「私の読んだ本」カテゴリーアーカイブ

「私の読んだ本」という表題ですが、いま書いているのは蔵書の整理です。本の内容については、手が及んでいません。

(蔵書の引っ越し)
2006年春に、実家から蔵書を引き取りました。その顛末記です。なお、進行中。

絶景本棚

本の雑誌編集部編『絶景本棚』(2018年、本の雑誌社)が、面白いです(もっと良い表現があれば良いのですが。私の語彙不足です)。
34人の愛書家、蔵書家の本棚の写真集です。トップバッターは、松原隆一郎先生のらせん階段です。私も見学させてもらいました。

まあ、すごいとしか言いようがありません。それぞれ量が膨大であることだけでなく、きちんと整理された本棚から、足の踏み場もない書斎まで。
私も、この方々とは比べようがないですが、6畳の書斎は作り付けの本棚からはとうの昔にあふれ、床に山積みになっています。それもどんどん増殖して、パソコンにたどり着くには、本の山々の間にある、けもの道をたどるような状態です。
で、この方々の書庫と書斎を見て、反省するやら安心するやら。

安くないアマゾン?

本を買う時、アマゾンを重宝しています。
古本を探す時に、古本屋に行かなくても、パソコンで探すことができます。書名を正確に覚えていなくても、だいたい探し当てることができます。しかも、安い順に並んでいます。そして、自宅まで郵送してくれます。これは便利ですわ。

新刊本でも、高価な本になると、アマゾンで調べてみます。中古が出ていると、安いのでそちらを選びます。
ところが、新刊本で定価より高い場合があるのです。先日、近くの本屋になかったので、アマゾンで買いました。中古がなかったので、新刊本です。ところが、届いた本の定価をみて、??? 本に書かれている定価より、アマゾンの価格の方が高かったのです。
アマゾンで別の本を探していて、わかりました。「カスタマーレビュー

読書のサーフィン

ひょんなことから、高田康成著『キケローヨーロッパの知的伝統』(1999年、岩波新書)を読みました。なぜこの本を読もうとしたのか、もう忘れたのですが(反省。別の本に紹介されていたのでしょう)。キケロは、長年気になっていたのです。彼の人生と言うより、中世から近世まで、ヨーロッパの教養としてその雄弁術が引き継がれたことについてです。
次に、吉村忠典著『古代ローマ帝国―その支配の実像』(1997年、岩波新書)を読みました。古代ローマ帝国の時代の話は、興味があるとともに、現代日本とは時空が離れているので、お気楽に読めるのですよね。寝転がってです。

さらに本棚にあった、石川明人著『キリスト教と戦争ー愛と平和を説きつつ戦う論理』(2016年、中公新書)を読みました。連想ゲームのようにです。
へえ、と思うことが多いです。特に、『キリスト教と戦争』では、初期キリスト教が、私たちがイメージしているような、絶対平和主義・非暴力主義とは異なっていたこと。後のキリスト教徒も、異教徒や他教派を迫害し、戦争や植民地支配を行って勢力を拡大したこと。
愛と平和を説きつつ、イスラム教徒と激しい戦いを続け、新大陸では原住民を虐待し、黒人を奴隷にする。組織的かつ大量にです(もっともこの本には、そのあたりはあまり取り上げていません)。異教徒である私には、理解しがたいことも多いです。この本は、現代日本のキリスト教団の「平和主義」についても、冷静に批判しています。

キリスト教の成立については、かつて読んだ、佐藤研著『聖書時代史新約篇』(2003年、岩波現代文庫)と、山我哲雄著『聖書時代史旧約篇』(2003年、岩波現代文庫)が、勉強になりました。というか、刮目でした。イエスは生きているときに、キリスト教をつくったのではないことなどです。今、彼が再度復活してキリスト教会を見たら、びっくりするでしょうね。中世に復活したら、もっとびっくりでしょう。
私の場合は、宗教・信仰としてではなく、歴史として読んでいます。

小説の読み方

池澤夏樹著『世界文学を読みほどくースタンダールからピンチョンまで(増補版)』(2017年、新潮社)を読みました。この200年の世界の小説10本を、池澤さんが解説します。京都大学での講義を、文章にしたものです。名前は知っている本のほかに、聞いたこともない本も並んでいます。不勉強を恥じます。

私は、小説は読みません。というか、ほかに読みたい本がたくさんあって、とても手が回りません。それに、小説より現実世界の方が奇々怪々で、緊張し想像力を働かせなければならない舞台なので、「間に合っている」のです(苦笑)。司馬遼太郎さんや塩野七生さんは好きですが、小説として読んでいるより、事実を基にしたものの見方として勉強しています。学生の頃は、「赤と黒」や「罪と罰」なども読みましたが、どこまで理解できたやら。

この本を読んで、「なるほどそのように読むのか」と勉強になりました。近代小説って難しいことが分かりました。で、やはり、原著は読まないでしょうね。
当分の間は、読むより書くことに追われます。そして、買って積んである本をどうするかと、書斎と寝室にあふれている本を処分することを考えなければなりません。

書斎の整理

連休中にしたことに、衣替えのほかに、書斎の整理があります。遂に決心して、読んだ本の処分を始めました。近くにブックオフがあるので、近年読んだ本で、もう読まないであろう本を持っていきました。
11年前に家を建てて、書斎を造りました。壁の2面を作り付けの本棚にしたのですが、収容しきれず、実家に預けてあった本を引き取った際に、かなりの量を捨てました
しかし、その後も増殖を続けて、書斎の床と寝室の壁際に山になっているのです。毎週、少なくとも隔週のように本屋に行って、3~5冊買うと、年間100冊から200冊程度は増えます。頂き物の本も多く、10年で1,000冊から2,000冊ですね。そのうち読んだ本は・・・。
「いつかは捨てる決心しなければ」と思いつつ、先送りしてきました。それぞれに思い出があって、往生際が悪いのです。誰か興味のある人にあげれば、喜んでもらえるのでしょうが。

天気も良く、遂に着手。積んである山の上の方から、紙袋に入れました。表紙を見ると、それぞれに思いはありますが、それはこの際「捨て」ましょう。中には、「こんな本も読んだんだ」というような本も。まあ、寝る前に布団の中で呼んだ「軽い本」は、そんなものでしょう。

店員さんが、本の裏のバーコードを読み取ります。もらった明細書には、本の名前と買い取り価格が印刷されています。便利なものですね。3往復して、合計98冊。バーコードのついていない本は持ち込まなかったので、すべて引き取ってもらえました。
引き取り価格は、合計で6,120円。1冊あたり60円あまりです。新書や文庫類は、50円から5円です。高かったのは、500円。それぞれ昨年出た本で、定価3,780円と2,916円の本です。古書市場での価格を反映したものなのでしょう。私の思い出や、著者の労力に関係なく、機械的に評価されます。

書物や情報というものの性質を、よく表しています。
私にとって、私の血となり肉となったものは、定価以上の価値があります。寝る前の娯楽として読んだ本、特に読んだことも忘れているような本は、定価通りの価値なのでしょう。しかし、二度と読むこともなく積んである本は、邪魔なだけです。本棚に並べて背表紙を見て、いろいろ思い出すことがあれば、それなりの価値はあるのでしょうが。そして、古書市場での商品価値は、ブックオフがつけてくれたとおりです。

100冊近く捨てたのですが、本の山はほとんど低くならず。引き続き格闘する必要があります。