紀田順一郎著『蔵書一代』(2017年、松籟社)を読みました。このホームページでも、何度か、増えた蔵書に困っている話、その先達の話を紹介しました。
紀田さんの場合は、3万冊です。さぞや、悲しかったことと想像します。去年、100冊整理しただけで騒いでいる私は、比較も出来ません。私の場合は、蔵書家、愛書家ではなく、ただ単に「捨てられない」だけです。
しかし、本書は、想像していた内容とは、少し違います。序章と第1章は、蔵書を整理し別れる話なのですが、第2章からは、日本の戦前戦後の古本や蔵書家から見た「世相史」なのです。
なぜ円本が売れたか、その後売れなくなったか。和書の盛衰。日本文学全集、世界文学全集などの全集ものの盛衰。さらに、日本文学の盛衰。蔵書家の変化など。
古書の流通から見た、日本社会史であり、社会の分析です。
戦前戦後の庶民や大衆が、どのように活字文化を消費したか。多くの全集や百科事典は、お客に見せる「調度品」だったことも多いでしょう。そのような「使用例」も含めて、大衆文化の一面を表しています。
歴史書は、政治や経済の出来事、それも中央政治を中心に記述しますが、他方で大衆の文化はなおざりにされがちです。
「思想」についてもです。ヨーロッパの哲学や思想は輸入され、研究者が本を書きますが、それを消費するのはごく一部の国民です。大衆は、それとは違った世界で生きています。
それは、書物だけでなく、映画、スポーツ、芸能、娯楽、飲食、旅行なども同じです。
日本の大衆文化研究は、欧米の研究より一段下とみられているのでしょうか。それとも、外国の学問を輸入する方が、日本の社会を分析するより労力が少なくてすむからでしょうか。
目次をつけておきます。
序章 “永訣の朝”
第1章 文化的変容と個人蔵書の受難
第2章 日本人の蔵書志向
第3章 蔵書を守った人々
第4章 蔵書維持の困難性