投稿者アーカイブ:岡本全勝

高円寺のカエル

2023年10月15日   岡本全勝

時々このページで紹介する高円寺のカエル日経新聞夕刊コラムにも登場したことがあります。
先日、キョーコさんが、玄関横のナツツバキの根元にいるところを発見しました。雨のあとだったので、居心地が良かったのでしょうか。土が現れている面積は小さいのですが。痩せては見えなかったので、食べ物はあるようです。

東京は朝晩が急に寒くなったので、もうそろそろ土に入って冬眠でしょうか。
その横では、プランターのアサガオが、まだ少しずつ花をつけています。

0011ナポレオン・ソロ

2023年10月15日   岡本全勝

イギリスの俳優、デヴィッド・マッカラムさんが亡くなったと、報道が伝えていました。
中学生の頃、深夜に放送された「0011ナポレオン・ソロ」を、楽しみに見ていました。「スパイ大作戦」もそうでした。11時過ぎだと思うのですが、そこまで勉強したら、深夜のテレビを見ることが許されたのです。

スパイもので、話の展開、知恵の出し方、小細工の仕方、結末。時には非現実的なものもありましたが、面白くて引き込まれました。そして、かっこよいのです。
スパイ大作戦の冒頭の画面は良く覚えています。テープレコーダーから「おはよう、フェルプス君・・・」と指示が来て「君もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、このテープは自動的に消滅する」という声とともに、テープレコーダーは火を噴いて壊れるのです。いくつかは、筋書きを覚えています。

10月12日の朝日新聞夕刊「三谷幸喜のありふれた生活:1153」は「恐れ入谷のマッカラム」で、マッカラムさんと「ナポレオン・ソロ」を取り上げていました。

難しい体操2

2023年10月14日   岡本全勝

難しい体操」の、後日談です。この記事を読んだ知人から、次のような反応がありました。

・・・私は休みの日は6時25分からの放送で体操しています。
アレは体の体操ではありません。頭の体操です。「楽しみながらやりましょう!」って言いますが、ちっとも楽しくありません。
「間違っても構いません」って言われると、余計に間違わないようにしようとして間違えます。適当に流すことにしています。
しかし、ラジオ体操は非常によくできた全身運動で、火曜日のテレビ体操は「ラジオ体操の日」で第1体操と第2体操を続けてやりますが、真面目にやると汗をかきますね。
それにしても、フルートで3拍子の曲を4拍子で吹くとは、なかなかの技ですね・・・

転勤制度の見直し

2023年10月14日   岡本全勝

9月29日の読売新聞に「転勤制度 悩む金融界 働き方多様化で抵抗感」が解説されていました。

・・・金融界で転勤制度を見直す動きが広がっている。三菱UFJ信託銀行は10月から、みずほ銀行は来春から、それぞれ転勤者への手当や一時金を大幅に積み増す。転勤に抵抗感を持つ人が増える中、人材の獲得や定着を図る狙いだが、抜本的な解決策はなく、全国で事業展開する企業の悩みの種となっている・・・

共働き世帯の増加に加え、子育てや介護への意識の高まりで転勤できない事情や、転勤への抵抗感から入社を見送ったり、離職したりするケースがあることも指摘されています。他方で、金融機関の特殊性もあります。
・・・銀行は、預金や融資、金融商品の販売を手がけ、法人、個人の顧客との関係が深まる。長い付き合いが高じて、行き過ぎた営業や個人的な不適切な取引に発展しないとも限らない。異動させることで他人の目を入れて不正を発見しやすい環境を作ってきた。金融庁もかつて営業担当者を中心に定期的な異動を求めていた。保険業界も同様だ・・・

・・・日本では、長らく終身雇用を前提とした採用が続いてきた。正規社員として給与や福利厚生を受けられる安定した地位を与える一方で、転勤を含む配属といった人事権は企業側が握る構図があった。働き方改革の流れやIT系企業などの新興企業の増加で、大企業の社員でも転職者が多くなり、人事を巡る労使関係は変わろうとしている・・・

欧米では、どうしているのでしょうね。希望者を募り、それに見合う処遇をしていると想像します。

本家の再活用5

2023年10月13日   岡本全勝

本家の再活用4」の続きです。明日香村商工会の紹介映像「岡本邸プロジェクト Vol.6特殊伐採前編」に続き、「特殊伐採後編Vol.7」が、公開されていました。

この樹木というか森は、屋敷の西側、飛鳥川沿いの斜面と低地にありました。現在川沿いの道路になっている場所も森で、川に面していました。「この地図・グーグル地図にリンク」では、赤い印が本家の母屋、左(西側)に信号がありますが、この信号との間が、今回伐採された木です。

屋敷からは一段低く、さらに下がって川になっています。対岸は崖になっていて、城になぞらえると飛鳥川が堀で、外から人が来ることはできませんでした。その状態なら森の中で、問題なく切り倒せたのですが。
子どもの私たちには、森と川は格好の隠れ家、遊び場所でした。タケノコも掘りました。川には小さな魚がたくさんいて、夏には蛍が飛び交いました。飛鳥川と呼ばず、大川と呼んでいました。

私が中学の頃に、村の中心部の交通渋滞を緩和するために、そこを埋め立て、高い護岸を作って道路を通しました(地図では155号線と表示されています)。交通は良くなったのですが、風情がなくなりました。
大学教養学部で万葉集の授業を受けた際に、稲岡耕二先生とその話になり、「もったいないことをしましたねえ」とおっしゃったことを覚えています。

門の前の東西方向の道路(本家の100メートル東にある村の中心の十字路から来て、飛鳥川に出る道路)は、そのまま飛鳥川に沿って進み、橘寺の近くで川を渡りました。地図では「万葉歌碑」の印がある細い道です。車一台が通れる道ですが、これが飛鳥時代からの幹線道路でした。
木の橋が架かっていたあたりが、川幅が狭く、かつ地盤が良かった(岩です)ので、適地だったのでしょう。その橋の下で、夏は泳ぎました。今も、橋の前後はその道路が残っています。次の橋は、かなり下流に行かないと架かっていません。
橿原方面(近鉄岡寺駅)から村へと向かってくる道路は、今は、その橋の北側の高市橋で川を渡り、先日まで使われていた村役場の前を通ります。しかし、この道路は比較的新しい道路で、私が子どもの頃は「新道」と呼んでいました。