カテゴリー別アーカイブ: 私の読んだ本

「私の読んだ本」という表題ですが、いま書いているのは蔵書の整理です。本の内容については、手が及んでいません。

(蔵書の引っ越し)
2006年春に、実家から蔵書を引き取りました。その顛末記です。なお、進行中。

映画「ブックセラーズ」

映画「ブックセラーズ」を見てきました。アメリカ・ニューヨークを中心とした、古本業界と古書収集家の話です。(ウィキペディア宣伝動画
知らない世界を見ることは、楽しいですね。扱っている古書は稀覯本なので、単なる本好きの私とは違う世界ですが。本好きの方には、お勧めです。

ずらりと並んだ革張りの古書、いかにも古そうな本。よくここまで集めたなあという、書棚や書庫。この後、それらの本をどのように片付けるのか、心配になります。それについての、本人たちの言及もあります。
一風変わった人たち(失礼)が、たくさん登場します。世の中には、本好きがたくさんいます。
アメリカでも、本離れ、インターネットによる販売、電子書籍の普及が、古書店の経営を脅かしています。ニューヨークでも、たくさんの本屋が廃業しています。高年齢の関係者は先行きに悲観的ですが、若い人は楽観的です。期待したいです。

私は映画は見ないのですが、新聞の紹介で、面白そうなので行きました。東京はコロナ対策で連休中は映画館が閉館し、再開したので見ることができました。

本を読む人と読まない人の分化

12月12日の朝日新聞オピニオン欄「読書離れと言うけれど」、井上慎平さん(NewsPicksパブリッシング編集長)の発言から。

・・・いま30~40代のビジネスパーソンでは、「本を読む人」と「読まない人」との分化が進んでいます。ビジネス競争の激しさのなかで、「論理的思考」を少し学んだところで出世なんてできないし、そもそも変化が早すぎて何が正解か分からない。シンプルなスキルを扱ったビジネス本は売れづらくなったと感じます。
象徴的なのは、外資系金融のトレーダー。国際政治に精通している方も多かったのですが、コンピューターによる自動的な取引が主流になると実務の上で教養の重要性が下がった。経済的なステータスと教養的なステータスが乖離してしまったと感じます。

かつては、無条件に「教養はいいものだ」という思想がありました。立派なビジネスパーソンなら古代中国の歴史ぐらい知っていないと恥ずかしい、という空気感です。それが「何の役にも立たないものを読むのは、むしろ頭が悪い」というような、実用主義ともいえる風潮に変わった。
勝間和代さんの「年収10倍アップ勉強法」がヒットした十数年前が実用主義ブームのピークだったでしょうか。ただ、スキルを磨く努力をすればキャリアアップできる「希望ある時代」の終焉と共に、ブームも落ち着きました。

そして、いま。読む人と読まない人の分化が進む中、例えばユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」といった骨太な書籍は好調です。未来が見えなくなるほど大局観を求め、歴史や人文知へのニーズが高まる。読者は断定的な正解を求めるより「どんな経済や社会が良いのか」という価値観のレベルまで踏み込んで考え始めています・・・

内海健くん、大佛次郎賞受賞

12月15日の朝日新聞が、内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(河出書房新社)が第47回大佛次郎賞に決まったことを、大きく伝えていました。この本は、このホームページでも紹介しました。うれしいですね、友人が大きな賞をもらうのは。

・・・数学の得意な理系少年だった。高校時代は奈良市に暮らしたが、入学してほどなく生徒会が職員室を占拠、ストに入ったという。まだ政治の季節だった。三島が楯(たて)の会を率いて陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地に立てこもったのは、その年の11月である。「時代錯誤的だという感覚は持ったと思いますが、馬鹿げたことだという風に受け取ることはできませんでした」・・・

そうなんです。奈良女子大学附属高校は、そんなところでした。内海くんはバレーボール部、私はサッカー部と生徒会活動でした。彼は医者なので、時々わからないことがあると聞きますが、まだ彼の患者にはなったことがありません。

池内紀さんの本の世界

朝日新聞ウエッブサイト「論座」に、松本裕喜さんの「「歩き」「読み」「書いた」人――池内紀さんの本の世界」(10月12日配信)が載っていました。読み応えがあります。読書家には、お勧めです。
私も池内さんの愛好家の一人です。もっとも、そんなにたくさん読んだわけではありませんが。このホームページでは、『消えた国 追われた人々―東プロシアの旅』や『ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか』を紹介しました。
ドイツを中心とした紀行文も、いろいろと読みました。先の2冊は内容の重い本ですが、紀行は寝ながら気楽に読める本です。先生の軽妙な文体と、最後にオチがある文章は、私は好きです。まだ、これから先に読もうと、いくつか本棚に取ってあります。

松本さんの記事に触発されて、『ゲーテさんこんばんは』と『カント先生の散歩』を買って読みました。出版されたときに、本屋で手に取ったのですが、興味がわかなくて、買いませんでした。
「池内さんは、「書きながら何度となく呟いた――こんなに楽しく、おかしな人が、どうして文豪ゲーテなどと、重々しいだけの人物にされてしまったのだろう?」(あとがき)という」「好奇心旺盛で、話好き、人間的魅力に富んだ人としてカントを描く。カントは東プロシアのケーニヒスベルクで生まれ、一生そこに住んだ。主著『純粋理性批判』はイギリス商人グリーンとの対話を通じて生まれたという。この貿易商の客間で、「思索が大好きな二人が、形而上的言葉をチェスの駒のように配置して知的ゲームに熱中した」。おおかたの哲学書はそのようにして生まれたと池内さんは指摘する」

ゲーテもカントも取っつきにくい人だと思っていましたが、その人間性がよくわかりました。ファウストは学生時代に読んだのですが、あらすじを追うのが精一杯でした。余裕ができたら、池内訳で挑戦しましょう。

鹿島茂先生、書棚の風景を売り物にする

9月17日の日経新聞夕刊「こころの玉手箱」鹿島茂さんの「ブックエンド」から。鹿島茂先生については、このホームページで、古書集めのすごさを紹介したことがあります。
先生が集めた、フランスの古書。とんでもないお金がかかった成果ですが、それを並べた書斎が、レンタル・スタジオとして家賃を稼いでいるそうです。確かに、日本で洋書が並んだ書棚はそうはないでしょうから、売れるでしょうね。
松原隆一郎先生の書庫を見せてもらって、うらやましく思ったことがあります。

ところで、書棚で、気になることを思い出しました。
一つは、先日開所した、東日本大震災・原子力災害伝承館です。導入の映画の背景に、書物が並んだ書棚が写ります。それが、すべて洋書なのです。なぜ、福島の紹介に洋書なのですかね。
ちなみに、そのあと背景は変わり、言葉が並びます。それもすべて英語です。見学に来た子どもたちは、どう思うでしょうか。この映画を作った人たちは、誰を観客に想定して作ったのでしょうか。次回見直しの際には、日本語、それも子どもにもわかる言葉にしてください。

もう一つ、自民党総裁室の総裁の後ろの書棚です。これも、整然とした背表紙が並んでいます。整然としすぎて、この本は何なのだろうかと、疑問に思います。