投稿者アーカイブ:岡本全勝

承認欲求とどう付き合うか

2025年7月20日   岡本全勝

7月2日の朝日新聞、西尾潤さんの「承認欲求とどう付き合う?」から。

・・・誰かに褒められると、自分が認められたようでうれしくなる。子どもの時だけでなく、30代になった今でもそうだ。一方、期待したほどの評価が得られず、悩み苦しむこともある。そんな「承認欲求」と、どう付き合っていけばいいのか。マルチ商法の世界で認められたいともがき、堕(お)ちていく主人公を描いた小説「マルチの子」の作者、西尾潤さんに聞いた・・・

――承認欲求について、今はどう考えていますか。
自分のことを認められない、自信がないから、他者からの承認を求めてしまう、ということだと思っています。でも、褒められたらうれしいという気持ちは、誰しもあるものじゃないですか?
承認欲求って、人間が社会の中に「よりよくいよう」と思うからこそ出てくるものだと思います。
たとえばSNS。多くの「いいね」がうれしくて、Xに気の利いた言葉を載せる、インスタグラムに楽しそうな写真をアップする。でも、いい言葉を探すのは悪いことではないし、楽しそうなふりをしていたら本当に楽しくなるかもしれない。
ただ、それが“自分軸”ではなく“他人軸”になってしまうと、しんどくなるんじゃないかと思います。

――他人軸、ですか。
承認欲求には、どうしても「他人と比べてしまう」という側面があります。私もありますよ。自分よりあとにデビューした作家が一気に売れて賞を取ったりすると、「私はなんでできないんだろう」と苦しくなることもあります。
でも、比べる対象を過去の自分や未来の理想にしたら、ずいぶん気持ちが楽になりました。過去の自分と比べると、今の自分はすごく進んでいるんですよ。デビュー前の、新人賞に応募した小説が引っかからなくて、「私の作品、読まれていないのでは」と落ち込んでいた頃と比べると、今こうして取材を受けていること自体、すごい進歩です。
今はSNSで他人の動向や評価が可視化されてしまうから、まったく比べないというのは難しいかもしれない。でも今まさに承認欲求で苦しんでいる人がいるなら、「比べない努力をしながら、一緒にやっていきましょう」と言いたいですね。

学生はなぜ新聞を読まないか

2025年7月19日   岡本全勝

大学に出講した際に、学生たちに新聞を読んでいるかと聞き、読み方と意義を教えています。ところが、最近の学生は新聞だけでなく、インターネットのニュースも読んでいないようです(私の限られた見聞ですが)。

それを話題にしたら、ある記者から、有力な説明を教えてもらいました。
「学生がなぜニュースを見ないか。それは、友達との会話に必要ないからだからです」
なるほど、納得です。

でも、選挙など、政治の動きや政党の主張などは、どのようにして得ているのでしょうか。無関心なのでしょうか。
スマートフォンが普及して、多くの人が簡単に情報を得ることができるようになりましたが、その情報は偏っています。関心のあることしか見ない、また機械が関心あるものを選んでくれるので、さらに狭くなります。

私は、子どもの頃は、社会勉強と思って新聞を読みました。官僚になってからは、社会の情報を得る手段として、読みました。これは、業務の一環でもありました。官僚は卒業しましたが、社会の変化を知りたいと思って、読んでいます。
学生たちは、「社会を知る」という意義を知らないのでしょうね。講義の際にそれを説明すると、納得する学生が多いです。
どのようにして、若い人たちに、新聞を読む意義を教えれば良いのでしょうか。新聞社の皆さん、販売促進も兼ねて、考えてください。

トランプ氏はエリートへの不満を積んだ「乗り物」

2025年7月19日   岡本全勝

6月29日の日経新聞、 アメリカノの政治思想学者パトリック・デニーン氏「トランプ氏はただの「乗り物」」から。

・・・トランプ米大統領が掲げる「MAGA(米国を再び偉大に)」運動は戦後の国際秩序を支えてきた「リベラリズム」を壊そうとしている。その理論的支柱とされるのが米政治思想学者のパトリック・デニーン氏だ。トランプ氏は世界で広がるエリートへの不満を積んだ「乗り物」に過ぎないと主張する・・・

――戦後の民主主義国家の繁栄を支えてきたのがリベラリズムだった。あなたはそこには欠陥があると著書で論じた。どういうことか。
「個人の選択を重視し、政治的にも社会的にも人間関係でも人々をあらゆる束縛から解放しようとする哲学がリベラリズムだ。ところが私たちは自らを統治する自由を失い、経済面でも政治の影響が及ばぬ市場原理に支配されるようになった」
「皮肉なことにリベラリズムは『成功』するほど失敗していった。例えばかつての共同生活には助け合いがあったが、人々は隣人に助けを求めなくなった。米国には長い間、自己犠牲を尊ぶ古い伝統があったがそれらは失われていった」
「経済的なリベラリズム、米国流で言えばグローバル化した市場を重んじる新自由主義が批判を浴び、個人の自由や権利を極端な形で追求する左派リベラルも批判にさられている。リベラリズムの危機が分断を生んでいる」

