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佐伯啓思先生「資本主義の臨界点」1

2022年1月2日   岡本全勝

12月18日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「資本主義の臨界点」が興味深く、勉強になりました。

・・・「資本主義」が近年の論壇をにぎわしている。若きマルクス研究者の斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」がベストセラーになったこともあろう。ついに、というべきか、はてさて、というべきか、岸田文雄首相の所信表明演説にまで「資本主義」が堂々と登場することとなった。自民党選出の首相が国会の場で「資本主義」の語を連発するという事態を誰が想像しただろうか。未来社会を切り拓く「新しい資本主義」を模索するという。

半世紀ほど前の1970年前後、マルクス主義の影響もあり「資本主義」は徹底してマイナス価値を付与された言葉であった。ほとんど悪の象徴のようなものである。当時、社会主義へのシンパシーを公言するマルクス主義者は、「資本主義」の語を否定的な意味で喜々として使用していた・・・
・・・とはいえ、アメリカを聖地とする大方の市場擁護派は、冷戦のさなか、社会主義へと直結するマルクス主義を強力な論敵とみなしていた。したがって、オーソドックスな経済学では「資本主義」の語はまず使われない。もっぱら「市場経済」の用語が使われる。「資本主義」の語が肯定的な意味を帯びるようになったのは、90年前後の冷戦終結あたりからである・・・

・・・だが、そもそも資本主義とはいったい何なのか。首相のいう成長を可能とする「新しい資本主義」というものがありうるのだろうか。
「資本」つまり「キャピタル」とは「頭金」である。それは「キャップ(帽子)」や「キャプテン(首長)」という類似語が暗示するように、「先導するもの」である。未知の領域を切り開き新たな世界を生み出す先導者であり、そのために投下されるのが「頭金」としての「資本」である。資本は、未知の領域の開拓によって利益を生み出し、自らを増殖させる。したがって、さしあたり「資本主義」とは、何らかの経済活動への資本の投下を通じて自らを増殖させる運動ということになろう。

ただこの場合に重要なことだが、資本が利潤をあげるためには資本はいったん商品となり、その商品が売れなければならない。言い換えれば、そこに新たな市場が形成され、新たな商品を求める者がいなければならない。こうして、資本主義が成り立つためには常に新商品が提供され、新たな市場ができ、新たな需要が生み出されなければならない。人々が、たえず新奇なものへと欲望を膨らませなければならない。端的にいえば、経済活動の「フロンティア」の拡大が必要となるのであり、この時に経済成長がもたらされる。
この点で、「資本主義」は「市場経済」とは違っていることに注意しておきたい。「市場経済」はいくら競争条件を整備しても、それだけでは経済成長をもたらさない。経済成長を生み出すものは「資本主義」であり、経済活動の新たな「フロンティア」の開拓なのである。そして「市場経済」分析を中心とする通常の経済学は、基本的に「資本主義の無限拡張運動」にはまったく関心を払わない・・・

・・・大雑把に歴史を振り返ってみよう。資本主義がヨーロッパで急激に活性化した発端には15世紀の地理上の発見があった。一気に地球的規模で空間のフロンティアが拡張した。新大陸やアジアを包摂する新たな空間の拡張は、歴史上最初のグローバリズムであり、ヨーロッパに巨大な富をもたらした。この富によって19世紀に開花するイギリスの産業革命は、驚くべき勢いで技術のフロンティアを開拓し、帝国主義時代をへて20世紀ともなると、アメリカにおいてあらゆる商品の大量生産方式へとゆきついた。そしてこの大量生産を支えたものは、膨大な中間層をになう大衆の旺盛な消費であった。
つまり、外へ向けた空間的フロンティアの開拓(西部開拓のアメリカや帝国主義のヨーロッパ)の次に、20世紀の大衆の欲望フロンティアの時代がやってきた。戦後の先進国の高い経済成長を可能としたものは、技術革新や広告産業が大衆の欲望を刺激し続けることで、工業製品の大量生産・大量消費を生み出した点にある・・・
この項続く

令和4年元旦

2022年1月1日   岡本全勝

令和4年の元旦を迎えました。明けましておめでとうございます。皆さん、良いお年をお迎えのことと思います。
東京は快晴、寒いですが、おだやかな新年です。日本海側を中心に、年末から雪のようですが、大きな被害や支障が出ないことを祈っています。年末年始も働いておられる医療関係者、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。

我が家は、年末に息子が帰ってきて、今日は朝から娘夫婦が孫を連れてきて、賑やかなお正月です。ありがたいことです。
67歳になりました。いつものように、お正月兼誕生祝いの鯛と、新年用のお酒をいただいています。
若い時は、67歳といえば老人と思いました。実際になってみると、平均年齢が延びたことと、自分自身の健康状態を見ても、老人という感じはしません。
もっとも、その意識が「老害」となって、若者たちに迷惑をかけているのかもしれません。とはいえ、私がした経験で後輩たちに役に立つことは、伝えていきたいです。

今年も、知人が送ってくれた元旦の富士山を載せます。きれいです。横浜から。

 

 

 

 

 

 

次は、富士宮市から。

令和3年大晦日

2021年12月31日   岡本全勝

早いもので、今日は12月31日。令和3年も終わりです。
皆さんにとって、今年はどのような年だったでしょうか。うれしいこと悲しいこと、楽しいことつらいこと、さまざまなことがあったでしょう。毎日忙しい生活をしていますが、今年は何をしたか、年末はそれを振り返る良い機会です。それが、思い出をつくり、思い出を確定するのでしょう。

