カテゴリーアーカイブ:私の読んだ本

思い出の本、原書講読

2012年12月8日   岡本全勝

大学3年生の時(1975年)に、政治学の岡義達先生のゼミに入れてもらいました。春学期は英語の本を読んで、分担して発表し、秋学期はそれぞれ論文(というほどでもないのでレポート)を書いて発表しました。

原書は、Enid Welsford著『The Fool: His Social and Literary History』(1935年、London)、道化の歴史について書かれたものです。先生からコピーを渡され、300ページを越える英文を、辞書を片手に格闘しました。毎週月曜日に、要約を(日本語で)原稿用紙に書いて提出し、翌日のゼミで先生の朱が入って返ってきます。毎週土曜と日曜は、半泣きになりながら徹夜状態でした。
1935年のケンブリッジ大学の英語は、内容が古今東西の道化の歴史でもあり、フランス語とラテン語がやたらと出てきます。漢文がふんだんに引用される日本の古い本を想像してください。フランス語は第2外国語だったので、まだ何となくわかります。ラテン語は仕方がないので、羅和辞典を買って、前後の文章から類推しました。
20歳の時の思い出です。そのときに使ったコピーの本は、粗末な紙に印刷されたものですが、捨てるに忍びなく、まだ持っています。
1979年には、内藤健二さんの翻訳が、晶文社から出版されました。著者のウエルズフォードさんが、女性だということを、そこで知りました。

この夏に、ふと思い立って、アマゾン(イギリス)で検索してみたら、古本がいくつか出ていました。1980年代に増し刷りされたものでも、結構高い値段がついています。その中に、「書き込みがあるが、それほど高くない」ものがありました。注文したら、1週間ほどで届きました。
便利なものですね。ロンドンで古本屋を探し回って見つけるといったことは、しなかったでしょう。それが、日本にいて、インターネットで楽々できるのです。支払いもクレジットカードですし。
届いた本は、さすがに古色蒼然としています。1935年の初版本なので、80年近く前の本です。表紙裏に、インクで署名があります。なんとそれが著者の署名で、「Feb.6 1956」と添えてあります。縁あって、東京まで来たのです。
暇になったらこつこつと読んでみようかと、本棚に飾ってあります。いつのことやら。「思い出の本、その2。岡先生「政治」」に続く。

中公新書50年

2012年10月28日   岡本全勝

今日、本屋で、『中公新書 総解説目録』(非売品)をもらってきました。たくさん積んでありました。
創刊以来、今年で50年になるそうです。書目は2,189点です。私も高校生の時以来、岩波新書、講談社現代新書とともに、結構お世話になりました。かつては、半透明のビニールのカバーが付いていましたよね。
2009年に『中公新書の森―2000点のヴィリジアン』(非売品)をもらいましたが、これは目録と言うより、識者によるアンケートでした。今度の総解説目録は、品切れのものも含めて、解説付きで載っています。ぱらぱらとめくると、昔読んだ本が並んでいて、懐かしいです。たくさん、品切れになっています。というか、新書という性格なのに何十年も売れ続けている方が、すばらしいことでしょう。

冒頭に、加藤秀俊先生が「創刊のころ」を書いておられます。そこに、中公新書の末尾(奥付の次のページ)に付いている「刊行のことば」(ついてないものもあります)は、加藤先生が32歳の時に書かれた文章だということが、「種明かし」されています。「1冊あたり1円の印税」と提案したけれども、買い切りの原稿料になったと、書いておられます。
・・1冊につき1円というあの冗談が実現していたら、私はかなりの資産家になっていたにちがいない。でも、そんなことはどうでもよい。こうして50年をこえて、なおじぶんの書いた文章が数々の名著の末尾にかかげられていることこそ、わたしにあたえられた最高の報酬だと思っている・・

本の片付け、その後

2007年8月18日   岡本全勝

また、書類整理=書類や雑誌捨てをしています。そういえば、昨年夏に、実家から本を引き取り、書斎の棚に並べました。あれから1年が経つなあと、思い出しました。早いものです。
久しぶりに、本棚を見渡してみました。縦に5段、横に6つあるので、合計30区画になります。そのうち、よく使っているのは、次の通り。
1 書類整理棚(原稿や講義の資料、封筒に入れてファイルボックスに整理。これが一区画で満杯になっています)1つ。
2 原稿執筆用の本や、読もうとしている本の棚、2つ。
3 拙著や拙稿の切り抜き(これも、原稿などに利用するので)、1棚。
4 辞書類の棚(といっても、他の本が並んでいる前に並べてある)、1つ。
5 コピー用紙などを置いてある棚(これはよく使いますね)、1つ。
6 文房具が並んでいる棚、1つ。
こうしてみると、使っている棚は7つ、しかも、本棚として使っているのは、少しです。あとは、物置です。残りの本棚は、ほとんど触ることがありません。時々、捜し物をするくらいですね。そして、本は並べたものの、整理は進んでいません。
読みかけの本や買ってきた本は、例によってテーブルの上に、積ん読になってます。読み終えた本は、本棚に空きがないので、床の上に平積みになってます。
息子が大学に進んだので、法律関係の本を少しずつ、引き取ってもらっています。少し空きができるのではないかと、密かに期待しています。ところが、今春に大学を卒業した娘が、読んだ本を私の書斎に「捨てに」来るのです。上には上がいます。

