「身の回りのこと」カテゴリーアーカイブ

少し古本を処分5

少し古本を処分4」の続きです。果てしないような作業で、苦しみつつ続けています。と書きながら、楽しんでいます(苦笑)。先週末も3箱を知人に預け、3箱分を捨てました。
この記事を読んだある人が、厳しい意見を送ってきました。「『明るい公務員講座』には、書類を貯めずに整理せよと書いておきながら、書いた本人は整理が悪いではないか」「言行不一致か」とです。

書類も本も大方は整理はされているのですが、捨てることができないのです。図書館だって、めったに見ない本も保存してあります。私の書斎は、私設図書館なのです。もっとも、床に積み上がった本の山は、何がどこにあるかわからず「図書館」とは言えません。そして、多分二度とみることがない本をなぜ取っておくのか。問われると答えられません。
かつて作った資料や雑誌に寄稿した記事なども、困りものです。例えてみれば、写真とそのアルバムですね。記念に取ってあっても、ほぼ見ることはありません。かといって捨てられず・・・。
我ながら、諦めの悪い奴です。書斎の棚、床、階段脇、寝室の壁沿いという空間が満杯になって、ようようあきらめたということです。

あわせて、職場に置いてある資料や本を、整理しました。原稿を書くためのものと、学者さんたちに経験を話すための過去の資料です。これらも、捨てるものと自宅に送るものに分けました。「自宅に送るもの」が難題です。それを受け入れる空間を作らなければなりません。これまで整理した成果で、本棚がいくつか空きました。これで、収納できそうです。

電子書類は、もっとたちが悪いでしょうね。場所を取らない、他人から見えないのです。紙の書類が貯まると、机が狭くなり、上司から指導が入るでしょう。「山積みされた資料、下の方は化石になっている」と表現していたのですが、電子データはこの例えが使えません。
ところが、職場では異動の際に持っていかないかぎり、電子データは消えます。いくつかの職場では、個人の保存データ総量に限界をつけたり(意図的に少なくする)、2年以上開かないファイルは強制的に削除したりして、保存データが増えないような工夫をしているようです。共有フォルダーは、担当者が定期的に削除しているのでしょうね。
他方で、自宅のパソコンは定期的に整理と削除をしないと、とんでもないことになりますよ。でも、本と違って、肉体労働をしなくても、「削除」のボタン一つで消えてしまいます。

偉大な発明、雑巾

書斎の本を片付けているときに、世話になっているのが、雑巾です。乾いた雑巾とぬらして固く絞った雑巾です。

階段に腰掛けて、前に古本の山積み、それを分類します。長く本棚に置いてあった本は、ほこりをかぶっています。立ててある本は天が汚れ、平積みした本は表紙などが汚れています。重ねて置いてある本も、露出した部分だけ汚れています。知人に引き取ってもらう本や本棚に戻す本は、ほこりと汚れを落とします。

その際に、二種類の雑巾が役に立つのです。まずは乾いた雑巾でほこりを取ります。その次に、固く絞った雑巾で表紙などの汚れを拭きます。天や小口についたほこりは払えるのですが、汚れは取れませんね。きれいにならない本は、捨てます。

乾いた雑巾でほこりが払われるのは、理解できます。でも、なぜ濡れた雑巾で、本や棚にこびりついた汚れを拭い取ることができるのか。こぼした水を乾いた雑巾で拭けば、水を吸い取ることも理解できます。ぬれ雑巾と汚れとの間に、どのような作用が働いているのでしょうか。
濡れた雑巾を発明した人は、偉大です。

少し古本を処分4

少し古本を処分3」の続きです。その後も、休日に作業をしています。少しずつしか進みません。本棚を見渡すと、一番手が届く棚に、半封筒に入った書類が、紙のファイルボックスに入って並んでいます。これを整理しました。

大きく分けて3つのものが並んでいます。
その1は、過去の大学での講義資料。またお呼びがかかるかもと思い、残してありました。当時は、レジュメも資料も印刷して紙で配っていたのです。その原紙と、講義ノートが貯まっています。これは、考えることなく捨てました。元資料は、パソコンの中に保管してあります。これも不要なのですが、電子書類は場所を取らないので、そのままにしてあります。
貧乏性なので、裏白の紙は再利用することに。その際に思いましたが、紙も少なくなりましたが、閉じるためのステープラー(ホッチキス)も見なくなりましたね。

その2は、勉強のためや執筆のために書き散らかしたメモや、取ってあった資料です。見ると、こんなことも考えていたなあ、同じことを書いていると、感慨にふけります。それらも、ほぼ捨てました。
その3は、連載した記事、連載している原稿です。これは、残しておきましょう。
このほかに、省庁改革本部、再チャレンジ政策担当、総理秘書官、大震災対応の仕事に関する資料が、職場と自宅に段ボール箱に入って残っています。これは、学者先生に私の経験を話す機会をもらっているので、それに合わせて整理しています。