――個人の自由な選択を追求するリベラリズムこそが人間の幸福や繁栄につながったのではないのか。
「選択の自由は幸福の本質ではない。正しい選択をすることが幸福の本質だ」
「確かに私たちはかつてないほど自由だ。消費者としても一人の人間としても多くの選択肢を持っている。にもかかわらず欧米社会ではメンタルヘルスの危機が著しく高まり、自殺する人が増え、平均寿命も低下している」
「極めて少数の人々に資本主義の恩恵がもたらされ、政治的な不安定を生んでいる。古今東西の政治思想家が一致するように、社会の繁栄を人々が分かち合えているという感覚が行き渡らなければ政治的な安定は得られない」

――この変化はいつごろ始まったと考えるか。
「フランシス・フクヤマ氏が(自由民主主義が政治制度の最終形態と記した)『歴史の終わり』を発表し、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。90年代にリベラリズムは『最高潮』を迎えたが、その頃からリベラリズムが伝統的な慣習や制度の良い部分を壊し始めた」
「米国は政治再編のまっただ中にある。ポストリベラリズム派というべき低学歴の人々や労働者階級、あるいは過度な自由市場や社会的な解放主義に疑念を抱く人々と、エリート層や高学歴といったリベラリズム派の人々の対立だ」

――トランプ氏は2016年の大統領選で当選し、返り咲きも果たした。リベラリズムに対する疑念が彼を誕生させたのだろうか。
「彼は不満の受け皿になっただけだ。無視されてきた数多くの人々が存在していることを本能的に見抜く才覚に優れていた。ビジネスマンとして、ワシントンのエリートが気づかぬ政治的な市場がそこにあることに気づいた」
「右派であれ左派であれ、ワシントンのエリートたちは彼の『成功』にショックを受けたことだろう。ただ、トランプ氏が不満を生んだのではない。前からずっとそこにあったのだ。彼は(その不満の)乗り物になったに過ぎない」

『女たちの平安後期』

2025年7月18日   岡本全勝

榎村寛之著『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(2024年、中公新書)を読みました。
宣伝には、次のように書いてあります。
・・・平安後期、天皇を超える絶対権力者として上皇が院政をしき、それを支える中級貴族や源氏・平家などの軍事貴族、乳母が権力を持つようになる。そのなかで巨大な権力を得た女院たちが登場、莫大な財産は源平合戦のきっかけを作り、武士の世へと移って行く。紫式部が『源氏物語』で予言し、中宮彰子が行き着いた女院権力とは? 「女人入眼の日本国(政治の決定権は女にある)」とまで言われた平安後期の実像がいま明かされる・・・

平安時代は、約400年も続きました。その後半、私たちの知識は藤原道長から源平合戦まで飛んでしまいます。この本が取り上げた、宮中での女性の地位や活躍も、知りませんでした。長講堂領については、かつて知って、そのように皇室財産が相続されたのかと驚きました。
摂関家に対抗するべく、天皇が上皇になって、幼い天皇を補佐する形で政治権力を握ります。ところが、上皇がいなくなったりすると、幼い天皇の母や養母が天皇家の「家長」として差配を振るいます。なるほど。
200年の間の話なので、たくさんの女性が出てきます。天皇も貴族も。その多さに、読んでいる途中で、こんがらがります(苦笑)。それに対して、小説は良いですね、登場人物が限られていて。

ただし、この本が分析しているのは、宮中での権力争いです。彼女たちが、ふだんどのような生活を送っていたかは、わかりません。また、庶民の女性がどのような暮らしをしていたかも、わかりません。

生活保護引き下げ、違法判決

2025年7月18日   岡本全勝

6月28日の朝日新聞1面、「生活保護引き下げ、違法 最高裁「厚労相の裁量逸脱」 物価下落のみ考慮、誤りと指摘」から。

・・・国が2013~15年に生活保護費を大幅に引き下げたのは違法だとして、利用者らが減額決定の取り消しなどを求めた2件の訴訟の上告審判決が27日、最高裁第三小法廷であった。宇賀克也裁判長は、引き下げを違法と判断し、減額決定を取り消した。原告側の勝訴が確定した。
一方で判決は、原告側が求めた国の賠償は認めなかった。判決は裁判官5人のうち4人の多数意見で、宇賀裁判官は賠償も認めるべきだとする反対意見をつけた。

引き下げに先立つ12年の衆院選では、野党だった自民党が保護費削減を選挙公約に掲げて政権復帰した。国は13年以降、生活保護費を約670億円削減した。
この削減では、生活保護費のうち、食費などの生活費にあたる「生活扶助」の基準額が3年の間に平均6・5%、最大10%引き下げられた。引き下げ額を決めた厚生労働相は、物価の下落に合わせて保護費を減らす「デフレ調整」を行った。
判決は、生活扶助の額は従来、世帯支出など国民の消費動向をふまえて決められていたのに、今回の調整では、「物価下落のみ」が指標とされたと指摘。指標を変えることは、専門家による社会保障審議会の部会で検討されておらず、専門的知見との整合性を欠いているとして、判断過程を誤った厚労相に「裁量の逸脱や乱用があった」と結論づけた。

訴訟では、一般の低所得世帯と生活保護世帯の均衡を図るとした「ゆがみ調整」の是非も争われたが、判決は、統計などの専門的知見と整合しないとはいえず、不合理ではないとした。
判決は、国の賠償責任について、生活扶助の指標を変える議論が過去にあった点などを踏まえ、認めなかった。
宇賀裁判官は反対意見で、「最低限度の生活の需要を満たすことができない状態を(原告らは)強いられた」として精神的損害を賠償すべきだと指摘した・・・