペインやポルトガルやオランダが始めた対外進出と経済成長を伴う「西ヨーロッパの台頭」で、最後にイギリスやアメリカがその成果を摘み取ったように、いまや中国が東アジア台頭の成果を摘み取ろうとしていることになるのだろうか・・
歴史家が見ると、このような見方ができるのですね。確かに、私たち日本人は、「日本は特殊である」とか「日本人はすぐれている」という言説に浸りたがります。もっとも、これは日本だけではないでしょう。イギリス人だって、アメリカ人だって、中国人だって、程度の差はあれ同様でしょう。その国が隆盛を極めているときは、そう思いがちです。また、他国に比べ劣っていると感じた場合は、別の分野で「他国よりすぐれている分野」を探します。
明治維新が19世紀後半、日露戦争が20世紀初頭、中国の改革開放が20世紀末、中国の台頭が20世紀初頭です。他方、スペインやポルトガルが新航路を開発し、新世界を「略奪」して栄えたのは16世紀から、オランダの隆盛は16~17世紀、イギリスの隆盛は18~19世紀、アメリカの時代は20世紀。その間、5世紀あります。他方、日本の明治維新から中国の隆盛は、2世紀の間にも満ちません。このような世紀をまたぐ時間と、世界地図の観点から見ると、日本は東アジア台頭の先駆けであり、最後の到達点・果実は中国が得るとも見えます(この項続く)。

わかりやすいフランス現代思想史

岡本裕一朗著『フランス現代思想史』(2015年、中公新書)に、挑戦しました。2か月も前のことです(すぐに読み終えたのですが、このページに書くのが遅くなりました)。構造主義、ポスト構造主義、ラカン、バルト、フーコー、デリダ・・・。かつて、手にとっては、投げ出していました。新書版で紹介してもらえるなら、読めると思い、取っ組んでみました。読み通すことができました。
冒頭、「ソーカル事件」が紹介されています。
・・今日、フランス現代思想史を書こうとするとき、避けて通れない問題がある。いわゆる「ソーカル事件」と呼ばれるもので、ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルがしかけたイタズラだ。1995年に、ソーカルは「著名なフランスやアメリカの知識人たちが書いた、物理学や数学についてのばかばかしいが残念ながら本物の引用を詰め込んだパロディ論文」を作成し、現代思想系の『ソーシャル・テクスト』誌に投稿した。ところが、このインチキ論文は、何と掲載されてしまったのである・・
・・引用された文献の多くが、フランスの現代思想家たちの文章だったからである。今まで、フランス現代思想は「難解」だからこそ崇拝されてきたのに、実際にはむしろ、「ばかげた文章とあからさまに意味をなさない表現に満ちている」わかったのだ・・
これで、安心しました。私が理解できなくても、頭が悪かったのではないようです。翻訳が悪いのでもないようです。
著者は、勇気がありますね。大学教授には、自分が欧米で勉強したことを日本に輸入し、いかにそれが良いものかを売る「崇拝者」であり、「輸入代理店」の方もおられます。このように、客観的な評価を紹介した上で、解説と評価を述べるのですから。ソーカル事件は以前聞いて知っていましたが、このようにフランス現代思想史の解説書の1ページ目に出てくると、それが与えた影響や位置づけがわかります。
フランス現代思想のように、難しいことを新書版で紹介することは、とても難しいことです。よほどの理解者でないとできません。しかし、私たち素人には、入門書として、また概要を知るためにはありがたい手段です。「私も、フランス現代思想に手こずった」という方や、「なにか高尚なものだと思っていたけど、読めなかった」という方には、お薦めです。

中世と近代との違い、ものの認識、2

司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」の続きです。p99。日露戦争後のポーツマス条約について。
・・ロシアからもっとふんだくれるかと思っていた群衆が、意外ととりぶんのすくない講和条約に激昂して暴動化した。
「群衆」
これも近代の産物である。江戸期の一揆は、飢えとか重税とか、形而下的なものでおこった。
ところが、明治38年に、ポーツマス条約に反対した「群衆」は、国家的利己主義という多分に「観念的」なもので大興奮を発した。日本はじまって以来の異質さといっていい。中世では個々の人間が激情に支配されたが、近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、どういうわけか集団になった時に爆発する。中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい・・・