社会全体では今年も、新型コロナウイルス感染症拡大に制約された日常でした。昨年以上に感染が拡大し、行動制限も強くなりました。出勤や会食が制限され、人と会う機会が少なくなりました。一方で、ワクチン接種が進み、マスクをして三密を避ければほぼ予防できることが分かりました。感染者数が劇的に減少し、10月からは制約をつけつつ平常の生活に戻りつつあります。
このまま終息とはいかないでしょうが、感染が拡大せず、かつ症状も低くなることを期待したいです。そう簡単には克服できないようですから、長期戦を覚悟しましょう。

経済や雇用は、新型コロナの影響の大きい業種には、厳しい年でした。それを除いても、日本経済は元気がありません。かつてイギリス病と言われた、繁栄した国家が急速に経済力を落とす罠に、日本も入っているようです。
経済の停滞は、格差や社会の不安を高めています。対処療法では、これらの問題は克服できません。国民と社会の挑戦心を再度かき立てる必要があります。経済の復調も、社会の不安を取り除く対策も、ここに基本があります。
もはや一流国でなくなった現実を直視して、変えていく必要があるのです。連載「公共を創る」を書き続け、また報道などを元にこのホームページを書き続けていて、その思いを強くしています。
「来年がよい年でありますように」とは、年末の挨拶の定番です。しかし、待っているだけでは、良い年は来ません。努力をしたうえで、良い年となることを期待しましょう。

今年も、蕎麦打ち名人のおいしいお蕎麦をいただき、年を越します。ありがとうございます。

令和3年の回顧3、生活

2021年12月30日   岡本全勝

今年の回顧の3は、生活です。

今年も、新型コロナに振り回された1年でしたね。
私と家族は罹患しなかったのですが、知人にはかかって苦しい目に遭った人もいました。知らない人と出会う場所でも、マスクをして適度な距離を取っていたら、おおむね防げるようです。
コロナで行動規制があった期間は、夜の異業種交流会がなく、また散歩をして健康維持をしました。おかげで、体重を減らすことに成功しました。年初に比べ4キログラム減り、その後2キロ戻りましたが、結果として2キロ減です。
総理秘書官時代と同じ体重になりました。結婚以来の低い体重で、最高値(富山での単身赴任時代)に比べると、8キロの減量です。健康診断結果も良いです。

生活の変化は、職場が変わったことです。1時間半の通勤も慣れました。毎日出勤できることは、ありがたいことです。昭和の仕事人間は、ネクタイを締めて出かけないと、シャキッとせず、気分が乗りません。
原稿執筆に追われる日々は変わらず。読みたい本を買い込むのですが、なかなか読むことができません。読書の時間を確保できないのと、集中力が落ちました。

新型コロナで、今年もキョーコさんとの海外旅行は行けず、国内旅行もほとんど行けませんでした。11月に、息子の案内で南紀観光ができたことが救いです。
娘夫婦が、近所に引っ越してきました。キョーコさんは、これまで以上に孫の世話にかり出されています。私も、時にお世話係を命じられます。ありがたいことです。
遂に、フルートの練習を再開しました。これは、ぼちぼちと練習して腕を上げるしかないですね。

玄関横の椿は、なかなか良く剪定ができたようで、元気です。既にいくつか花を咲かせ、つぼみもたくさん付いています。もう一方の夏椿(三代目)は、枯れることなく育っています。鉢植えの木は、今年は桜を1本枯らしてしまいました。その他は、キョーコさんが手入れしてくれていて、元気です。孫と育てたアサガオはそこそこ咲き、植えたチューリップは春には花を咲かせてくれるでしょう。

超金融緩和策の副作用

2021年12月30日   岡本全勝

12月23日の日経新聞経済教室、加藤出・東短リサーチ社長チーフエコノミストの「「何でもする」の姿勢見直せ 中銀の使命と気候変動」に、超金融緩和策の副作用が指摘されています。以下に、私の整理で引用します。
1 金融緩和策とは結局のところ、金利を押し下げて企業や個人に借金をつくらせ、それにより将来の投資や消費を手前に持ってくることで景気を刺激する政策だ。低インフレの原因がグローバル化、IT(情報技術)化、高齢化、人口減少など構造的要因にあるならば、その有効性は限られる。それを続けていると、前倒しできる将来の需要は細り、刺激効果は低減してしまう。
2 容易に入手できる低利の資金が生産性の低い投資やゾンビ企業の延命に使われる。
3 世界多くの銀行、保険会社、年金基金が深刻な資金運用難に陥るなど。
4 政府が債務を大幅に増やす要因になる。

私は、3の犠牲者がたくさん出ていることを心配しています。基本財産の運用益で事業を行っている、文化財団などです。
かつては、銀行に預けることで金利が生まれ、それを用いて、美術館の運用や奨学資金を出していました。この超低金利では、利子は生まれず、事業を続けるために基本財産を取り崩しています。そして、行き着く先は解散するしかありません。株式の運用などの手法もありますが、そのような基金には、それができる人も経験もありません。
その点では、この超低金利が続くことは、とても罪なことです。後世の人たちは、この超低金利政策を、このようにも評価するでしょう。
そして、この数年間の経験は、金利政策だけでは経済成長を押し上げることはできないことが実証されたのではないでしょうか。