本は知人に4箱を引き取ってもらい、別の友人に1袋分を贈呈。3箱ほどを捨てました。書類を捨てたこととあわせて、本棚に空間ができました。
床の山がかなり減ったので、次の「攻撃対象」は、一番上の棚にある新書と文庫。その次は、一番下の棚にある学生時代などに買った法学と政治学の専門書です。近年は、触ったこともありません。というか、その前に本の山があって、近づけませんでした。

少し古本を処分3

少し古本を処分2」の続きです。いつものように、笑い話として読んでください。

その後も、ぼつぼつと作業を続けています。「少し古本を処分1」の後、毎週末にがんばって、さらに3箱+3箱を知人に送り、3箱+1箱を捨てました。
休日は、孫の相手のほか、朝は原稿の執筆、午後は本棚の整理です。なかなか腰が上がらないのです。本を捨てる悲しみと、部屋が広くなる喜びとが交錯しています。

最初の頃に比べて、作業が遅くなり、本棚に戻す本が増えてきました。床の山を先に片付けているのですが、これは近年買った本なので、まだ捨てる気になりません。本棚の手が届かないところには、古い本が並んでいて、たぶん迷うことなく捨てることができるはずです。しかし、床の山を片付けないと、脚立をおけないのです。次回は、その辺りを狙いましょう。
「分け入っても分け入っても本の山」(種田山頭火ならぬ山頭水にしておきましょうか)。暑い日には、水のシャワーを浴びて作業をしているので。

全体計画からするとまだ1割くらいですが、それでも成果は出ています。
・本棚に空きができた
・書斎の床が広がった
・階段の壁沿いに積んであった本はなくなった

そこで、机の上の山を、少し本棚に移しました。「書斎と椅子」に書いた、作り付けの机(天板)です。パソコンの前が少し広くなりました。
もっとも、まだ右側に8山、左側に7山あります。一山は10数冊で低いのですが、これを崩さないと、机が全面的には使えません。全部とは言いませんが、半分くらいは空けたいです。
パソコン用の椅子と読書用の椅子を、二つ並べてあります(こだわりの椅子)。まだ、読書用の椅子は使えない状態です。せっかく買った椅子なのに。

少し古本を処分2

少し古本を処分」の続きです。
本を分別する際に表紙を見ると、「こんな本も読んだんだ」「見つからなかった本が、こんなところにあったんだ」という本が見つかります。なるべく考えないようにするのですが、思い出がわいてきます。その思いを断ち切り、どんどん捨てます。気になる本は、悩まずにひとまず棚に戻しました。知的作業でなく肉体労働にすることが、コツですね。

政治や経済の時事評論もの、官僚ものなどが、たくさん出てきました。これらは誰も読まないでしょうから、悩まずに捨てることができました。その時々には、時代を理解するために読んだのですが、それら多くはすぐに時代遅れになっています。「過去と同時代を分析できても、未来は読めない」と、あらためて思います。
寄稿した雑誌や私が取り上げられた雑誌なども、思い切って捨てました。古い写真や近鉄バッファローズの会員証などが、紙袋に入って出てきました。これはどうしますかね。

一番古いのは、たぶん『倭の五王』(1968年、岩波新書)です。高校時代に、今はない奈良市の駸々堂(餅飯殿通りが三条通にぶつかるところ)で買いました。大学時代に古本で買った専門書にはもっと古いのもありますが、それは除いて。
若い頃は、買った日と読み終えた日を、本の奥付に書き込んでいました。それを見て驚くのは、新書は1日か数日のうちに読み終えています。気力と体力があったのですね。また、集中できる時間もあったということです。知らないことばかりで、いろんな本を読む度に、知的興奮を感じていました。

これで、何センチ床が上がったかな(苦笑)。
ある人から、「空いた棚は、すぐに埋まってしまうのでは」と質問が来ました。まずは床に積み上がった本を、棚に並べたいのです。で、すぐに埋まります。肝冷斎は「すぐに元の木阿弥」になると笑っています。
「どれくらいお金をつぎ込んだのですか」との質問も。かなりの金額ですが、見当もつきません。昔は安かったですよね。もっとも物価や収入も低かったです。でも、1冊2千円として、1000冊で2百万円です。使った飲み代に比べれば、安いものですね。

若いときはお金がなくて、好きなだけ本を買えませんでした。だからこそ、買った本はしっかり読みました。収入が増えて(原稿料が入って)本が買えるようになってから、買ったのに読み終えてない本が増えました。
「これで、全体の何割くらい整理できたのですか」という質問も。目分量で1割でしょうか。それを考えると、嫌になります。