本棚への収納

2006年9月24日   岡本全勝

連休に分類した本を、まず4箱送ってもらいました。一つの棚に、30~40冊並びます。棚は奥行きが30cmあるので、前と奥に2冊並べることができます。これで2倍入ります。もっとも、後ろに並べた本は見えません。
次に、棚の高さは動かせるのですが、ひとまずそのままにすると、本の上に空間ができます。ここにも本を寝かせておくと、もう30~40冊入ります。こうなると、後ろに並べた本を取り出すのは、かなり難しくなります。しかもここまで載せると、棚板の中央が、本の重みで少したわんでいるように見えます。そんなことを言っておられないので、まずは並べる。何せ、あと20数箱来るんですから。空間を確保するために、ここでも泣く泣く「もう読むことはないだろう」という本を捨てる。
政治関係、歴史関係、文化人類学関係などなど、ひとまず大括りで放り込んでいます。並べると、「こんな本も買ったよな」というのが出てきます。最悪は、同じ本が2冊。とほほ。(5月14日)

娘が、「××に関する歴史の本、うちにある?」と尋ねました。「あるよ」と、本棚からいくつか選んで渡したあと、そうだと思い出しました。そして、古本屋に持って行く予定で廊下に積んであった本の山から、何冊か引き抜きました。うーん、悩ましいところです。(5月21日)

実家で整理した本を、連休明けから毎週、4箱ずつ3回にわたって届けてもらいました。棚に置いてあるよけいなものを片付けて空間を作り、順次並べています。せっかく送ってもらったのですが、入れる場所がないので、捨てる決心がつきます。自分の優柔不断さを嘆きつつ。2回目までは並べることができたのですが、3回目の分はこれから考えます。まだ、実家には、これ以上の分量が残っています。28日の日経新聞は、「古い本を捨てられない。蔵書整理の処方せん」を書いていました。「中高年男性の10人に1人は本の置き場に困っている」。(5月28日)

お盆休みの方も、多いと思います。私も、今日から夏休みを取ってます。原稿を一つ書き上げたので、昨日は書類の整理。書斎のテーブルに積み上げていた資料や新聞切り抜きを、たくさん捨てました。気を許すと、あっという間に増殖します。引き続き、今日は本の整理。5月に送ってもらったままになっていた4箱を、棚に並べました。汗だくです。(8月14日)

半年ほど前に、ある本に引用されていた、高橋哲雄著「二つの大聖堂のある町」 を探していました。ちくま学芸文庫なので、かつては、ちょっとした本屋には並んでいました。ところが、いざ探すと、どこに行っても見あたりません。インターネットで検索したら、品切れになっていたのです。「だから、気になったときには買っておかなけりゃ」と反省。先日、本を整理したら、ひょっこりと出てきました。うーん、買ってあったのだ。1990年代に、「読みたい」と思って買っては、読まずに放ってあった本がたくさんあることに気がつきました。ジョージ・オーウェルの評論とかも、出てきて。休み中なので、ゆっくりと読むことができます。すると、本の整理は進まず、他の仕事も進まず。だけど、これがお休みなのですよね。(8月18、19日)

昨日は、先週に引き続き、実家から本を送ってもらい、蔵書の整理。ひとまず、すべてを棚に並べ終えて、一段落。弟に報告したら、「まだ、倉庫に4箱残っていた」。ということで、ぬか喜びでした。でも、先は見えました。同時に、全部は並ばないということも。(9月17日)
実家からの蔵書の引き取りは、先週で完了。もっとも、すべてを本棚には収容できず、床に積み上がっています。それでも、一区切り着きました。これから、ぼちぼち並び替えます。

残す・残さない

2006年5月4日   岡本全勝

預けてあった本を、分類しながら考えました。それぞれに思い出のある本ですし、金を出したのですから、捨てるのはもったいない。かといって、とても収納できない。何を基準に捨てるか。世の中の読書家や蔵書家が、同じような悩みを書いておられたのを思い出します。その人たちに比べれば、私の分量はたいしたことはありません。
極端に言えば、これまで預けてあったのだから、なくても困らないのです。しかし、そこまでは割り切れませんでした。次の基準は、「これから見ることのない本は、まず捨てよう」です。もっとも、これも「ひょっとしたら見るかもしれない」という思いがかすめて、基準になりません。より具体的に基準を引かなければなりません。
次の基準は、「時代と社会・制度が変わって新しい本が出ているものは捨てる」です。これなら、ある程度捨てることができます。法律学経済学の教科書のたぐいは、これで処分。自然科学も、次々新しくなっているので、この際捨てる。
次に、同時代のルポルタージュは、「時代遅れ」になってます。その時は勉強になったのですが。自民党政権・官僚もの・中国ソ連分析・経済ものなど。歴史を振り返るには意味があるのですが、もう一度読み返すことはないでしょう。ただし、政治学行政学は私の専攻なので、「もういいや」というもの以外は残す。
文化人類学・世相ものは、悩みました。梅棹忠夫・加藤秀俊先生を代表とする京都大学人文研の先生方の本、松田道雄・清水幾太郎さんの本など、いくつかを残し処分。世相史として価値はあるのですがね。山本七平さんを代表とする日本人論も、いくつかを残しこの際処分。世界の民族学、ルポも思い切って処分。
小説は少ししか持っていないのですが(私の関心はノンフィクションなので)、2度と読まないだろうから捨てる。エッセイや寝る前に布団の中で読んだような軽いものは、今後も次々買うだろうから捨てる。指導者論・中国古典に学ぶのたぐいは、残す。新書はどうして良いか悩み、一部を捨ててひとまず東京へ送り、あとで整理する。これは問題の先送り。
こうして振り返ると、いろんな分野を読んできました。手を広げすぎ、良く言えば、いろんな学問分野に興味を持ったということですね。でも、それがあったからこそ、今の自分があるのだと思います。特に私の専攻からいうと、社会の中で行政を位置づける・考えるためには、これが必要だったのでしょう。