カテゴリー別アーカイブ: 私の読んだ本

「私の読んだ本」という表題ですが、いま書いているのは蔵書の整理です。本の内容については、手が及んでいません。

(蔵書の引っ越し)
2006年春に、実家から蔵書を引き取りました。その顛末記です。なお、進行中。

読書案内

月刊『ジャーナリズム』(朝日新聞社)2014年9月号は、「特集 時代を読み解く珠玉の200冊」です。紹介しようと思いつつ、読み終えてないので、放ってありました。いつものことです(反省)。
ジャーナリストや学者が選んだ、お薦めの本です。18人が10冊ずつ、6人が3冊ずつ選んでおられます。
専門家や先達の読書案内は、役に立ちます。本屋で手に取った時に、「まあいいか」と思った本でも、紹介文によって、「この本は、こう読むのか」と、参考になります。既に読んだ本は、「私も読みましたよ」と満足し、買ってあったけど読んでない本も、読もうという気にさせてくれます。
そして読みたくなった本は、紀伊國屋に買いに行ったり、アマゾンで中古の本を注文しては、読み切れずにたまっていくのです・・。
ところで一つ注文を。本の紹介にする際に、著者名、書名、出版元とともに、発行年は重要な要素だと思うのですが。この冊子では、それぞれの本の紹介に、その出版年が添えられていないのです。

文庫本の巻末の解説

岩波書店のPR誌『図書』8月号p32、斎藤美奈子さんの「文庫解説を読む」から。
・・文庫本の巻末についている「解説」はなんのためにあるのだろう。
岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫/1992)の「あとがき」には、こんな文章がある。
本書の文庫化に際し、〈わたしがいちばん危惧したのは、それにいわゆる「解説」というものが付けられてしまうのではないかということであった〉。単行本から数年もたたずに文庫本化された本の解説は〈著者への追従か、著者と解説者のあいだの仲間意識の再確認か、さらには解説者自身の小さな自我の発揚かのいずれか〉であり、優れた作品でも、解説のせいで〈現世的な世界に引きずり込まれ、書物が書物としてもっているべき自律性を失ってしまうことになる〉・・
・・古典的書物の解説に求められる要素は、大きく次の3つほどと考えられる。
①テキストの書誌、著者の略歴、本が書かれた時代背景などの「基礎情報」。
②本の特徴、要点、魅力などを述べた読書の指針になる「アシスト情報」。
③以上を踏まえたうえで、その本をいま読む意義を述べた「効能情報」。
①はともかく、問題は②③である。難解すぎて「解説の解説が必要だ」のレベルだったり、「今日もなお本書の意義は失われていない」で終わりだったり・・

講談社現代新書、50年

講談社現代新書が、創刊50年だそうです。講談社のPR誌『本』で、その特集を組んでいます。
私も、高校生の頃からお世話になりました。岩波新書、中公新書に次いで、この新書を知りました。本棚にたくさん、あのクリーム色の表紙(前の装丁です)が並んでいます。最初は「軽いなあ」というのが感想でした。でも、それが持ち味なのですよね。それぞれの新書(出版社)で「文化」「社風」が違って、特徴があります。
講談社現代新書は、もちろん岩波新書を意識して作られました。そのほか、この特集を読むと、いろいろと創刊当時のいきさつが書いてあります。
戦前にあった岩波文化に対抗した講談社文化を生かしたこと。当時、講談社が落ち込んでいて元気がなかったこと。社内で反対が強く「講談社新書」と名乗ることができずに「現代」が入ったことなど。
岩波新書や中公新書とは違う路線を歩んだことは、正解でしたね。最近はいろんな会社が新書を出していて、本屋で目当ての本を探すのも大変です。

蔵書の苦しみ、2

蔵書が増え、家にあふれる原因を考えました。主な原因は、次の通りです。
1 本を買うだけのお金が、そこそこある。
お金がなければ、本は増えません。学生時代は欲しい本がたくさんありましたが、財布と相談して、あきらめていました。社会人になって、ある程度は、本を買うだけの余裕が出ました。
「そこそこある」というのは、大金持ちだったら、広い書庫を造るでしょう。すると蔵書は増えても、悩みは増えません。
2 家に、少しスペースがある。
置く場所がないと、蔵書は増えません。学生時代の下宿では、限界があります。しかし、持ち家であれ賃貸であれ、家ができると、蔵書は増えます。
最初は本棚。しかしすぐに満杯になり、机の周りに平積みされます。次は、布団の周囲、さらに階段の片側と。これが、本が空間を浸食していく、お定まりのコースでしょう。
これまた、広大なお屋敷に住んでいたら、悩む必要はありません。
3 買った本を読まない。
実は、これが一番の原因です。買った本を読むという習慣があれば、その本を読み終えない限り、次の本を買いません。しかし、いろんな本を同時に読んでいるという言い訳の下、買った本を読まずに次の本を買うから、こんなに増えるのです。
「買った洋服を着ない」「タンスの肥やし」という表現がありますが、同じようなものでしょう。
4 本を捨てられない。
そして、これが、とどめです。どんどん増える片方で、同じだけ捨てれば、増えないはずです。でも、捨てられないのですよね・・。

蔵書の苦しみ、3

「蔵書の苦しみ、2」(8月14日)に、読者から反応がありました。「次のような趣旨を、5に加えてください」とのことです。
5 図書館の本を、利用できないこと。電子書籍を、使いこなせないこと。
ご指摘の通り。ただしこの指摘は、3に通じるところがあります。読むために本を買っているのではない、買って溜めることに喜びを見いだしているということです(反省の色なし!)。表題の通り、「読書の苦しみ」ではなく、「蔵書の苦しみ」なのです。