カテゴリーアーカイブ:人生の達人

オンライン会議の有効性

2022年12月1日   岡本全勝

コロナ禍で在宅勤務が広がり、オンラインでの会議も増えました。
私は、役所の仕事の多くは在宅勤務では能率が上がらず、職員の不安や悩みに答えることができないと考えています。なにより、新採職員や異動してきたばかりの職員の教育はできないと思います。
もちろん、出社しなくてもできる業務はあります。統計表の作成などは、どこにいてもできるでしょう。ただし、業務の進め方が分かっている職員や、困ったときに相談できる職員でないと、うまくいかないでしょう。

もう一つ、オンライン会議の有効性を再確認しました。財団の理事会など、遠くの人との会議です。
集まっての会議では、参加者の日程調整や会議室の確保など手間がかかりました。オンライン会議はお互いに便利ですね。そこまで出かけていく必要がないのですから。地方から東京に来るのは、1日仕事です。オンライン会議なら、その時間帯だけ空けておけばよいのです。そして、このような会議は、事前に資料を送ってもらい、疑問点を確認しておけば、しゃんしゃんと終わります。
かつては、参加者にそのような経験がなく、通信環境や機材も整っていませんでした。いまはそれも普及して、簡単につなぐことができるようになりました。

電子メールが普及し、電話しなくても情報のやりとりができるようになったときの便利さを思い出します。

文系の発想、理系の発想

2022年11月30日   岡本全勝

実用の学と説明の学」の続きです。自らの反省でもあります。
私が大学で習った法学は、実定法の解釈学です。実際の事案に現行法令に当てはめて結論を出します。どの条文に当てはまるかです。ところが現実には、法律が想定していない事態が起きます。その場合も、なんとかして現行法令に当てはめることができないか、いろいろと屁理屈を考えるのです。
「法律に書いていないことが起きた場合は、新しい法律をつくる」という発想がありませんでした。立法学は学ばなかったのです。法律を変えずに解釈で切り抜ける代表例は、憲法9条でしょう。

「実用の学と説明の学」で、社会学の多くは分析にとどまっていて提言が少ないこと、「批評の学」にとどまって「実用の学」になっていないと批判しましたが、法学も政治学も解釈と批評にとどまっていると、同じことが言えます。

かつて「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」という発言を紹介したことがあります。「過去の分析と未来の創造と:官僚の限界

公務員が新しい事態に直面して、「法律に書いていません」「予算がありません」「前例がありません」と発言するのは、「新しいことに関わるのは面倒くさい」という性癖とともに、このような解釈学思考に染まっているからかもしれません。行政には「過去との対話」でなく「未来との対話」が重要なのです。「過去との対話と未来との対話

知識を得ることと知識を得る技を身に付けることと

2022年11月27日   岡本全勝

学校では知識を学びます。国語、算数、理科、社会・・・。社会を生きていくために必要な知識です。もう一つ重要なのは、それを通じて、知識を得る技を身につけることとです。分からないことが出てきたときに、何を調べたらよいか、誰に聞いたらよいかという知識です。前者が事実を身につけることであり、後者は技術を身につけることです。前者は蓄積という量であるのに対し、後者は方法であり姿勢です。
「要領がよい」というのが、その技術を身に付けたことを表します。これは、必ずしも教科の知識が多いこととは比例しません。もっとも、要領を身に付けると、教科の知識も効率的に身につきます。

学校と同様に、職場でもこれは当てはまります。
与えられた職務を執行するに必要な知識を得るとともに、これまでにない事態が生じたり、新しい仕事を考える、さらには昇進するための技です。前者は職務手順書(マニュアル)に書かれています。それさえ理解できれば、仕事は片付きます。後者は、手順書には書かれておらず、自分で身につけていかなければなりません。
仕事をしていると、手順書に書かれていない新しい事態が起きます。それに対処する際に、経験の差、要領のよい人とそうでない人の違い、仕事ができる人とできない人の差が出ます。

学校の教科書は前者であり、拙著「明るい公務員講座」3部作は後者を目指しました。

備える危機の3種類

2022年11月26日   岡本全勝

災害をはじめとして、組織にはさまざまな危機が起きます。それらに、どのように備えるか。3つに分けて考えると、わかりやすいです。

その1は、経験したことがある危機です。人は一度経験すると、二度目は上手に対応できます。組織も同じですが、時間が経つと経験者がいなくなるので、その経験をどのように引き継ぐかが課題となります。

その2は、同業他社が経験した危機です。その際の対応が役に立ちます。というか「私たちには初めての経験なので・・」という言い訳は通用しません。その1の危機もその2の危機も、手順書やそれを基にした訓練が、いざというときに効果を発揮します。

その3は、まだ誰も経験したことのない危機です。いろいろと想定をしておきますが、未曾有の危機では想定外のことが起きます。その際にどれだけ想像力を働かすことができるか。ここに、力量が現れます。

二つの「正解」

2022年11月24日   岡本全勝

自然科学における正解と、私たちの仕事における正解とは異なることを、拙著『明るい公務員講座』第1章で説明しました。
自然科学における問題の答は、一つに決まります。1+1=2であって、3は間違いです。それは、誰が見ても判断できる、客観的なものです。

他方で、私たちの仕事の多くは、正解が一つではありません。例えばある課題に対して対策組織をつくる場合、どれくらいの人数を集め、誰を責任者として、どのような人を配置するのか。一つの正解があるわけではありません。いくつかの案を作って、利害得失を考えてその中からよいだろうと思われる案を選びます。優秀な職員を配置すればよいのですが、引き抜かれた組織が困ります。「絶対正しい」という案はないのです。どこかで、折り合いをつけなければなりません。
職員が、市長の挨拶文案を作成する場合、これは正解で他は間違いということはありません。盛り込まなければならない要素が入っているかどうかは客観的に判定できますが、季節の挨拶を入れるのか、文体はどうするのか、長さはどの程度かは唯一の正解はありません。そして、職員と課長が「これがよい」と思っても、市長が「だめ」といえば、採用されません。

東日本大震災で判断に迷った際に、どのように決断したか。何が正解だったかを聞かれることがあります。前例のない事案で判断に迷うことはありましたが、二者択一やこれが正解で他は間違いというような問題はほとんどありませんでした。
「支援物資が輸送拠点であふれてしまった」とか「棺桶が足らない」という問題は、正解が一つではなく、また二者択一でもありません。正解は「どのようにして切り抜けるか」です。
まずは解決方法を探さなければなりません。考えられる案が一つで大きな副作用がないなら、迷うことなくそれを採用するでしょう。
解決方法がない場合が困るのです。その場合の正解は、「知恵を出してくれそうな人を探し、意見を聞くこと」です。私一人がいくら悩んでも、答は見つかりません。
できる限り広く意見を聞く。そしていくつかの案が出たら、それらの利害得失を判断する。その際も、関係者の意見を聞く。そして判断します。そこに私の力量が試されます。全員が納得すればよいですが、そうでない場合に決断があります。その判断基準は、「後世の人の批判に耐えうるか。説明できるか」「閻魔様の前で説明できるかどうか」です。
続き「迷ったときの判断基準、2つ