カテゴリー別アーカイブ: 明るい課長講座

生き様-明るい課長講座

人は「意味」を食べて生きる存在。山口周さん

11月13日の日経新聞オピニオン欄「ポスト平成の会社像は」。山口周さんの発言から。

・・・コンビニエンスストアを見回すと、役に立つ文房具が少なく、役に立たないタバコが豊富だ。これが今の経済の姿を映している。日本は得意だったはずの「役に立つ」という分野で負け組に転じた。情緒が不要で、「役に立つ」代表だった半導体チップはインテルの総取りになってしまった。これからは「役に立たない」ことでお金を稼ぐ方向にシフトする必要がある。
ビジネスは問題の設定と解決。昭和は不満、不便、不安だらけで、問題を設定する必要がなかった。トップが宿題を出し、それをミドルが解決していく構造だった。しかし問題が外から与えられない豊かな時代は違う。問題を解決する人こそ余ってしまう・・・

・・・日本の大学は実学志向を強めているが、米国で実学に力を入れているのは大学院だけ。ハーバードやスタンフォードなど海外の大学はむしろリベラルアーツを強化している。つまり教養だ。アジェンダシェイプにはリベラルアーツが大事になるということだ・・・

次のような発言も。
・・・リーダーの再定義も欠かせない。「年長者に向かって反論できる心理的な抵抗の度合い」についてオランダの心理学者が「権力格差指標」をつくった。この指標とイノベーションには相関関係があると思う。日本は欧米に比べ権力格差指標が高く、イノベーションランキングは低い。リーダーは権力で支配するタイプではなく、地位と関係なく、他者に奉仕するサーバントリーダーが求められる。

日本には「意味」も足りない。広告代理店に勤務していたころ、働く意欲を失う社員を多く見た。無意味な商品を出すことに嫌気がさすのが理由だった。人は「意味」を食べて生きる存在だ。北海道の炭鉱労働は過酷だったが、精神を病む人は出てこなかったという。エネルギー産業の中心に身を置く炭鉱マンは自負と意味に満ちていた・・・

コンプライアンス対策の弊害

11月13日の日経新聞「私見卓見」、弁護士の増田英次さん、「「正しいことをする」を人事評価に」から。

・・・門企業の不正やスポーツ界での不祥事が絶えない。日本もコンプライアンス(法令順守)に極めて厳しい社会になっているにもかかわらず、なぜこのようなことが続くのか。弁護士として危機管理に対応してきた経験からいえば、社員一人ひとりがコンプライアンスの必要性や重要性について、本当の意味で腑に落ちていないところに原因があるのではないか。

企業が働き方改革などのスローガンを掲げても、実際にはパワハラ、減点主義、非効率な業務などに振り回される社員は多い。彼らは自尊心を失い、自分で考え、正義感をもって行動する意欲を失う。その結果、多くの社員はコンプライアンスに関心を持つ余裕もなくなり、目先の業績の目標達成だけが組織で生き残る指針となる。
そうした組織では、社員を締め付けるだけのコンプライアンス対策は、かえって隠蔽をまん延させる。監視・監督を強めることが、結果的に不祥事を誘発しているといっても過言ではない・・・

では、どうしたらよいか。原文をお読みください。

遅い日本企業の意思決定

11月5日の日経新聞女性欄「挑戦の環境 中国系企業で」から。
・・・「いいんじゃない、やってみて」。通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)日本法人で働く秋山千早子さん(39)は企業向け製品プロモーションのイベント企画・運営を手掛ける。今春、1000万円規模のイベントを提案。その場で上司のゴーサインが出た。中国系企業の特長は「やる、やらないの決断がとても速い」ことだという。

「誰にどういった決定権があるのかが明確」で、日本企業のように役職が下の人から上の人へ順番に許可を取るとか、会議で全体が同意する雰囲気に持っていく必要はない。「中国の人は合理的。前例を気にしないうえ、資料の体裁や許可を取る際の気配りよりも結果を重視する」・・・

女性社長の失敗と失敗と成功2

女性社長の失敗と失敗と成功」の続きです。

で、第2の黒です(11月2日)。
・・・帰宅は毎日終電、週末も出勤という広告会社で取締役をしていた岩崎裕美子さん。「残業をやめて売り上げが落ちたらどうするんだ」という社長の一言に愛想を尽かして退職し、2005年に化粧品会社ランクアップを設立した。
こんどは子育て中の人も活躍できる会社にしたいと、残業を極力しない働き方に心を砕いた。でも、広報部の近藤良美さんは、5年ほど前までの会社の雰囲気を「あれは暗黒時代でした」と振り返る。

とにかく、社長の岩崎さんが一から十まで決めたがる会社だった。社員が作成した会員向け冊子は、細かく変更を求めた。文章から文字の色、フォント、「!」マークの数まで。会員向けに企画したイベントを岩崎さんが土壇場でひっくり返すこともあった。
社員たちは休憩室で顔を合わせては、愚痴をこぼしあった。それを岩崎さんも感じていた。「休憩室の存在が恐怖だった。みんながあそこで私の批判をしているんだろうなって」

12年、社員に行った満足度調査の結果を見て、岩崎さんは言葉を失った。
「意思決定に従業員を参画させている」と答えた社員は11%、「仕事に行くことを楽しみにしている」は0%だった。
一致団結するには運動会だ、と言い出してみたが、社員の反応は冷たかった。
そんなとき、2泊3日の社員合宿があった。岩崎さんが不在のなか、最終日の話し合いのテーマは「会社のために自分たちができること」。ついに社員たちの不満が爆発した。
「この会社で働く目的がわからない」
「認められていないから貢献なんてできない」
合宿に参加していた講師は、会社にいた岩崎さんを呼んだ。そこで、あらためて社員たちの気持ちを思い知らされた。

ほどほどの給料と休みやすい職場があれば、社員は幸せだと思っていた。社員の給料を自分が稼がなくちゃという思いが強すぎた。残業もないが、やりがいもない。そんな会社になっていた。経営者失格だ。変わるべきは私だった・・・

さて、この会社がどう変わったか、いえ社長がどう変わったか。それが「黒、黒のち白」の白です。
そこは、続きをお読みください

女性社長の失敗と失敗と成功

11月1日、2日の朝日新聞経済欄「黒、黒のち白」が興味深かったです。化粧品会社ランクアップ社長の岩崎裕美子さん(50)の話です。

まず第一番目の黒です。
・・・岩崎さん自身、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が大嫌いだった。
〈仕事も私生活も充実させたいなんて、売り上げをあげられない社員の言い訳だ〉
30代前半で取締役営業本部長に抜擢された。仕事に使命もやりがいも感じていた。

でも社員は居着かず、長くても3年で辞めてしまった。優秀な女性たちは「この会社では結婚も、出産もできない」と去っていった。「辞めないで」とは言えなかった。結婚はまだしも、出産はあり得なかった。残業できない社員は、ここでは戦力ではないのだから。「育休から復帰したいなんて言われたら面倒だとすら思っていた。女性を使い捨てにしていた」

創業時から一緒にやってきた管理職がそろって辞め、そこで岩崎さんも目が覚めた。社員は機械じゃない。こんな生活は男性でも、女性でも続かない。会社を変えたいと、残業を減らそうとしたら、社長からこう言われた。
「残業をやめて売り上げが落ちたらどうするんだ」
限界だった。そしてこう考えた。
「会社を変えるより、自分で会社を作った方が早い」・・・

この項続く