(東西の農村風景の差)
こちらは、変化の少ない風景だ。たぶん、これは千年近く続いた景色だろう。日本も農村では、つい40年前まで、2000年間にわたって「弥生式風景」が続いていた。田んぼとわらぶき屋根の農家である。それが、急速に変化した。西ヨーロッパと日本は、同じように、農業が主体の時代から産業革命を経て、さらにはIT革命の時代に入っている。どうして、一方は景観が残り、もう一方は急激な変化をしたのか。以前から、気になっていた。私が考えた結論は、次の通り。
1 生産力の差
麦畑・牧場と水田とでは、単位面積当たりの収穫カロリーが違う。牧場に至っては、一度植物を育ててから、それを飼料にして牛や豚を育てる。効率は悪い。水田の方が、たくさんの人間を養える。だから、日本は狭い面積に、大勢の人間が住んでいる。
欧州でも日本でも、農業時代は千年から2千年の長きにわたって続いた。その間に、それぞれ秩序ある風景を作った。産業革命以降、経済発展を始めると、農業の生産性を上げる他は、それ以外の産業を入れなければならない。面積当たりの人口が多い日本は、必然的に、工場やその他の建物が混み合ってくる。
今でも、可住地面積当たりの人口は、日本の方がはるかに大きい。彼らは日本の新幹線に乗って、「どこまで行っても家が続いている」「街が続いていて、東京と思っているうちに京都に着いた」と驚く。ヨーロッパでは、街と街との間は離れていて、その間に農地がある。
2 洋風化
日本はさらに、近代化とともに洋風化を受け入れた。生活の様式としては西洋化であり、アメリカ化である。台所や風呂から始まって、トイレ。畳の部屋から洋室へ、屋根の瓦もガラス窓も、今までのものも残しつつ、新しいものを取り入れた。いわば雑居状態。
その際に、木造家屋は建て替えてしまった。また、技術の進歩というか、選択肢が広がって、いろんな素材・形・色の家が建った。それ自体は進歩であり住みやすくなったので、批判することではない。向こうは、昔ながらの家で不便の中で暮らしている。しかし、日本は秩序の美はなくなった。
これに比べ、ヨーロッパは近代化とアメリカ化はしたが、洋風化はしていない。
3 石造り
そして日本は、家を建て替えることに金をつぎ込んだ。その際に、公共空間、例えば電線類地中化などにまで、手が回らなかった。
これは、今後とも続くであろう。向こうは、煉瓦や石造りの建物の骨格と外観はそのままで、内部を造り替える。こっちは、基礎から立て替える。こっちはフローの文明、あっちはストックの文明というのは、矢野暢元京大教授の卓見である(「フロ-の文明・ストックの文明 」)。伊勢神宮の遷宮を、日本人のきれい好きとほめる人もいる。それを否定はしないが、あっちに比べ金がかかる。
「鉄筋コンクリート造りは大丈夫だろう」という人がいるが、これはなお、たちが悪い。まず、50年前にできた鉄筋コンクリート造りの家に、今も住んでいる日本人はほとんどいない。この結果が物語っている。何かを変えない限り、50年後も同じことを言っているだろう。次に、最近のコンクリートは50年もつと思えない。劣化が激しいらしい。
4 農業国
なぜ、フランスやイギリス、ドイツで、きれいな農村風景が残っているか。もう一つの理由は、彼らは農業国だ。
(イギリスへ)
しばらくして、トンネルに入る。ドーバー海峡をトンネルで抜け、2時間ほどで、イギリス側のアッシュフォード駅に到着。ただし、フランスとイギリスとで1時間の時差があるので、時計の上では1時間。ここからロンドンまでは、あと1時間かかるとのこと。
アッシュフォード駅は、アッシュフォード・インターナショナル駅と表示してある。これまでは内陸部の駅だったのが、突然、国境の駅になった。
バスで移動し、カンタベリー寺院を見てから、訪問先のシェップウエイ区へ行く。
(市民税増税騒動?)
区(ディストリクト)は、日本の市町村に当たる。シェップウエイは、ドーバー海峡に面した保養地。人口約9万人。ここは、2年前にカウンシルタックス(日本での固定資産税。イギリスの町ではこれが唯一の市税)を39%引き上げようとしたが、国からストップがかかり最終的には19%引き上げた。その状況を聞く。
まずは、「どうして一時に、それだけもの増税が必要になったか」という問をする。それまではサービスを抑えていた。選挙が終わってから、一時に上げた、との答え。最初は39%を考えたが政府に反対され、29%に変更したがそれも否定され19%になった。
次の問は「住民は反対しなかったのか」。答は、反対はなかった、サービスが上がるのなら良いとのことだった。金額にしてそんなに大きな額でない、とのこと。
さらにいくつか質問するが、「政治的に複雑だ」「説明するのは難しい」との答が返ってくる。当時与党だった党が分裂したほどだから、いろいろあるのだろう。
フォークストンとあるのは、シェップウエイの中心の町です。
(議長職)
議長が、何人かの議員と職員とで応対してくれる。市長職は1972年に止めて、今は議長が首長を兼ねている。もっとも、市役所は与党リーダーを中心に、議院内閣制を取っている。ちなみに議長は、議員を39年務めたとのこと。既に年金生活者で、議長職に年間5000ポンド=100万円支給される。議会は年に9回。1回の所用は3時間程度。夕方に開く。この点については、拙著「新地方自治入門」p338参照。
ここでも、長時間のお相手をしていただいた。議長は、市民税増税より、街の自慢を聞いて欲しいらしい。保養地であること、そのために海岸を整備していること。さらには、昔ながらのケーブルカーが動いていることなど。老人夫婦がたくさん散歩している。その人たちを目当てにしたアパート(日本でいうマンション)も、増えているらしい。
下の駅から上を見る。左のかごが上に上がっている。右にも、もう一つケーブルがあったが、廃止された。
(古いものを大事に)
このケーブルカーは、一見の価値、試乗の価値があった。ドーバー海峡の崖の上の街と、下の海岸とを結んでいる。その間50メートル、高低差30メートル。1885年製。鋼鉄製のロープの両端にかごがあり、一方が上がると他方が下がる。ここまでは、どこにでもあるケーブルカーと同じ。
上から見たところ。客室の下に水を入れている。
違うのはその動力。かごの下にタンクがあって、そこに水をためる。かごが上の駅に着くと、係員がレバーを倒して水道から水を入れる。上のかごAに水がたまると、重みでかごAが下がる。下に着くと、水を捨てる。すると軽くなる。今度は、上に着いたかごBに水を入れ、そちらBが下がってくる。上下のかごの人数差=重量差がわからなくても、必要量だけ水が入るとかごは下りる。優れもの。もちろん、ブレーキがあって、突然下りたり、激突したりはしない。水は循環して使っている。パンフレットには One of the oldest water balanced cliff lifts in England opened 1885 と書いてある。
ローテクも良いところ。産業遺産並みだ。「日本だったらどうだ?」とのある議員の問に、「日本だったら、とっくの昔に電気モーターに替えたでしょう」と私は答えた。「そうだよな」。
終了後、バスでロンドンへ移動。約2時間でロンドン着。今日も、大使から説明を受ける。